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映画『リチャード・ジュエル』

クリント・イーストウッド『リチャード・ジュエル』(2019、アメリカ、131分)
原題:Richard Jewell


見逃していたイーストウッド監督作を続けて。
こちらもまた正義を正面から問うてくる傑作。
実際にあった事件のようで、それについて書かれた雑誌記事と本が基になっている。

主人公リチャード・ジュエルは人一倍正義感が強く、警官として働くことを目標に警備員など様々な職に就いていた。
1996年、オリンピック開催に沸くアメリカはアトランタ。記念行事の会場でリチャードは音響周りの警護を担当する。置き忘れたかに見えた荷物を不審に感じ、他の同僚たちは慎重すぎると半ば呆れるものの、念のため点検すると仕掛けられた爆弾だと判明。群衆がパニックを起こさぬよう避難させる途中で爆発し、被害は出てしまったが規模を小さくすることができた。
やるべき職務を果たした普通の男リチャードは一躍メディアに祭り上げられ、時の人に。ところが、捜査機関は彼を第一の容疑者として見ているとマスコミがすっぱ抜くと、一転して名誉も平穏な生活も奪われ、過熱する一方の報道に巻き込まれるリチャードだったが…。

きっとSNSが浸透した現代なら、もっと過激な「大炎上」案件だったことだろう。デマに煽動された大衆が個人を飲み込んでいく事象は、まさにいま現在あちこちで起こっていることだ。

担当区域内での犯行を防げなかった失態と、世の中が注目する中いち早く犯人を捕まえなければ出世に響くという焦りからか、捜査員は平然といやむしろ積極的に証拠を捏造しようとし、なりふり構わず力尽くで追い詰めてくる。掃除機まで押収する強制家宅捜索しかり、犯行予告電話のセリフをそっくりそのまま読ませて録音したりと、やりたい放題である。一度思い込んでしまうと変更できず、奥底では真犯人は別にいると知っているにも関わらず、ますます頑なになっていく。冤罪はこうして生まれる。人の手によって作られる。恐ろしい。
最後までその先入観を捨て去ることなく貫き通す捜査官は逆に天晴れなもの(褒めてない)だが、途中であっさりと心を入れ替えた新聞記者にはむしろ貫徹してほしかったとすら思う。名声と販売部数のためなら魂も売ってしまう彼女も、自らの軽薄さに嫌気が刺したのか。


おっとりとした性格で、世間的には誰が見ても「冴えない」男である主人公リチャード。厳格すぎるほど法に重きを置き、人々を守る立場の人たちにある種の盲目的な信頼を置いていたが、この大騒動を通じて実態を見抜く目が備わり、屈しない精神が芽生えていく。
過去に問題も起こしており、私たち一般人の多くと同じように清廉潔白というわけではない、そして文字通り孤立無縁だったリチャードを支えるのは同居している母と、10年ほど前にたまたま職場で知り合っただけの弱小弁護士だけだった。
そんな小さな仲間たちで、国家権力と大多数の煽られた人々を相手取り、全てをめちゃくちゃにされ踏み躙られたことへの復讐劇が始まる。そう言ってもいい構図かもしれない。


少し笑える要素を挟む演出で、余裕も感じさせる作り。
やはり演技が素晴らしく、特に最後近くの、ドーナツを頬張りながら少しずつ事態を理解し始める場面はぜひ観てほしい。



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