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テッド・チャン『息吹』
やっと読み終わった。
大げさではなく数年がかりだった。この簡単な感想を書くのにも数日を費やしている。
それだけ磨き込まれた作品群だし、またそうするだけの価値がある一冊とも言えよう。
兼業ゆえということもあり極端な寡作ながら、そのどれもが認識を揺さぶられるほどの強靭さを内包しているテッド・チャン。
短篇集を2冊しか出していないので、これが最新作でもある。
前作『あなたの人生の物語』での表題作が『メッセージ』(原題は“Arrival”)として映画化され、個人的に2010年代における最高の一本として位置付けている。それもこれも原作の着想に依るところが大きいというのも私見だが、読んだ人の多くは賛同してくれるのではないか。
全9篇。それぞれの話で、発明と言いたいほどの道具が登場し、それによって一変した世界を創造している。
奇想を通り越したような設定なのだが、科学的知識ないし理論は物語を進めるうえでの口実に過ぎないというか、本質的に語られているのは人間の感情であり、心情と言ってもいいのかもしれない。
これらをSFと総称するのなら、まさにSFはそのような仮の世界設定からしかできない方法で人間そのものを照射する手段だ。
ここにこそ私がSFを読む理由があるし、テッド・チャンにしか思いつかなさそうな、そして彼にしか書けなさそうな綿密に構築された作りだからこそ、今作に時間を割き続けたのだった。
以下、各篇ごとに簡単な読書メモ。
「商人と錬金術師の門」
バグダッドとカイロに舞台を置いた、時を超える門を巡る償いの物語。
物語内物語つまり入れ子状になっている話は、主人公より先に試してみた者たちによる実体験で、教訓としても聞ける。
激しい後悔に苛まれ続けている20年前の出来事を変えることはできないか、と主人公は思い立つ。
しかし、過去は変えられない(そして未来も)。だが、20年前の真相、様子を詳しく知ることで、見方を変えることはできる。
発明者とは20年前にすでに出会っていたことになるし、語られる中に出てくる人物ともすれ違ったりして、円環している構成も見事。
時間旅行ものは数多いが、これは独自の変奏と言えそう。
「息吹」
表題作。まず他では思いつくことさえなさそうな着想が光る。繰り返しになるが、自分がSFを好む理由もこの辺りにある。
どことなく中世のような世界が想定されていると思ったが、そこでは人々は日々空っぽになった肺を、空気(酸素?)で満たされたものと交換し続けている。
機械的な身体を持っているのだ。その交換所は一種の社交場になっており、その点で銭湯に近いのかもしれない。
解剖学を専門に修める語り手は、ある現象が各地で同時に起こったことをきっかけに、自分たちは一体どのような仕組みで生きているのか探る決心をする。手塚治虫『Black Jack』さながら自分で自分を執刀し、自らの頭部を観察していく。
そこで発見したのは、神の御業にも似た精巧極まる脳の構造と、そして全てが平衡状態になり停止する避けられない末路だった。物理法則によって運命づけられた、不可避的な終点。
一筋の光を求めて、遠い未来の知的生命体へ向けた手紙の形式を採るところも、より儚さを添える。
翻って現実の地球においても、生きている間に化石燃料を使い尽くそうという貪欲さや、人間の時間を遥かに超えた原子力を飼い慣らそうとして失敗した先に、同じような結果が待っているのかもしれないと思った。
「予期される未来」
すべての運命が予め決定づけられているとしたら、人間の意志にどれほどの意味があるのだろう?
