イスラエル医療部隊同行記【写真編】 13 Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳 2021年3月8日 19:49 訪問診療に向かう医療チーム。車が通れないところは徒歩で。 DMATの医師とブリーフィング。 「あんたのカメラ、ウージー(イスラエル製自動小銃)より重いじゃん」 本職がタクシー運転手の予備役兵。なぜかライセンスプレートを持ってきていたので記念に 公民館を借りてみんなで晩御飯。宗教的食事規定が厳しいので全部自分たちで作ります 事務担当の女性兵士たち。 PKOでゴラン高原に配属されていたという自衛隊員、懐かしそうに話しかけてこられました。 プレハブの中は総合病院に。 粉塵や花粉のせいか、耳鼻科、眼科が忙しいようでした。 ごつい彼らは本職看護師。 将校たち。国内および国外での救援、生活支援活動を任務とします。 いたるところで、ありがとうのやり取りをしていました。 すっかり常連になった避難所のしゅんすけと。 軍広報の新兵、日本が大好きでプライベートで来たかったと。 防災庁舎と志津川病院。 日本人医師と産婦人科医でもあるオフィール大佐。 仮設トイレを準備しましたが和式の使い方で意見が分かれ。 子どもが来るとみんな集まってきます。 自衛隊の医療チームもよく視察にこられました。 診療所を一歩でると津波の爪痕はそのままに。 いいなと思ったら応援しよう! 災害支援の活動費(交通費、資機材費、機材メンテナンス費等)に充当いたします。ほんとうにありがとうございます。 チップで応援する #写真 #私の仕事 #ライター #イスラエル #東日本大震災 #フォトグラファー #ドキュメンタリー #ヘブライ語 #災害ボランティア #南三陸町 #福地波宇郎 #東北ボランティア #Paulo 13