マジメでもおもろいやつになりたい

ほぼ日イトイ新聞の岸田奈美さんの「いなくならない父のこと」というコラムを読んだ。その中のある言葉にとても感銘を受けてしまった。(笑)
そのとき、コラムのすぐ下に「感想をおくる」なんて文字があったもんだから、つい送ってしまった。初めて感想なんてものをメールで送ってしまった。(笑)

勢いで書いてしまったから、昔の自分と今の自分が混ざってしまっている部分があるけれど、
よかったら、感想、読んでみてください。(笑)

岸田さんのコラムにあった「喜怒哀楽を表に出さなくなってはおしまいだ。人の価値観とは、なにに対して怒るのか、悲しくなるのか、喜ぶのかで変わる。自分の好きなことを見つけるというのは、喜怒哀楽を包み隠さないということなのだ」という部分を読んで、私は、こういう生き方をしたかったのだと思いました。少し長くなりますが、このように思った理由を書かせて頂きます。


 私は小学生の頃からいわゆる優等生タイプの子どもでした。学校の先生に言われることとそれを実行することが正しいと思って生きてきました。でも、もともとちゃんと勉強するなんて習慣のない私は、なりたい自分と現在の自分に大きなギャップがあり、やるべことをやることができないことがとても嫌でした。それで、どうにか試行錯誤しながら、やるべき課題は、周りのことに対して自分の心の機微に鈍感になることで達成してきました。やるべきことをやるためには、他のやりたいことや興味のあることにあまり関心がないふりをして、やるべきことを遂行する必要があったのだと今は思います。

 でも、そうやって喜怒哀楽を表に出さなくなってから、やるべきことはやれるようになったけれど、やりたいことをやらなくなっていってしまったように思います。それで、もちろん毎日はそれとなく楽しいけれど、なんとなく、つまらないな、みたいな気持ちもあって、そんなときに、岸田さんの紹介してくれたお父さんの言葉を見つけました。「あ、そうか、私は喜怒哀楽を表に出さなくなっていたから、きっと、あんまり面白くないななんて気持ちがあったのか」と思いました。私は本当は、毎日生活する中で私の周りに起こる色々なことにもっと感動したいんだなということに気づきました。そしたら、とても気持ちが楽になりました。


実は、なんで急にこんなことを書いたのか、って理由もあって、それは、同じコラムの中でこんな言葉を見つけたから。(以下はコラムの引用)


父の文句で、印象的なものがある。

「世の中がおもろくないなら、世の中をおもしろくすることは諦めろ」

世間がおもんない、と言っていた父は、私に教えた。そして、こう続けた。

「自分がおもろいと思うことを、世の中に送り続けろ」

父は、そう言って、父自身に言い聞かせていたように思う。


これを見て、私は、「あー、それ、やりたいわ」って思ってしまって、こうして、私は感想やらnoteやらに自分の思ったことを発信してみている。

ちなみに、私が読んだコラムの全文のURLはこれ
https://www.1101.com/n/s/kishidanami/2020-03-04.html

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