ボタンを押す1秒前に必ず光る"予言機"なる簡易的な機械を用いて、思考実験のごとく論を展開する。
翻訳版で4ページの掌編ながら、全ての行動や考えを無意味化するような破壊力を秘めた恐ろしさがある。
「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」
"ディジエント"と呼ばれる、仮想空間上での生成AIが辿るであろう道を、約20年?に渡って追いかけていく中編。
その時間軸はちょうど人間が成人する期間とほぼ同一で、人工知能といえどもそのぐらいの長い視野で学習し教育を受けさせる必要があるだろうと作者は考えているようだ。
開発者たちは曲がり角に来るたび悩み、だんだんと狭まっていく選択肢の中、何とかディジエントたちとの暮らしを幸せなものにするよう尽力を惜しまない。それらはまるで我が子に対する愛情に限りなく近いように見えるが、やはり究極的には同じではあり得ない。だが確実に共に生きた人間たちに影響を及ぼしていて、ディジエントたちは感情を持ち、お互いに愛が発生している。
だからこそ、所有者である人間たち同士の物語も絡み、最後に何を選ぶべきかを突きつけられる、多層的な構造になっている。
AIが成長していくとしたら、付き合う側の人間こそ成熟していかなければならない。その主張の説得力に、子どもを持ったこともなければ育てたこともない自分はひれ伏すしかない。
専門用語というか造語が多く、何とか片仮名で凌いでいるような翻訳に苦闘の跡が窺える。
「デイシー式全自動ナニー」
もし過去に、全自動式の子守りをしてくれる機械が販売されていたとしたら。それによって育てられた子どもは将来どういう人間になるのか。
空想の発明品が辿った経緯を紹介する展覧会のカタログ、という体裁で描かれている。
良かれと思って親が子にしたことは必ずしも功を奏するとは限らない。
子育てに答えや法則はなく、結局のところ場合によりけりなのだと思う。そこに人間の可能性、面白さもあるということか。
「偽りのない事実、偽りのない気持ち」
人生の全瞬間を映像で記録することが可能になったとしたら、人間の記憶や認識はどう変化するだろうか?
この技術にやや懐疑的な立場を取るジャーナリストの手記という形を取る。取材のため自ら試してみると、主観的な思い出が事実はまるで逆だったことに直面する。
交互に語られるのは、口承文化を持つ部族の話。伝道師によってもたらされた書き言葉により、ある重要な判断を正しい記録に基づいて行うのか、それとも現在の仲間たちにとって最善の道を選択するのか、岐路に立たされる。
揺るぎない事実としての映像証拠があったとしても、人間の脳は忘却も含めた柔軟性を持つものであり、生きていくうえで擦り合わせなければならない場面にも出くわすだろう。書くことは考える手段であり、情報として固定することでもあるが、生きることはそう綺麗に割り切れるものでもない。
書き言葉を発見した興奮が綴られる一方で、父娘の痛々しい関係性が身につまされる。
「大いなる沈黙」
"アレシボ"とは、地球外生命体に呼びかける目的も含む天文台らしい。
灯台下暗しではないが、すぐ足元に生息する絶滅間際のオウムこそが、音声言語を通じてコミュニケーションが取れる生物だったという設定。
しかし、その人類によって間もなく消滅しようとしている種族からの、最期の言葉は届くだろうか…。
こちらも小品ながら、オウムの視点から語らせることも相まってズシリとした重さがある。
「オムファロス」
創造主がこの世を創った時点が、科学的に証明されている世界があったとしたら。
主人公の考古学者は、神が奇跡を起こした年代をより正確に把握しようと研究に情熱を傾ける。
しかし、神の創造を示す門外不出であるはずの発掘品をひょんなところから知り、その出どころを探るうちに、奇跡は人間たちが勝手に都合良く解釈していただけなのではないかという疑念が生じてくる…。
天地創造、この世界の始まりが物語ではなく実際にあった現実だとする設定もさることながら、そこで人々が拠って立つところをひっくり返す力業に感嘆させられる。
信仰が根底から揺るがされたとき、それでも人はどう振る舞うのか。
「不安は自由のめまい」
"プリズム"という略称の機器は、ある時点から枝分かれしていった並行世界とのやり取りを可能にした。
それにより、あり得たかもしれない別の人生を知ることになった人々は、いま目の前にある現実との比較を中毒のように止められなくなったり、果ては同じ自分のはずだったのにより幸福そうに生きている分岐先の自分に嫉妬したりしている。
そもそもの誕生から、自分自身の運命を決める要因とは何だろう?
ここでは、突き詰めれば空気分子の動きといった要素すら、その後の全ての出来事に影響し得るとしている。
丸めて言ってしまえば、起こっていることや歩んできた道のり、何もかもが偶然でしかない。
そうではあるものの、この物語の中では、より良い自分を目指し選択し続けることが、僅かずつ理想へ近づいていく可能性を高めると微かな希望を仄めかしていて、主要人物である一人にそのことを託している。
依存症と闘い続ける彼女は決して善人ではないが、邪な目的から参加していたはずの集まりで、自らの問題点をはっきりと把握する。
そして、これまでなら採らなかったであろう行動に移る。
電車内で読んでいて、最後の方はやばい、泣いてしまう、とこみ上げてくるものがあった。
この短篇集の中で最も好きかも。
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