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ぶらり関西みて歩記(あるき) 天王寺七坂

〔第1回〕
真言坂

■七坂とはいうものの……

大阪市天王寺区の夕陽丘地区と呼ばれる一帯は寺町で、江戸時代に大坂城下から移転させられた寺院が多く集まっている。実際に訪れたら一目瞭然、坂がたいへん多い地域でもある。全ての坂が西へ向かう下りになっているのは、このあたりが上町台地の西辺に当たるからだ。太古の大阪は、これらの坂の向こうに海が広がっていたのだ。

数ある坂の中でもとりわけ有名なのが「天王寺七坂」と称される七つの坂で、それぞれ付近の寺院に由来する名称が付いている。また例外的に、大阪夕陽丘学園の横を通る学園坂を入れて「天王寺八坂」と呼ぶこともある。

■七坂のうち唯一南北に走る真言坂(しんごんざか)

天王寺七坂のうち最も北に位置する。他の6つの坂は全て東西方向であるのに対して、この真言坂だけが南北方向である。

上り口に顕彰碑と説明板がある。それによると、明治の廃仏毀釈まで、このあたりには生国魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする「生玉十坊」が栄えていた。そのうち神社の北側にあった六坊、すなわち医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼荼羅院がすべて真言宗であったことから、真言坂と呼ばれていたそうだ。

現在は石畳の坂道だが、江戸時代中期に刊行された「摂津名所図会(せっつめいしょずえ)」には「生玉真言坂」として描かれており、当時は石段だったことが分かる。平均斜度は8度。歩いてみると、思いのほか勾配がきつく感じられる。

坂を上りきったところに生國魂神社の「北の鳥居」が控えている。ちなみに、かつて生玉十坊と呼ばれた寺院は明治初期の神仏分離によって撤去されてしまい、生國魂神社の周辺と真言坂の両側にはマンションやホテルが雑然と立ち並び、生玉十坊と呼ばれた頃の面影を見ることはできない。

ところで、真言坂のてっぺんから西方向に、もう1本の坂がある。「生玉北門坂」と呼ばれ松屋町筋から生国魂神社に向かって左へ大きくカーブする坂道で、松屋町筋に面して大きな鳥居がある。

■千日前通から上って生國魂神社へ

真言坂の上り口は千日前通に面していて、前述したように上りきったら生國魂神社の「北の鳥居」へ至る。生國魂神社のご祭神は生島大神(いくしまのおおがみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)で、神武天皇が九州から難波津にお着きになられたときに現在の大阪城付近に祀ったのが始まりとされる。

真言坂のてっぺんから西方向にもう1本の坂がある。

生島大神と足島大神は国土と台地を守護される神様で、台地に生を受けるすべてのものをお守りくださるといわれている。また後に相殿神として祀られた大物主大神(おおものぬしのおおがみ)は人間生活の全般をお守りくださる神様で、世に「だいこくさん」として広く知られている。

●真言坂:大阪市天王寺区生玉町10-19/距離:73m・高低差:8m・平均斜度7度

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