◆不確かな約束◆しめじ編 第5章 上 大阪の洗礼
「シュウ カッコつけとらんとガンガン呑んだらんかいっ! もたもたしとったらビールが蒸発してまうでー」
この威圧的な喋り方にまだ慣れない。そしてお酒にも。
僕は大学に通うようになって直ぐ、テニスサークルへ入る事になってしまった。この2年先輩の、まくりたてるような勢いに押されて、断りきれなかったのだ。
「ねえキミキミ。ウチのテニスサークルに入らないかい⁉ カワイイ女の子いっぱいいるよ。よりどりみどり 選び放題!」
なんて、わざとらしい標準語で話し掛けてきたけど、イントネーションが関西の人のソレだったから、ついうっかり笑ってしまった。
「お兄さん、何がオモロイのかしらんけど、お兄さんも女の子すっきやろ、ほな、はよーここに名前書いてな」
テニスなんてやったことないし、どう断ったらいいか迷っていると、次から次へと関西弁が飛んできて、その状況に耐えかねて、入会届けに署名してしまった。
そして今日はテニスサークルの3回目の飲み会。一応、みんなラケットを持ってテニスコートには集まったものの、ちゃんとテニスをしている人はごく僅かで、大概が思い思いの場所で立ち話をして2時間の練習時間は終了した。早くも悟ってしまったのだが、テニスよりも飲み会の方がメインのサークルだった。
大衆居酒屋の2階の座敷は、このサークルのメンバーで貸切りだった。2時間飲み放題とサラダ、串の盛り合わせ、鶏の唐揚げ、ポテトフライ、お好み焼きが付いて1人3.500円。ボリュームと安さが売りのお店だ。ちょっとカロリー高めだけど、金のない若者には人気のお店。唐揚げにも大盛りのキャベツの千切りが盛り付けられていて、みんなソースとマヨネーズで食べている。
「東京の人間は、みんな澄ましたような喋り方して調子が狂ってまうわー。君も新喜劇を見て、大阪のことちゃんと勉強してチョーだい」
おちゃらけた先輩を見て、周りの何人かの女の子が爆笑する。それで調子をよくした先輩は、ふざけた躍りをしながら自分の席へ戻って行った。
暫くすると、隣の席に座ったひとつ上の先輩であるナツミさんから声を掛けられた。ナツミ先輩は、甘ったるい話し方をする女性だった。
「ねえキミぃ シュウくんゆーたっけぇ? おとなしいけどぉ、まだ大阪に馴れへんのぉ⁉」
「あっ はい。大変申し訳ないんですけど、まだ関西弁のアクセントとか、ノリについていけなくて」
僕がそう言うと急に目付きが変わり、
「あんっ 今キミ何ゆーたん⁉ もっかい言ってみー。関西弁⁉ 関西弁ってそんなもんこの世にあるかいなっ。大阪と、京都や奈良、兵庫なんかひと括りにしとるんやったら承知せんぞこのボケぇ」と、口調も変わった。
いきなり叱責されてキョトンとしている僕に、向かいに座るナツミさんと同い歳の先輩から
「あーあ なっちゃんを怒らせてもーた。シュウ 自分で責任もってご機嫌直してもらわんとアカンで」と言われた。
何がなにやらよく解らなかったが、とりあえず
「ナツミ先輩、すみませんでした」と謝った。
「キミは許してもらいたいんか? だったらウチの酒に付き合ってもらわんとやな。ほんならキミ、日本酒を注文してきなさい。冷やで頼むで」
僕はナツミ先輩に従い、部屋の隅に設置された受話器を取り、日本酒を注文した。
ほどなくして、お酒が運ばれてきた。
「ボサっとせんとはよ注ぎぃや。ほんとトロいやっちゃなー」
「あっ 失礼致しました」 日本酒をナツミ先輩が持つお猪口に注ぐと一気に呑み干し、
「かぁーっ 日本人にはやっぱり日本酒やな。キミも呑みぃ」と言ってもうひとつのお猪口に酒を注いだ。
「すみませんナツミ先輩。僕、日本酒呑んだことないんですけど」
