「2020年のコロナ禍——“地獄”だった介護現場の現実と苦悩」
はじめに今思えば異常でしたが、当時は未知のウイルスと騒ぎになり、特に高齢者は重篤化しやすく、仕方ない現状だったのかなと感じます。特に僕は新卒だったので余計に辛かった思い出でした。
2020年、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、日常生活が一変しました。とくに介護施設は、感染リスクが非常に高い場所とされ、厳しい対応や規制が次々と導入されました。介護職員として働いていた僕の地元は、田舎で他県まで車で1時間半以上かかる場所でしたが、そんな場所でも感染防止のプレッシャーが非常に大きく、職員の生活や心身に重くのしかかりました。
振り返れば、あの時の介護現場は“地獄”のようでした。僕自身が体験した出来事をもとに、あの時の現場の過酷さとその矛盾を記していきます。
コロナ禍での介護現場に課せられた過酷なルール
コロナウイルスの感染対策として、僕が働いていた施設では次々と厳しいルールが設けられました。普段から業務が多い介護の現場ですが、感染防止の名のもとに追加の負担が増えていき、精神的にも肉体的にも限界に達するほどの過酷な毎日が続きました。
毎日の「出勤前体温検査」と「体調管理」
感染防止のため、毎日出勤前に体温測定が義務付けられました。少しでも体調が悪いと感じれば、出勤停止です。それまでなら風邪気味でも出勤していた職員たちも、コロナ禍では「念のため」という理由で次々と仕事を休まざるを得ませんでした。毎朝、自分の体調に神経を張り巡らせて仕事に行くのは精神的に疲弊するもので、いつ感染してしまうかという不安が常につきまといました。少しでも「風邪かな?」と思えば休まなければならないプレッシャーで、出勤するだけでも精神的な重圧が大きく、毎日がストレスの連続でした。
勤務後の「行動制限」——息抜きも許されない日常
仕事が終わっても、自由に外出することは許されませんでした。スーパーやコンビニなど、人が集まる場所への立ち入りは禁止。職員の間では「外で食事なんてできない」という雰囲気が漂い、ストレス発散の場を失った僕たちは、仕事と家の往復だけの閉塞的な生活に追い込まれていました。娯楽施設の利用も制限され、日々の生活から小さな息抜きすらも奪われました。友人と遊ぶことも禁じられ、せっかくの休日も孤独な時間が続くばかりで、コロナ禍が続くほどに精神的な疲労が蓄積されていきました。
利用者さんとの「外出レクリエーション」や「お花見」も全て中止
普段は季節の変わり目に行っていた外出レクリエーションも、全て自粛に。お花見など、利用者さんが楽しみにしていた季節のイベントも一切行えなくなりました。「感染を防ぐためには仕方がない」と頭では理解していましたが、楽しみにしていたイベントが無くなることで、利用者さんの心にどれほどの寂しさが生まれているかを感じると、やり場のない悔しさが募りました。職員である自分たちも、施設から出られない状況で、心身ともに張り詰めた状態が続いていました。
「家族との面会禁止」からの「モニター越しの面会」への変更
施設に入所している利用者さんのご家族との面会も、感染防止のため完全に禁止されました。高齢の利用者さんたちは、家族との直接の触れ合いや会話を心の支えにしている方が多く、家族に会えない日々が続くことで、徐々に元気を失っていく様子を目の当たりにしました。やがて、モニター越しでの面会が許可されるようになりましたが、画面を通して家族の顔を見ながら寂しそうに涙を流す利用者さんを前に、職員として何もできない無力さに打ちのめされました。
他施設でのクラスター発生時の「職員に対するバッシング」
他施設でクラスターが発生すると、その施設や職員がSNSや地域社会で一斉にバッシングを受けることが日常茶飯事でした。感染を完全に防ぐことは難しいと理解していても、世間の視線は冷たく、時には「介護施設の怠慢が原因」と非難されることも。周囲の人々が介護職員を疑いの目で見ることが増え、気が休まることがありませんでした。誰もが不安を抱える時期だからこそ、必要以上に責任を押し付けられるのが辛かったです。
コロナによって増加した業務の負担
コロナ禍では、もともと多忙だった介護の仕事がさらに重いものとなり、通常業務に加え、感染対策に関わる新しい業務が次々と発生しました。
コロナの疑いがある利用者さんの「隔離と緊急対応」
利用者さんに少しでも発熱や体調不良が見られると、念のために隔離する必要が生じました。そのため、通常の業務に加えて隔離の対応や介護業務の見直しが急に発生することも珍しくなく、負担は倍増しました。人数がギリギリの中で急な対応を行う必要があり、「コロナ感染が広がっていないか」という不安と「とにかく対策しなければならない」という焦りが入り混じり、毎日が戦場のような状態でした。
コロナによる「人手不足」——出勤停止と同僚からのバッシング
