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学校にはびこる形式主義。履修主義から習得主義への転換は起こるのか?

昨晩の家族の会話。

妻「月曜日(6/1)の始業式はオンラインでやるんだよね。」
娘「うん。Youtubeライブでやるらしいよ。」
妻「Youtubeライブ?何それ?後で様子は見られたりするの?」
私「消さなきゃ見られるはず。限定公開でやるの?」
娘「限定公開か、もしくはアカウントで絞るかするんじゃない?」
妻「アカウント?Youtubeって見られる人絞れるの?」
娘「学校からグーグルスイーツ(G Suiteの読み間違い)配られているから。」
妻「グーグルスイーツ(G Suiteの読み間違い)って何?グーグルなのになんか甘いもの?学校から配られている??」
娘「(私に目配せ)うん。甘いよ(嘘)。ちょっと甘すぎるかな(ニヤリ)。」
私「生徒版は甘すぎでしょ(悪ノリ)。ウチの会社はビターを使っている(嘘)。グーグルビター(嘘)。」
妻「ふーん。何でここでグーグルの話が出てくるの?Youtubeでしょ。」
娘「(え、スルーしちゃった...。どうするお父さん?(私に目配せ))」
私「(あ、どうしよ。まあいっか。(娘に目配せ))」
私「YoutubeはGoogleが10年以上前に買収しているよ。」
※正確には2006年なので14年前
妻「え、知らなかった。へぇー、グーグルって色々やってんのね。」
娘「えー、お母さんYoutubeがグーグルって知らなかったんだ。」
私「ちなみにG Suiteの読み方はスイートだぞ。スイーツじゃない。」
娘「え?」
妻「え?」

登校が始まる

娘(中3)も妻(小学校教員)も、今日で休校措置が終わり、来週から登校・勤務が始まります。
どちらもしばらく(予定では6月3週目)は2日置きの分散登校。
以前書いた以下のパターンで言うと、どちらもクラスを分割して分散登校をするようです。

娘の中学校では、分散登校中もGoogle Classroomを使って課題出しをしつつ、Zoomでオンライン授業をやっていくようです。コロナ前はICT活用がほぼ0だったのに、先生も生徒も一気に変わりました。いやはや凄い。
継続的に活用されるのか、見ていきたいと思っています。

妻の小学校は、一部で批判も多かった「時間割とプリント」で対応していました。
妻の学校ではそうでもなかったようですが、ニュースやSNSなどでは「先生がアリバイ作りをしているだけ」「家庭に押し付けているだけ」などなど少なくない批判がありました。
発展して「文科省が家庭学習を授業扱いにしようとしていることが問題だ。学校が責任を放棄している。」などの論調も。

休校中の時間割配布

妻は小学校の理科専なので、受け持つ学年の先生方と協力して、休校中も時間割の一部とプリントを家で作っていました。あくまで予習の扱いで、かつ家庭学習に合うような探求的なものは何か、を悩みながら作っていました。

以下のFacebookでの投稿も、シェアが広がっていたので目にしました。

恐らく現役の先生と思われる方々から、事細かな時間割に対し非難殺到の様相でした。皆さんが言っていることも分かる一方で、私は天邪鬼な性格も相まって、思わず以下のようなコメントを書いてしまいした。

否定的な意見が多く少し驚いています。
自分が児童側なら正直嫌ですが、私の感想は「本当に先生、必死に頑張っているな」です。
「そこが頑張り所じゃないだろ」が皆さんの意見だと思いますが、それはそれで求めすぎ、不寛容に感じました(不快に思ったらすみません)。
論点としては
①量多すぎ
②指示が細かすぎ
③確認ができるのか
辺りなのでしょうか。
ただ、普段の授業でも①や②は同じな印象です。であるなら、なぜ普段の授業に対し、この場と同じだけ否定的な意見が表面化・拡散しないのか。
「普段の授業を再現してどうすんだよ?」という意見だとは思いますが(私もそう思う面もありますが)、やはり「必死に頑張っているな」が先に立ちます。

保護者の「こんなの対応できねーよ!」や「先生もこんだけ課題出して確認できるのか?」というのは分かるのですが、「詰込み過ぎ」や「指示が細かすぎる」「普段の授業も結構それが多いのでは?」という感想です。

これから始まる授業内容の圧縮

そして6月から始業となると、約2か月遅れることになります。
学習遅れ2~3年で取り戻し」とは言っていますが、学校現場の現実では複数年運用は難しいはずで「今年度中に圧縮して終わらせよう」となるはず。少なくない先生方に聞いてみましたが、全員そこは同意見でした(涙)。

