吉田秋生『海街dairy』
吉田秋生『海街dairy』(2007~2018)
恩田陸 編『少女たちの覚醒』に収められた第一話を読んで以来、ずっと読破したいと思っていた『海街dairy』。
去年の夏に第1巻だけ手に取り、この度ようやく読了できた。
ほぼ実際のままであろう鎌倉を舞台に、両親を亡くした中学生の「すず」が異母姉たちと暮らす新たな日常と青春を描く。
人情の機微を繊細に掬い取り、抜き差しならない人間の業を深刻になりすぎず、ときに笑いに包んで表現する。落ち着いた語り口と定評ある画力に引き込まれた。
さて、まずは著者の吉田秋生(よしだあきみ)である。
言わずと知れた代表作『BANANA FISH』は私自身、最も繰り返し読んだ漫画の一つ。舞台も物語もアメリカン・ニューシネマのような風合いを持つが、大友克洋の影響(特にやっぱり『AKIRA』だとは思う)から始まりつつも、サスペンス色も濃く、性別を越えた愛を描こうとしたり、独自の進化を遂げていった作品と見ている。熱中したのが中学生の頃だったこともあり、かなり大きな影響を受けた。主人公のアッシュ・リンクスは俳優リヴァー・フェニックスをモデルにしているとされ、彼が出演する映画も軒並み観たのだった(『マイ・プライべート・アイダホ』なんかは雰囲気が近いかもしれない、キアヌ・リーブスも共演)。
改めて吉田秋生の著作を振り返ると、次第に超人と化していった感のある『BANANA FISH』をさらに押し進めたかのような『YASHA』は途中で挫折したものの、過去の短編作はすぐに思い出せないが大部分読んでいるはずだし、とりわけ『吉祥天女』は強烈な印象が残っている。
今作『海街dairy』は、中学2年生の夏から僅か1年半ほどを丁寧に描き込む点で、それこそ『SLAM DUNK』にも似た濃密さがある。種目は違うがサッカーという団体競技にこちらも取り組んでいて、本人とチームメイトはもちろん、周りの大人たちも熱狂的に応援し支えてくれている。
狭い世間なのか、社会とはそういうものなのか、大人たちは必ずどこかで繋がっていて、それは血縁関係だったり、職場だったりもする。鎌倉で風通しの良いコミュニティを形成し、一人一人にちゃんと居場所がある。作者は人が生きていく上で避けては通れない生老病死を見つめつつ、基本的には明るく気持ちの良い人間関係を前面に据える。まるで現代の都会では失われてしまったかのような、顔の見える関係性とそこから生まれる互いの信頼は、ほんの少し幻想的にすら感じてしまった。人の良い面を引き出す条件はなかなか揃えるのが難しいと普段から自分は思っているので。
登場人物たちの淡い恋愛も同様で、良く言えば誠実に、敢えてやや意地悪とも取れる言い方をすれば「綺麗」に描写している。若干、美化しすぎなのかもしれない。その点でもちろんフィクションではある。学生たちはこんなに大人びているかな?とつい自らと比較すると決してここまで成熟なんかしていなかったし、だからこそ彼女たち/彼らの直面し経験したことはそれほどまでに大きな意味を持っていたとも言える。幼さを残すぐらいの年齢から、自制する必要性と忍耐が求められていた。他人に対して距離感を適正に保とうとする努力は、臆病なのではなく敬意を払っているからだろう。
家庭を捨てた父と、早くに病死した母を持つ主人公すずは、自分がどこに依って立つ人間なのか不確かさを常に抱えている。しかし自分の選んだ道に確信できなかったり、そもそも選択する勇気が持てないのは大人たちも同じで、もがきながら答えを出していく姿を目の当たりにして、主人公も少しずつ学んでいく。
姉たちはそれぞれ、緩和ケアを行うホスピスでの管理者、遺産相続等で親族が揉める場も取りなす信用金庫の職員と、人の死とそれにまつわるあれこれを直視せざるを得ない仕事に就いている。
3番目で一番歳の近い姉も、スポーツ用品全般を手がけるショップの店員ながら、恋人でもある店長はかつてエベレスト登山でギリギリ生還した過去があり、やはり生と死を強く意識する場面が出てくる。
誰にでもあった10代半ばの一瞬で過ぎ去るかけがえのない時間、それをここまで清々しく活写する作品もそうない。人気作というのも頷ける。
どうにもならない感情に打ちのめされそうになったり、人と人が心を開く瞬間を捉えて、こちらもその度にじっくりと自らの心の動きを味わった。
映画化もされているようで、是枝裕和監督なので機会があれば観てみたいと思っている。