人手不足に加え、感染や濃厚接触者となった職員が出勤停止となると、職場の負担はさらに増しました。同僚が感染した場合、影で非難されることもあり、「うつされたらどうするんだ」といった影口や不満が生まれ、職員間の関係がぎくしゃくしてしまうことも。感染防止を優先するあまり、同僚同士が疑心暗鬼になり、仕事のストレスが倍増しました。
「残業過多」でも給料は据え置き——見合わない報酬
業務が増え、残業が連日続きましたが、給料に変化はありませんでした。大幅に負担が増えても、その努力が報われることはなく、「命を守るため」と自分に言い聞かせるしかありませんでした。しかし、報酬が増えない状況では限界があり、やりがいを感じることが難しくなっていきました。「命を守るための仕事」とは分かっていても、自分の生活や健康が守られていないように感じ、徐々に虚しさが募っていきました。
命を守るための努力か?感じた矛盾とやりきれなさ
こうした厳しい規制や追加の業務のなかで、僕たちの生活は完全に「コロナに縛られた」ものとなっていました。確かに、感染防止のための対策は命を守るためのものでしたが、それに見合う報酬や支援はほとんどありませんでした。利用者や家族の命を守るために介護職員が最前線で奮闘していたものの、その努力は十分に評価されているとは言い難く、施設の存続や運営だけが優先されているように感じる場面も少なくありませんでした。
職員が日々命をかけて働いている一方で、給料や待遇に見合った待遇や報酬の改善はほとんどなく、「自己犠牲」が当然視される風潮が、日を追うごとに僕たちの心に深い疲れと虚しさを刻み込んでいきました。命を守るための努力が重要であることは理解していましたが、その「守るべき命」には、自分たち職員の健康や生活は含まれていないように感じられ、やりがいだけでは支えられない厳しい現実に直面していました。
やりがいと報酬の乖離が引き起こす介護職の疲弊
「介護はやりがいのある仕事」とよく言われますが、コロナ禍での厳しい環境の中で、やりがいだけでは到底支えきれない負担を感じました。介護現場での「やりがい」とは、利用者さんやそのご家族からの「感謝の言葉」であるとされがちですが、実際にはそれだけで支えられるものではありません。コロナ禍の中、僕たちは家族や友人に会うこともできず、レクリエーションも行えず、出勤と帰宅の往復だけで生活が成り立たなくなる状況に追い込まれていました。仕事が終わっても精神的に休まることがなく、日々蓄積される疲労が心と体を蝕んでいきました。
「やりがい」があるからといって、給料が据え置きのままで増えないことへの不満も膨らむばかりです。感染症に対応しながらの勤務や厳しい規制に従い続ける中で、自分たちの頑張りが報酬として反映されることもなく、「感謝の言葉だけでは生きていけない」という現実を突きつけられました。命を守るために働いているのに、その代償として自分たちの健康や生活が守られていない状況には大きな矛盾がありました。
現場を支えるために本当に必要なもの
コロナ禍を通じて僕が痛感したのは、介護職が過酷な状況で働き続けるためには「やりがい」だけでなく、現実的な報酬と待遇の改善が不可欠だということです。職員が心身ともに疲弊してしまえば、利用者さんに対しても十分なケアができなくなり、ひいては現場全体の質も低下してしまいます。人手不足が叫ばれる介護業界において、職員の心や体の健康が軽視されている現状では、優秀な人材が長く働き続けることは難しいでしょう。
実際、僕たちは命を守るための努力を惜しみませんでしたが、施設を維持するための負担が職員の心や体にのしかかり、日常生活の質を犠牲にしなければならない状況は改善されるべきだと感じます。施設に関わるすべての人の命と健康を守るためには、まず職員の待遇を改善し、安心して働ける環境を整える必要があります。現場に寄り添った制度や支援が整備されなければ、「命を守るための努力」が職員の犠牲を前提とするものになってしまい、真の意味での「命を守る仕事」を続けることは難しくなるでしょう。
最後に
2020年のコロナ禍における介護現場は、感染防止のためにあらゆる制約が設けられ、職員の生活は完全に拘束されました。「命を守る」という大義のもとで、自分たちの命が少しずつすり減っていくような感覚は、あの年の僕たちにとって、やりがいを超えた過酷な現実でした。
職員が自分自身の健康を犠牲にしてまで働くことが当然視される状況では、介護職としての誇りややりがいが失われ、仕事を続けることが難しくなってしまいます。介護の現場が再びこのような「地獄」にならないためにも、職員一人ひとりの負担や生活を尊重し、報酬や待遇の見直しを行うことが、介護業界の未来に必要な課題だと感じます。
利用者さんやそのご家族に喜んでもらうことをやりがいとしながら、僕たち職員自身が健やかに働き続けられる現場づくりこそが、真に「命を守る」仕事を続けるための土台であると信じています。
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