さらに第2波の恐れもあるのでさらに1か月分は余裕を見て進めておく必要がありそうです。長期休暇を除くと学校は約10か月。2か月の遅れ+1か月の予備となると、7か月(3割減)でやらないといけない。

私が校長なら教職員に対して「計3か月分は圧縮する気で年間指導計画を組み直して欲しい。重点的に学習したい2,3の単元は予定通りにし、残りの単元は時数3割減する。全体で3割減にならない分は、行事日数減と夏休み短縮で帳尻合わせることになる。」とか言いそうです。教職員にとってはたまったもんではないでしょうけど...。

紙依存への先祖返り。協働的な学びが無くなる。

恐らく多くの学校で起こることは、休校中に多いに活用されたICTが鳴りをひそめ、紙を中心にしたアナログ的な授業・学習への先祖返りではないでしょうか。
理由は、確実に全ての内容を授業で網羅する必要があるから。
分散登校においては、半分は登校できないため家庭学習が重要視されることになります。「ビフォアーコロナには戻らない」と世間では言っていますが、全ての学習内容を確実に履修することが最優先されてくるはずで、通信環境やPCがない家庭で実施できない学習は確実性がないため先生方も選択できない
妻も休校中は「できる人から」のスタンスで、家庭学習でのICT活用を取り入れていましたが、来週以降は全てをプリント中心に据える決断をしています。

さらに、以下の「学校の新しい生活様式」を考えると、児童生徒同士が対面で議論する場面は作りづらいので、まずはそういった活動から削減していくのではないでしょうか。

「集団で学ぶ」という学校教育の最大の利点が失われる気がしており、なかなかの危機感があります。
秋から冬ぐらいにかけて、その辺りの不満やしわ寄せが爆発しないのか、しなかったらしないで相当な危機だとも感じています。

年齢主義・履修主義が社会と整合しなくなっている?

休校中の時間割の話も、今後の指導計画の圧縮の話も、課題の大元は現行の学校制度の根底にある年齢主義・履修主義なのではないか、と感じています。
とにかく履修を最優先せざるを得ない。

今の情勢だと9月入学は無さそうな気配ではありますが、9月入学の議論も年齢主義・履修主義での議論なのか、課程主義・習得主義を前提とした話なのか、どうも混じっているようにも感じていました。
(年齢主義と履修主義も厳密には違うものですが、、)

タイトルでは煽り半分で履修主義を形式主義の1つのように断じてしまっていますが、必ずしもそこまで「形式」だけの価値のものではないとは思っています。
ただ、このコロナのタイミングを契機に長期的に議論するべきは、9月入学(8月終業)よりも、今後の学校教育の在り方は履修主義か習得主義をどちらを土台にして考えていくのか、なのではと感じています。

Society5.0の時代と言われて久しく、そのなかでのコロナ禍によって炙り出された日本社会の最大の病巣は「形式主義」ではないでしょうか。
ハンコのために出社、なんてのはその典型で分かりやすいですが

学校現場においては、標準時数を始めとする履修主義が形式主義の首魁と捉えられないでしょうか。

本来はコロナ前後での社会は不可逆なはずです。ただ、学校現場では「履修」の呪縛によってむしろさらに以前に先祖返りが起きるのではないか。
によって押し戻しが起きてくるのではないか。
その押し戻しを多くの教員は良しとしていないはずで、心身にそのしわ寄せがいき、最終的には子供たちに行くはず。
それに抗い、むしろ革新を起こすにはどうすれば良いのか。自分にはまだ分かっていませんが、まずは目の前にある自分ができる糸口からやっていきたいと思っています。

おわりに

久しぶりに投稿したら、なんかモヤっと思っていたことを書いてみたくなってしまい、なんかいつもと違う感じの内容になってしまいました。反省...。

習得主義の最大の課題は「評価」のはず。
コロナ禍で注目されたICT活用やGIGAスクール構想の本丸は、学びのデータ化にあると考えていて、それが日本のなかで習得主義を形作るための基礎なのでは、なんてことも思っています。

年齢主義か課程主義か、履修主義か習得主義か、はそれほど先ではなく、改めて社会全体で議論になるはずだと感じています。
白黒で完全な偏りをつけるコトではないと思いますが、どちらをベースにするか、は学校教育のあらゆる設計に影響を及ぼします。
社会が変わるきっかけでもあるコロナのタイミングを契機にするのが良いのかな、と思っていて、思わずこじつけて書いてしまいました。

以前も書いたかもですが、自分にとっての系統学習と経験学習なんかも、似たようなテーマで色々と考えており、またどこかで書ければと思っています。
でも、次はもっと馬鹿らしいのを書きたいかも。

ではまたー。


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