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枇杷の季節(季節の果物シリーズ⑦)


あなたが山梨の実家に戻って、始めのうちはあなたからのメールや電話があった。
主な話の内容は、農作業の大変さとやりがいについてだった。

4月の後半のメールで、桜桃の木の花が満開になったのでもう少ししたらサクランボの実が生り始める、という報告があって以来、あなたからの連絡は来なくなった。

こちらからメールを送っても既読にすらならない、電話をしても出ないという状況が続いた。

あなたはサクランボの実が熟す頃、遊びに来てと言っていたのに。

そのような状態が1ヶ月ほど続いた5月の下旬、僕の住む東京のアパートに1通の手紙が届いた。
なんの飾り気もないその白い封筒の裏には、畏まった文字で書かれたあなたの名前があった。
僕はその封筒を部屋に持ち帰り、連絡のつかないあなたへの不満をぶつけるように破り開けた。
封筒の中には薄茶色の便箋が三つ折りで入っており、それを開くとそこには横罫線に沿って神経質そうな文字が並んでいた。


前略 お元気ですか。
と言っても、そんな気分ではないのでしょうね。
君はきっと怒っていることでしょう。
手紙の挨拶の出だしにすぎないと思って、これはどうか勘弁してください。
君からの連絡、すべて無視してしまった事、申し訳なく思っています。
ごめんなさい。
それについて説明しなければと、この手紙を書いています。
長くなりそうだけど、最後まで読んでください。

私は今、精神的に不安定な状態でいます。
あなたからの電話に気づいても、何をどう話したら良いのか混乱してしまい、スマホを手に取ることが出来ませんでした。
メールについても同じです。
気持ちが少し落ち着いた状態になってからスマホに文字を打ちこもうとするのですが、いざ打とうとすると適切な言葉が出てこなかったり、簡潔に文章を纏めることが出来ません出来ません。
それでこの手紙という手段を選びました。


不思議なことに、便箋に文字を書こうとすると何故だか気分は落ち着いてきます。

私が今、こういう不安定な状態でいるきっかけは、たぶん就職活動が上手くいかなかった事が発端だと、自分では考えています。
自分が良さそうだと思った会社に面接に行き、不採用の通知や連絡が帰ってきた時、私は傷ついていました。
それが何社も続くと、私はこの世に必要ではない存在なんじゃないかって、自分のことを全否定されてるようで、どんどん自信を無くしていったのです。
次第に、どんなところでもいいから、なんて考え出した自分に対し、自己嫌悪を覚えるようになってしまいました。
そんな時、父親から実家に戻って農作業を手伝え、と言われました。
私はその時、その言葉に救われた気持ちになりました。
もうこれで就職活動なんてしなくてもいいんだと思うと、心の底から安堵したのです。
しかし時間が経つにつれ、そんな自分にも嫌気がさしてきてしまいました。
そんな安易な考えで、果物農家に就いていいのかって。


ひとつ断っておきますが、私は果物を作る仕事を決して嫌いなのではありません。
寧ろ、長年この仕事を続けてきた両親には、尊敬の念を抱いているくらいです。
実際に自分でやってみても、果樹を相手に日々生活するのはとても素敵な事だと感じられます。
それでも尚、いやそれだからこそ、こんな甘い気持ちでこの仕事を始めた自分が益々ゆるせなくなってきてしまっているのです。

そんな時に、君になんの返事を返す事も出来なくなってしまったのです。
君に会わせる顔も、話す言葉も失ってしまったのです。
君はもしかしたら、そんな事くらいでと思うかもしれませんが、今の私には自分のことがどうしても許せないでいます。

これはいつか、果物農家として自分が自信を持てるようになった時に解決される問題なのかもしれないし、ある日突然、台風が去ったあとの空のように、綺麗に、スッキリと、何事もなかったかのように自然と治るものかもしれません。


ただ、今の私の心境で言えることは、この嵐が落ち着くまでは君には会いたくないということです。
本当に自分勝手だとは思いますが、どうか私の気持ちを汲み取って、暫くそっとしておいてください。

君のことは勿論、ずっと想っています。
会いたくてたまらずにいます。
会って、君に慰めて欲しい自分がいます。

でもね、これは自分で解決しなければいけないのです。
もしも、こんな私に嫌気がさしたり、待ってなんていられないと思ったら、どうぞ次に向かってください。
当然、恨んだりなんてしません。
恨めるような立場でもないしね。

とにかく、私は君の幸せを一番に想っています。
理解に苦しむ内容だと、自分で書いていても思うのですが、どうかこの手紙で許してください。

最後に、君の心がどうか穏やかでありますように。

早々

p,s, サクランボが熟して食べ頃になりました。
   君を招待するという約束を守れなくてごめんなさい。


















僕はこの5枚にわたる手紙を、何度も何度も読み返した。

この理解出来ない怒りやら、あなたを救いたい気持ちやら、つらくて泣きたい気持ちなどが複雑にごちゃ混ぜになって、どうしたら良いのかわからなかった。


僕は気持ちを落ち着かせるために、冷蔵庫から枇杷をひとつ取り出し、シンクの前に立ち、包丁で不器用に皮を剥いた。

皆から枇杷王と呼ばれる、居酒屋のバイトで知り合ったお店の常連さんから貰った枇杷を眺める。

「おめーさん、枇杷ってもんわな、優しさの塊みてーな味がするだろ。外国産の他の果物にはない、日本人だけが理解できるような優しさ。そんな繊細な味が」

僕はそのお客さんがそう言ってたのを思い出した。

枇杷をひとくち齧ると、仄かな甘みが口に広がる。
決して主張せず、ただ優しく舌を包んでくれる、そんな味だ。

僕はあなたをそんな気持ちで待ってあげる事ができるのか。
僕の方が、あなたの優しさにずっと守られていたいと思っていたのに。




❮枇杷の季節❯ おわり



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しめじ
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