「いちいちうるさいやっちゃなぁ。ウマいんやから騙された思ってちゃっちゃと呑みぃや」
仕方なく一口舐めるように口につけてみる。
〈んっ あれっ なんだか美味しい。ビールは苦いだけで美味しいと思った事はないけど、あれっ 日本酒ならいけるかも〉
「ナツミ先輩 日本酒うまいっす」
「ねっ だから言うたやろ。日本人には日本酒が一番や。キミも違いのわかる呑み助になるでぇ」そう言うとナツミ先輩はキャハハと笑った。
「そろそろココはお開きやでー。次行く人はカラオケでお願いします」
気が付くと、テーブルの上には冷や酒用の徳利が7、8本並んでいた。隣でナツミ先輩が突っ伏して寝ていた。
「あらら、シュウ なっちゃんを潰してしまったんかい。ほならキミがなっちゃんを責任もって家まで送り届けなアカンな。大人になるっちゅう事は、自分のした事に責任を持つっちゅう事や。キミも立派な大人になりたかったら、そういうとこしっかりせえへんとな。まあそういう事で後はよろしゅうな」
そう言って向かいに座っていた先輩は、みんなとカラオケに向かってしまった。取り残された僕は、片付けに来た店員さんに謝りながら必死にナツミ先輩を起こそうとした。なかなか起きてくれなかったナツミ先輩は、みんながいなくなってから20分くらいして、突然起き上がった。
「シュウくん 帰るよぉ。ちゃんと家まで送ってなぁ」
元の甘えたような喋り方に戻っていた。起きてくれて安堵した僕は急に酔いがまわってきた。どうでもいいから早く眠りたいと思った。
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頭がガンガンして目覚めた。知らない部屋にいた。昨日の事を思いだそうとしても、店を出たところまでしか思い出せない。頭が割れそうだ。隣に女が背を向けて寝ている。ナツミ先輩か。その向こうに自分の服が見えた。慌てて布団の中を確認すると、トランクス一枚の自分の体が見えた。二重の意味で頭が痛い。やっちまったのか⁉ わからない。全然覚えてない。生まれて初めて記憶が飛んだ。なんだこのモヤモヤとした気持ち悪い感じ。突然、ユキの顔が浮かんできた。
〈ユキ 頭が痛いよーっ。俺、なにやってんだろ⁉ 助けてくれよ。なに笑ってんだよ。ユキ 会いたいよー〉
ユキに別れを告げられたあと、ユキのスマホに連絡しようとした事があった。が、もう繋がらなかった。直ぐに番号を変えられていた。
隣の女がこっちを向いた。やっぱりナツミ先輩だった。
「シュウくん おはよー。具合悪そうやん。大丈夫?頭が痛いん?薬持って来たげるわぁ」
ベッドを抜け出したナツミ先輩は上下ピンクの下着姿だった。下半身が少し反応しかけたが、頭がズキンとしてすぐに大人しくなった。
〈やっぱりか。やっぱりやっちまったか〉
ユキ以外の女性は初めてだった。覚えてないけど。
ナツミ先輩が薬とミネラルウォーターを持って戻って来た。
上半身だけ起き上がって、薬を水で流し込む。
「調子良くなるまでここで寝とき。私はシャワー浴びてくるわぁ。」
「あっ それから昨夜の事はサークルの皆には秘密にしてやぁ。お互いワンナイトの思い出ってことで」
着替えを持って部屋を出ていくナツミ先輩を見ると、身長の割に大きめの胸とお尻が揺れていた。別に後悔するほどの事ではなかった。後悔があるとすれば、行為を覚えていないこと。
〈シャワーから戻ってきたら、もう一度試してみようか⁉ ダメだ。頭が痛い。呑んだ薬と水が胃の中で暴れている。気持ち悪い。吐きたい。先にトイレを借りれば良かった〉
結局、夕方近くまでナツミ先輩の部屋で寝ていた。もう酒なんて二度と呑むもんか と誓うシュウであった。