見出し画像

ADHDが考える労働の現実:給料に見合わない仕事への不満

初めに今回の記事を記載しようとした理由ですが
テレビで最低時給1500円のニュースを見ていい時代だなと思いつつ、昔介護士をしていた際みんなよく給料こ不満を言わないままなぜ辞めずに継続したのかなと疑問に思いました。僕は給料が低く待遇が悪すぎて退職した。今や介護士や飲食店は人材不足で大変な状況です。現在の給料のまま報われないのは嫌だなと思い今回執筆します。



働いているのに、どうしても「報われていない」と感じる瞬間って、ありませんか?特に僕のようにADHDを抱えていると、普通の人よりも仕事に対する負担やストレスが違う気がします。「どうしても続かない」「なぜかうまくいかない」といった壁に何度もぶつかってしまい、結果として職場を転々とすることも少なくありません。転職を繰り返すと、「また新しい職場か」という感覚が強くなり、次第に自己肯定感も薄れていくんです。

ただ、転職を繰り返してみて思うのは、「給料が見合っていない」と感じる仕事が本当に多いことです。もちろん、働くこと自体にはやりがいや意義を見つけたいと思っていますが、それでも「この給料でこの仕事か…」と感じる瞬間が増えるのも事実です。今回は、僕が実際に経験した具体的なエピソードを交えながら、給料と労働の不釣り合いに対する不満を綴っていこうと思います。

給料15万で「命を扱う」仕事って…


最初にお話ししたいのが、月給15万円しかないのに、人の命を扱う仕事についてです。これは実際に僕が働いていた介護の現場で感じたことです。医療や介護の現場では、毎日が緊張の連続で、特に命に関わる仕事ですから、細心の注意を払わないといけません。僕は認知症の患者さんのお世話をする仕事をしていましたが、患者さんは意識的ではないとはいえ、時には予測できない行動を取られます。転倒のリスクがあれば、すぐに駆け寄って支えたり、服薬の管理も慎重に行ったりと、全てにおいて気が抜けません。

さらに、この仕事は夜勤があるシフト制です。昼夜逆転が日常的になる生活の中で、心身が削られていく感覚がありました。昼夜逆転の生活リズムに慣れるのは本当に難しいですし、僕の場合、ADHDの特性で規則的な生活リズムを保つこと自体が苦手なため、シフト制は特に辛いものでした。夜勤明けの朝、どうしても眠れないまま次の勤務に向かうと、「これだけの責任を背負って、たったの15万円か…」とふと考えてしまうんです。

命を預かる仕事をしている以上、「責任があるから辞められない」という感覚もありましたが、その一方で「もっと自分に合った働き方があるのではないか?」と悩む自分がいました。とはいえ、他の仕事を見つけるのも不安ですし、結局、この職場に留まってしまったのです。

認知症の方からの暴言や暴力に耐えて、手取り15万の現実


介護の現場で働いていると、暴言や暴力を受けることも少なくありません。特に認知症の方との関わりは難しく、相手の感情が爆発した時には、こちらの感情を押し殺して対応しなければならないことが多いです。僕も何度も、「あんたなんていなくなればいい!」と叫ばれたり、思いがけない暴力を受けたりしました。

もちろん、彼らが本気で僕を嫌っているわけではないと分かっています。認知症の症状の一環であり、どうしようもない部分もあるのです。でも、**そういった辛い思いをしてまで、手取り15万で耐え続けるべきなのか?**と自問自答してしまうことがあります。

介護職は他の人ができないことをやっている、という誇りも持ちたいのですが、給料が低すぎて誇りに変えるのが難しいのです。疲れきった体で帰宅する日々の中で、現実とのギャップが大きくなってしまっています。

手取り19万で「将来のビジョンは?」と聞かれる違和感


次に、別の仕事で感じた不満をお話しします。その職場では手取りが19万円でした。給料だけ見れば、15万円よりはマシと思えるかもしれません。でも、そこで繰り返し聞かれる質問が、僕には負担でした。


「君の将来ビジョンは?この仕事を通じてどんな成長を目指しているの?」

**正直、19万で生活費をどうにか捻出するのが精一杯で、将来なんて考えられない。**まして、ADHDの特性上、先のことを想像して計画的に動くのが難しいのです。目の前の仕事に一生懸命で精一杯な自分に対し、将来のビジョンを求められるたびに、できていない自分を責める気持ちが膨らんでいきました。

「ビジョン?ねーよ」

「将来の目標がないとダメなんだ」と責められているような感覚に陥り、仕事へのモチベーションも下がってしまうんです。お金も少ないし、将来のビジョンを考えるのは難しい。そんな矛盾に苦しんだ経験がありました。

飲食店のアルバイト:新人と同じ給料で頑張る意味はあるのか?


