![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100996354/rectangle_large_type_2_144053b29c87004b632b370332ea7dbb.png?width=1200)
思いのほか、世界へビビってた自分を発見
「目は口ほどに物を言う」
わたしがしょっちゅう言われてきた、ことわざです。なぜか。わたしの顔立ちに理由があります。
わたしは目が大きめ、眉毛がしっかり濃く生えてます。いわゆる「目力が強い」。マスクで隠しきれません。その上、思ったことが顔に出てしまうという特性も合わせもってて。悲しいかな。本人が口に出して何かを言う前に、周りが察してしまう。
感情MAXのともなると、目がさらに見開くそう。かつて知人が評してました。興奮状態ではさらに1.5倍のサイズになるそう。ほんまかいな?話を盛ってるに違いない。わたしは疑ってます。
そんなわたしだから、喜びも好きも、怒りも驚きも周りへ筒抜け。
「なんで分かったん?」
「なんでて。そんなん、(顔見たら)よー分かるわ」
こんな会話を家族はじめ、たくさんの人としてきました。
自分の意に反して、自分の思いが伝わってしまう。言葉が伝わらないもどかしさと同じように、ツライときもあります。
わたし自身の思いとは裏腹に、相手がいつの間にか解釈してる。わたしへ尋ねることなく、相手の中で完結し終了なんてざら。察するって、ときに曲者です。
かく言うわたしも、相手の表情、振る舞いから、相手の思いを汲みとろうとしがちです。特に拒否とか、怒りとか、相手のネガティブ感情は察知しようとします。
察知なんてカッコイイ言葉を使ったけど。本音は、相手からの言葉で聞いちゃう方が怖いから、察知で「分かった風」にして逃げてます。言葉で聞く方が決定打で傷つく、と思い込んでるからです。
さて、相手から言葉を聞いたら傷つくのか。むしろ勝手に解釈される方が傷つくと、さっき自分自身で書いたばかり。
確かにときには察することも大切だと思います。
ぐいぐい聞いてくんな。そっとしといてよ。
わたしも思うときがあります。
でも「察する」の一本調子じゃ、不完全。せっかくの言葉、ここぞの場面では互いに交わすことで通じ合わせたい。
なーんて。突然、もっともらしいことを言ってみました。自分へ暗示をかける用です。
察して自己完結せず、ちゃんと相手に聞いてみよう。大丈夫、相手は怖くない。
悪い展開にばっかならない。むしろハッピーになるチャンスを逃してるかも。
自分への励ましを書き連ねる。わたし、どんだけ怖いねん。思いのほか臆病になってた自分へ、改めて気づかされます。
世界はやさしい。大丈夫。
自分へ声かけです。