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映画『陪審員2番』

クリント・イーストウッド『陪審員2番』(2024、アメリカ、113分)
原題:JUROR #2


さすがイーストウッドだな。1930年生まれなので、もう90代も半ば。それでもまだこんなに鋭利な物語を提示し、正義と真実を問うてくる。
映画評論家の町山智浩さんも絶賛し、周りの映画好きにも評判が良かったので気になっていた一本。どうやら劇場公開は本当にないようだが、配信で鑑賞できる。

地元情報誌の記者として働く主人公ジャスティンは、陪審員の候補として呼ばれる。もうすぐ出産を控えたパートナーの側にいてあげたいと思いつつも、一員として選ばれることになる。
受け持った案件は、諍いの末に恋人を殺害した容疑をかけられている男性。しかし事件当日の詳細を聞き進めるうちに、これはもしかしたら自分自身こそが関わっているのではないかとの不安が頭をもたげてくる。
かくして、ほぼ確実に自分の過失であろう死亡事故を、それでも無実の男に濡れ衣は着せられないとばかりに慎重な審議を求めるという異常な状況に陥るジャスティンだったが…。

とにかく脚本が秀逸。私が見たところ、一分の隙もない。
主人公は当然のこと、それぞれの陪審員たち、被告人、さらには検察官や弁護人もちゃんと事情を抱えていて、だから奥行きも出るし迫真性も増す。誰もが良い人でもないし悪い人でもない。多面性を持っている。
例えば主人公はアルコール中毒を克服しようと集会にも出席していて、過去に飲酒運転で処罰も受けている。その奉仕活動として小学校での読み聞かせをしているときに、学校の先生であるパートナーと知り合うことになったようだ。
彼女は二度目の出産だが恐れを抱いていて、その理由も話が進むにつれ明らかになってくる。この二人の人生も見た目ほど順風満帆ではない。

前年の10月から約1年ほどの期間という設定なので、時系列は多少前後するものの、まだ記憶も新しいし明確だ。そしてハロウィーンを挟み込むことで日数の経過を示すなど、演出も簡潔で的確。この辺り古典的な作風だが、安心して観ていられる安定感がある。歯切れの良い編集も効果的。

いわゆる法廷劇の型を採るが、最後まで言い切るより「あとはもう自明のことですよね?」と想像させる語り口で、ここでもテンポは良い。
その検察官も主人公と同じぐらい重要な役回りで、半分は出世のため早く決着させようと息巻いていたものの、ほんの少しの違和感から検証し直し始める。そうして彼女もまた、上っ面だけの収め方で終わらせていいのか、それとも正義という茨の道を敢えて選択するのか、葛藤することになる(しかし決断は早い。それゆえに、ここまでキャリアを築けたのだろう)。

だからこそ最後の最後で二人が対峙する、表情だけで全てを伝える場面が光る。
同じように、パートナーに真実を悟らせてしまう、主人公の言えずに苦しむ表情もまた特筆もの。
こういう微細な表現こそを私は演技と呼びたい。


わざと物を落としたり、飲み物をこぼしたりと、ちょっと気を引く場面が多すぎるのではとも思ったけれど、気づかぬうちにスマートフォンを落としたり、石を投げて小川に落としてみせたり、そして橋から川に突き落とされた犠牲者と、「落とす」「落とされる」というのが全体を通してのライトモチーフ(本来はオペラなどで、特定の人物・理念・状況などを表現するために繰り返し現れる楽節・動機のこと)だったのかもしれない。

考え過ぎかもしれないけれど、ジャスティンも暗がりで下が見えず確証を得られたわけではないし、極めて確率は低そうだが犯人ではない可能性も残っているのでは。100%確実な証拠がない。
加えて言うなら、酒場で注文はしたけど手をつけなかった、これも主観で振り返っているわけなので、もしかしたら飲んでいて…ということも完全には排除できない。
つまり、あなたは何を信じるのか?と我々観客にも突きつけられているような気がするのだ。

人が人を裁くとはどういうことなのか。その根拠はどこにあるのか。法の尊さ、公平性とは。そのような倫理観や人間観をまさに真正面から捉えた、成熟した作品。






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