笑い声(改正版)
私は笑い声が苦手だ。
笑い声からはそこにいるグループに属する人間達の仲間意識を高める(確認する)効果があるのと同時に、そこのグループには属さない人間には攻撃性を帯びて伝わる。
人間は古来より、仲間に敵意が無いことを示すために〈笑う〉という行為を用いてきた。
則ち、その笑いの輪の中から外れているという事は、そのグループには属していないという事になる。
そしてこの現代社会において笑われる(嗤われる)という事は、そのグループからの攻撃を受けている事になる。
そして今、中学校2年3組の教室での休み時間、嗤われる対象となっているのは菅原哲太(すがわらてった)君だった。菅原君は2年生に上がるタイミングで市内の別の学校から引っ越してきた、どちらかと言うと大人しい感じの男の子だ。
原因は、2年生としての授業が始まってからまだ間もない4月の中旬、昼休みにお弁当を食べている時だった。
教室の窓際の方に陣取った男子6人くらいのグループの席から大きな声が聞こえてきた。
「えっ、ママだって、こいつ今、ママって言ったぞ!」
そう言われ、指を指されていたのが菅原君だった。
どうやらお弁当の中身についての話をしていたところ、うっかり母親のことをママと言ってしまったらしい。
そこに居たグループから笑い声が起きたかと思うとその笑いは周りへと伝染していき、瞬く間に教室全体へと広がっていった。
「ママーぁ、ママーぁ」
男子の何人かが囃し立てる。
菅原君は顔や耳が真っ赤になって、間違えただけだと取り繕おうとしていたが、一気に燃え広がった嗤いは暫くの間消えることはなかった。
私はその光景をひとり廊下側の一番隅の席で見ていた。
皆の笑い声が自分の中で恐怖に変わらぬよう、心の中で戦いながら。
その日から菅原君はクラスの連中から、からかわれるようになった。そしてある日の放課後。
「てっちゃんはママの言うこときいてくだちゃいねー」
「はーい、お利口さんにはママのオッパイあげまちゅよー」
いつものように一人がふざけ始めると、その仲間が呼応して悪乗りした。クラス中を嗤い声が渦巻いている。
嗤いはおさまらず、イジメはエスカレートしてゆく。
「てっちゃんおズボン脱ぎましょうねー」
嫌がる菅原君の手を男子が二人がかりで押さえつけようとする。
勢いで菅原君は床に倒れた。バタつかせて抵抗する菅原君の足をまた別の男子が押さえつける。ベルトを外しズボンのファスナーを降ろすと近くにいた女子から悲鳴があがる。
「ちょっとやめてよー」
そう言いながらも言った本人から嗤いが続く。その声に余計に調子に乗った男子たちからコールが沸き上がる。
「パーンーツー、パーンーツー」 手拍子で囃し立てる。
菅原君は膝までズボンを下ろされ、半ベソをかきながら怒った顔をしているが、手足を押さえつけられて何も出来ずにいる。
私は皆の下卑た嗤い声に、怒りとイライラで頭が沸騰しそうなになり、何も考えられなくなっていた。
男子の一人が菅原君のグレーのトランクスに手を掛けようとした時、菅原君の助けを求める視線が私の目と合った。
次の瞬間、頭の中に火花が散った。私は椅子から立ち上がり、トランクスを降ろそうとしている男子の後頭部を手のひらで思いきり叩いた。そして手足を押さえつけつけている4人の頭も同じように順番に叩いていた。
意識してとった行動ではない。自分でも驚いている。が、顔は赤く高揚してはいないようだ。寧ろ皆には冷静に見えているのかもしれない。
「このガキどもが」
そう呟くように言い残して教室を出た。
「昨日はカッコ良かったよ」
後ろの席の女子からそう言われたが、曖昧な返事しか返さなかった。
菅原君はその日からイジメられたりからかわれたりする事は無くなった。
だが、別の人間がまた標的になるだけだった。
イジメはどんどん酷くなり、先生や父兄達にも知れてしまう事になった。イジメの主犯格の何人かは停学になり、そのまま学校へは登校しなくなった。
主犯格がいなくなればそういう嫌がらせは無くなるのかといったら、全くそのような事はない。
誰かがいなくなったらまた別の誰かがその役目を継ぐのだ。
それはきっと、自分が望む望まざるに関わらず起きてしまう自然現象のようなものなのかもしれない。
私はこの中学生活を通して、人間の団体生活におけるそんな性質をまざまざと学んだのだった。
私はと言えば、菅原君の件の後では大人しく椅子に座り、授業中以外は耳にイヤフォンをつっこんで余所の国の音楽を音量を上げて聴き、私だけの世界に膜を張って過ごした。
幸いにも私が標的にされることは無かった。イカれたやつだと思われたからかもしれない。
孤独には違い無かろうが、それでも本だけが友達だったあの頃と比べれば、音楽が加わっただけ随分とマシだと思う。
それに私の思考は自由に世界を飛び回っていたのだから。