次に、飲食店でのアルバイト経験について話します。この仕事では、僕が2年目だったにもかかわらず、新人と同じ給料でした。オペレーションも覚え、忙しい時間帯のリーダーとして業務を回すことも多くなっていた僕。でも、給料は新人と同じなんです。

ある日、ふと「このまま頑張っても、報われることはないのではないか?」と感じました。新人と同じ給料であれば、自分が背負う責任や頑張りに何の意味があるのかと考え始めてしまったんです。ADHDの特性上、どうしても報酬や成果が見えないとモチベーションが続かない部分があるので、「頑張っても報われない」という実感が辛くのしかかってきます。

そんな思いが膨らんで、次第に仕事に対する意欲も薄れてしまいました。結局、飲食店での仕事は辞めることになりましたが、この経験が「給料が見合わないと、どれだけ働いてもやる気が出ない」という感覚を強く残しました。


最低時給1500円の流れと、希望の芽


今、世の中では最低時給1500円を求める声が高まっています。僕のように「給料が仕事に見合っていない」と感じる人々にとって、この動きは希望の光です。支払いができない企業は淘汰されるのかもしれないし、今まで以上に働く人が報われる社会に変わるかもしれないという期待が芽生えています。

僕が経験してきたような不満が少しでも解消されれば、労働に対する意欲や意義を見出しやすくなるのではないかと思っています。誰もが、ただの報酬だけでなく「やりがい」を求めている時代。しかし、それには「最低限の生活が保障されること」が大前提です。

将来、最低時給1500円が普通になり、僕のような人たちが「報われない」という感覚から解放される日が来ることを心から願っています。

結論


**労働が給料に見合わないと感じる不満は、決して少数派の意見ではないでしょう。**僕だけでなく、多くの人が日々の労働の中で「この給料でここまでやるべきか?」と疑問を抱いているのではないかと思います。人間の命を扱う介護や医療、過酷な労働条件が伴う飲食業や夜勤のあるシフト制の仕事。これらの仕事には、リスクや精神的な負担が多いのに、それに見合うだけの報酬が得られていない現実があります。

特に、僕のようにADHDの特性を抱える者にとって、「頑張っても報われない」という感覚は自己肯定感の低下や疲弊を引き起こしやすく、モチベーションが削られていく要因となります。給料が見合わないと感じることで、「自分には価値がないのでは?」という否定的な気持ちに苛まれることも多く、働くこと自体がどんどん苦痛になっていきます。

しかし、最低時給1500円を求める声が高まっている今、僕たちが「自分の労働が評価される」という実感を得られる可能性が見えてきています。適切な報酬が保証されることで、仕事に対する不満が軽減され、さらに仕事に取り組む意欲も高まるかもしれません。自分の時間と労力が「搾取」ではなく「価値あるもの」として認められることで、労働の意義が見直され、もっと多くの人が前向きに働けるようになるのではないかと思います。

僕たちが求めるもの


僕たちは決して、過剰な報酬を求めているわけではありません。自分の生活が成り立ち、労働の対価として正当だと感じられる給料がほしいだけなんです。働くことには確かに喜びや成長もあるでしょうが、その前にまず、働くことが生活の維持に直結する現実があります。自己成長ややりがいを感じられるのは、生活が安定し、生活基盤が整ってこそ生まれるものであり、安心して日々を過ごすための基本条件です。

ADHDの特性がある僕にとって、安定した収入は単に生活を支えるだけでなく、心の安心を提供してくれるものでもあります。不安定な環境や先が見えない状況で働くと、どうしても集中力が乱れやすく、仕事のクオリティが下がってしまう傾向があります。適切な給料と安定した労働環境が整うことで、僕たちが持つ能力を存分に発揮できるようになるかもしれません。

働く人の「価値」を再評価する時代へ


日本では「働くこと」が美徳とされ、「労働に対する報酬は多少少なくても我慢するべきだ」という考えが根強く存在しています。しかし、現代はその考え方を見直すべき時代に突入しています。最低時給の引き上げを通じて、僕たちが自分の労働に対する価値を実感できるようになることで、より多くの人が社会の中で積極的に貢献できるのではないかと思っています。

また、ADHDなどの特性を持つ人にとっても、適切な報酬とサポートがあれば、その特性を活かしながら働くことができるでしょう。例えば、僕の場合も、適正な給料が支給されれば、「自分はこの仕事をやり続けてもいいんだ」と自信が持てるようになりますし、働く意欲が湧き上がってくるのです。

僕たちの未来のために


これからの時代、適正な賃金や労働環境を求める声はますます高まっていくでしょう。僕たちが感じる「この給料でこの仕事は割に合わない」という不満は、個人のわがままではなく、社会全体の問題として向き合うべきテーマです。最低賃金の引き上げが進むことで、僕たちのような人間がより自信を持って働ける社会が訪れることを願っています。

一人ひとりが、生活を支える給料と、やりがいを感じられる仕事に向き合える社会。そんな未来が来ることを信じています。

読んで頂きありがとうございます
もし、この記事がいいと思いましたら、いいね、フォローお願いします

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?