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書くことに「ドヤ感」は不要なり

いいことを書こうとしてはいけません。ここまでに何回書いて、没にしたことか。ちっとも文章が定まらない。書いてる途中から、「わたしは何を言ってんだ?」と自分へ疑問符ばかり。アカン。この時点で読む人なんて、もっと思うわ。何行にもわたる文章を削除です。

ほんと狙いにいっちゃダメ。感動させよう、心に響かせよう、届けよう。相手へ影響を及ぼしたいという「上から目線」を持った途端、まあ内容が乱れること。

年末は終わったところですが、煩悩は捨て去るべし。除夜の鐘って大切だ。はて、1月を過ごしてるわたしは、どうやって捨てりゃいいんだろう。後ほどGoogle先生に尋ねてみます。

話は戻り。よく考えれば、日常生活でも同じかなと思って。仮に相談を受けたとき、気張って「ステキな回答を言っちゃうんだ」と鼻息荒く答えても。かえってシラけた経験はありませんか。わたしは多発です。

そんな時はたぶん、自分の言葉に酔いしれてた気がする。真に相手を思っての発言だったかと言われれば、「わたしってスゴイやろ」のドヤ感の方が、往々にして勝ってたような。いま振り返ると思うのです。


相手がどう思うのか、快と取るか、不快と取るかは、その人の自由。わたしが予見できることじゃない。ましてや「してやろう」感満載で、言葉を紡ぐなんて、もってのほか。ちょっぴり身に染みたのでした。

では また

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