息子と母は一蓮托生
今日、息子が3泊4日の出張から帰って来る。
晩ごはんはどうするのかLineで聞くと、16時頃に帰るというメッセージと一緒に🗻の写真が届いていた。
息子は昨年1月から毎日リモートワークで家に居るので、父親の帰って来ない家で幼い息子とふたりきりで過ごしていた頃を思い出していた。
息子と一緒に婚家を出たのは、11年前の3月の事である。
息子が家を出たのは、志望する大学への進学を父親が許可しなかったため。
母が家を出たのは、数年前からモラハラ夫と離婚しようと決めていたため。
3月6日(土)
前日に息子から父親の許可がないと大学の入学手続が出来ないと言われ、息子と母の利害が一致し、入学手続の締切日に間に合うように、ふたりで新宿にアパートを探しに出かけた。
母子家庭となると普通の不動産屋ではいい顔をせず、新宿のSUMOに行って探してもらったが、なかなか希望条件が合わず、母子家庭でも大丈夫そうな駅に近いアパートを検索してくれるように依頼して帰宅した。
3月7日(日)
SUMOを再訪し、駅に極近で目の前にスーパーのあるアパートを紹介してもらい、賃貸契約を結んだ。
3月10日(水)
母は、知人から紹介してもらった弁護士に職場の休憩時間に電話した。
弁護士の勧めで協議離婚が望ましいという事になり、ハラスメントによる慰謝料はわずかな金額しか請求できないので、大学学費の請求と年金分割が妥当となった。
夜帰宅して、弁護士に年金分割の合意書と学費支払いの覚書の書式を家にFAXしてもらい、電話で打ち合わせて作成した。
3月13日(土)
仕事から帰った息子の父親(母の元夫)をリビングに呼び、年金分割合意書と学費支払いの覚書と離婚届を、ふたり並んでテーブルに差し出した。
3月14日(日)
息子の父親は朝5時に車でゴルフに出かけ、テーブルの上には3通の書類にサインとハンコがあり、その横にホワイトデーの赤ワインが置いてあった。
3月17日(水)
母が仕事を休み、市役所で離婚届と転出届を提出したあと公証役場に行き、年金分割の合意書と学費支払いの覚書を提出した。
3月18日(木)
息子が、引越先の家裁で、親権を母にする手続きをしたあと大学に向かい、無事入学手続きを済ませた。
3月20日(土)・21日(日)・22日(月・祝)
息子が、学生用の安い引越業者を探して、引越日の予約をした。
母は、引越の荷造りをした。
息子の父親は、『俺が生活に困るものは持って行くな』と言ってゴルフに出かけた。
3月24日(水)
息子の父親と母が仕事に出かけたあと、息子はトラックを待ち、荷物をトラックに乗せてから電車で引越先に向かい、到着した荷物を部屋へ誘導した。
母は仕事が終わってから、その足で引越先に帰宅した。
3月27日(土)
引越先で、24日付の転入と戸籍作成をした。
母が婚家を出ることに決めたのは、介護していた義父の急逝による喪失感から抜けられずに途方に暮れている母に、息子の父親(元夫)が『遺産相続するから親父の通帳や権利証と、金庫の暗証番号を書いた紙と、葬式と納骨にかかった金額を俺に教えろ。それから、法律的には遺産は全部俺の物だから、お前には1円も渡さない。いいな!』と言われ、ショックのあまりPTSDのような状態で、同じ空間にいることに耐えられなくなったからだ。
更に離婚を急いだ理由は、入学手続きの書類に両親のサインが必要だったのに全くサインしてくれそうにない息子の父親に息子がしびれを切らして、母だけのサインで提出期限に間に合わせるようにする為だった。
SUMOから紹介してもらった不動産屋は、母親が責任者で息子が事務員という訳アリ母子家庭の営業する不動産屋だった。
アパートは駅から徒歩2分だったし目の前にスーパーがあったので、とても快適に暮らしていて、お世話になった不動産屋は私たち母子のことをいつも気に掛けてくれ、息子が勤務先の都合で引越すことになるまでのまるまる8年間、大変お世話になった。