歩道橋の上から
歩道橋の上から、眩い光の群れが遥か先からやって来ては通り過ぎてゆくのを眺めている。
僕はその光と光の間隔を目測し、落下する速度とのタイミングを計る。
空想だ。
実際に飛び降りるつもりなど今のところはない。
それでも時々、地面に吸い込まれるようにこのまま落下するのも悪くないかな、などと思ってしまうこともある。
朝晩は小学生などがよく通る、この国道に渡された歩道橋は夜間、利用する者など殆どいない。
そして僕はこの人通りが無くなった歩道橋が好きで、たまには缶ビール片手に来る事もあった。
歩道橋の上からの景色は絶妙に現実味が薄れ、僕の心を落ち着かせてくれた。
時には信号機が赤から青に変わる秒数を数えたり、赤いテールランプの数をひたすら数えたり、ここに来るとそんな遊びとも言えない事を無意識のうちに毎回始めているのだ。
きっと無心で数をかぞえたり秒数を計ったりする事は、嫌な事を忘れるコツだったりするのだろう。
「ねぇちょっと、あなたそこから飛び降りたりしようとしてないよね?」
不意に声を掛けられて僕はビクッとしながら振り向いた。
「こっちは久しぶりに友達と気分よく呑んで来たんだから、目の前で飛び降りたりしないでよねって言ってるの」
僕より少し年上に見える女性がそこには立っていて、何故だか僕のことを睨みつけていた。
「いやー、べつにそんなつもりじゃ……」
「つらい事があるんだったらお姉さんが聞いてあげるから、さあその手摺から手を離してこっちにおいで」
酔っぱらっているのか彼女の目は座っていて、強引に僕の腕を取り階段の方に引っ張って行かれた。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですってば、何も話すことなんてないですよー」
「いいからそこに座って、話はそれから聞くから」
「だからべつに話したいことなんてないですから」
結局、僕は酔っぱらったお姉さんの会社の愚痴を一時間ほど聞かされ、挙げ句僕の着ていた半袖シャツの袖をお姉さんがハンカチ代わりにして、涙やらマスカラで黒く濡らされた。
そしてお姉さんはスッキリしたような顔でスタスタと立ち去った。
「すみません」
僕がまた夜の歩道橋で車の流れを目で追っている時だった。
「この前の君ですよね」
振り返ると先日の酔っぱらいのお姉さんがまたそこにいた。
「はい、この前の私ですが……」
するとお姉さんは急に深々と頭を下げた。
「先日は大変申し訳ありませんでした、わたし酔っぱらっちゃって、確かシャツの袖も汚してしまったような記憶が……」
「はあ、まあそれはいいですよ、たいしたシャツでもないですし」
「いや、本当にごめんなさい、お詫びと言ってはなんですけど、お嫌いでなければ」
お姉さんはそう言って、僕にコンビニの袋を差し出した。
中には6本入りの缶ビールとさきいか。
「歩道からここに立っている君が見えたので、そこのコンビニで買ってきました」
「はあ、嫌いではないですけど……」
「じゃあ、お詫びの印としてお納めください、それでは」
そのまま彼女は立ち去ろうとする。
「ちょっと待って!」
僕は自分でも驚くくらい大きな声で呼び止めていた。
「あのー、良かったら一緒に飲みませんか」
「へっ?」
「この缶ビール、一緒に飲んでいってくれませんか」
「いま?」
「はい、今」
「ここで?」
「うん、ここで」
「はあ……」
僕は缶ビールのプルトップを開け彼女に渡し、もうひとつも開けて一口飲んだ。
「ここからね、眺める車の流れとか光とかが好きなんですよ」
ようやく彼女も缶ビールに口をつけた。
「ほら、なんだか自分とは関係なく勝手に世界が動いてるっていうか、そういうのを見ていると落ち着くんです」
「君、変わってるね、でも確かにそう言われればそんな風に思えるかも」
彼女は少し歪んだ笑顔を見せたあと、今度は勢いよくビールを喉に流し込んだ。
「僕、ここでたまにビールを飲むこともあるんです」
「ここでビールを?今みたいに?」
「はい、ここで、今みたいに」
「やっぱり君って変わってるね」
「うん、そうかもしれないけど、結局僕もこの世界の一部なだけなんだなーなんてここでこうしてるといつも思うんです」
「ふふっ、君おもしろいよ」
「そうですか?みんなにはつまらない人間だと思われてると思うんだけど」
「そんなことないよ、少なくともわたしは君のことおもしろいと思ってる」
「……ありがとうございます」
それから僕たちは歩道橋の下の世界を眺めながら時々ビールを啜った。
2本目のビールをほぼ同時に飲み終わると、彼女は帰って行った。
「ありがとう、この間も今日も君に癒されたよ」
そう言い残して。
「良かったらまたここで会いましょう」
僕は彼女の背中に向かって車の音にかき消されないように精一杯の大きな声で叫んだ。
彼女は聞こえているのかどうか、軽くスキップのようにステップを踏んでから階段を降りて行った。
僕は時折吹く風の中に彼女の髪の香りを感じながら、テールランプの点滅を自分の気持ちと重ねて見ていた。