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達磨の話ー達磨安心ー

気がつけば、12月ももう中盤。
折り返しとなりました。
徐々に寒さも厳しさを増し、
今日の空はいかにも雪が降りそうな一日でした。

さて、今日は達磨の話をあげてみようかと思います。
というのも、明日坐禅会があるということで、
ふと思い出した話であります。

禅宗寺院では、
12月1日から8日まで、一日ずっと坐禅を実施する週間なんです。
これは、お釈迦さんが悟りを得たことに由来を持つ行事です。
これの行事を朧八大摂心と言います。
朧は朧月、つまり12月をさし、八は8日を指しています。

さて、今回はそこではなく、
その後日に当たる話になります。
中国に禅を伝えた菩提達磨とその弟子慧可の話になります。

慧可は達磨の法を継ぐこととなるのですが、
今回は慧可が達磨に弟子入りをする話になります。

『無門関』という公案を集めた書の
第四十一則に「達磨安心」という話があります。

達磨面壁す。二祖雪に立ち、臂を断って云わく、
「弟子心未だ安からず、乞う師安心せしめ給へ。」
磨云く、「心を将ち来れ、汝がために安んぜん。」
祖云く、「心を覓むるに了に不可得なり。」
磨云く、「汝がために心を安んじ竟んぬ。」

慧可が達磨に不安を取り除いてもらうため、
決死の覚悟で弟子入りを懇願するのです。
ですが、なかなか達磨は振り向いてくれません。

そこで慧可は、自分の肘を切り落とし、その覚悟を見せる、
といった壮絶な場面からこの問答は始まります。

達磨に弟子入りを認められた慧可は自分の悩みを聞いてもらいます。
それは、「私の心が不安で仕方ないんだよ、どうか安心させてほしい」って。
すると、達磨は「じゃぁ、心を持っといで。そうしたら安心させてあげる」
って言うんです。
慧可は「探したんだけれども、心、見つからなかったよ」と答えると、
達磨は「よし、あなたの心を安心させてあげたよ。」って言うんです。

「まぁ、何て不親切な言い方」
何て思うかもしれません。
ですが、禅の教えとしては、この大命題は自分で解決するのが
本来のあり方でしょう。
ですが、達磨は敢えてこれを受けるのですが、一つ条件をつけたのです。
それが「心をもってこい」です。

結局慧可は心を探し当てることはできませんでした。
すると達磨は、「お前の心を安心させたぞ」って言うんです。

そもそも、心というものが、
どこにあるのか、どのような形であるのか、分からないものでしょう。
ですが、確かに言葉の中に「心」が入るものはたくさんあります。
が、その詳しい実態はよく分からない。

当にこれですよね。
心というものがあるかないか、そもそも分からないじゃない。
実態がないものに執着しても何にもならないよって、
達磨は言いたかったのかもしれないです。
対象への執着を捨てることで、
その悩みを解消できることを示したのでしょう。

これと似たような話に、
一休咄の「屏風の虎退治」がありますよね。
足利義持が「夜な夜な出歩いて悪さをする虎を退治してくれ」
と、一休に請うたが、その返答は
「じゃぁ、虎を追い出してちょうだい」
といって、義持の無理難題を退けた話です。
両者とも、本来無いものを要求し、それを退ける点が似ています。

しかし、心とはなんとも捉えようの無い存在でありますよね。
そもそも形や存在、その在処だって不明なのですが、
確かに感情は生まれてくる。
その感情自体も、ちょっとしたきっかけで変化してしまう。
そもそも、
感情が心からやってくる、と思い込んでいる時点で
問題なのかもしれない。

そんなことに思考を巡らしていると達磨に
「凝り固まった思考を柔軟にして考え直せ!」
って言われそうです。
そうすれば、
「執着も薄れ、新たな発見や物の見方ができますよ」
って言われているようにも思えます。


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