今夜、私は藤井風に恋をした。 人って本当に感動すると手拍子なんてしてらんない。
今晩はじめて藤井風の生ライブを見、人生が変わってしまった。
ネタバレはしていないので、どうか読んでいってほしい。
はじめての生・藤井風
3才の息子が「これ!藤井風だ!」と曲を聴いただけで叫ぶくらい。物言わぬ1才の息子が腰振って踊り出すくらい、自宅でヘビロテしています藤井風。
そんなにハマっているのになぜか昨年の武道館配信チケットは買わなかった私。だからはじめてのライブだったんです。
アーティストのライブ自体は独身時代に散々行きました。小さなハコの最前列から数万人規模まで経験済みです。そんなわたしが
心を持っていかれ、手拍子も出来なかった。
あれだ、ライブで歓声をあげたり手を振るのもいい。でもそれはどこかで自分に余裕があるからできる。本当に彼に釘付けになったら、座席にしがみついていないと耐えられないくらいなの。手からも汗が吹きだし、目を見開きすぎてカピカピになった。
風さんのすごかったところを列挙します。
A.演奏中のとりつかれたようなダンス
我に返って鑑賞すると、「ちょっと入り込み過ぎてて恥ずかしいのではないか?」と思ったりもする。よくギターソロで観客をあおる人がいるよね。あれとか見るとちょっと覚めるタチです。
けれど彼にとって
恥ずかしさ<表現して曲の意図を伝えたい・届けたい
が勝っているのだと思う。
現に伝わったのだ。ずっとピアノやマイクにかじりついて歌われるライブを見てきた私には刺激的だった。映画を見ているようで現実感がなかった。
今日の藤井風は、床に這いつくばったり、パンチを受けて崩れたりする様子✕歌が合わさりダブルパンチ。爆走兄弟レッツ&ゴーのダブルトルネードのように。牛乳と紅茶でロイヤルミルクティーのように。
相乗効果で倍以上のおいしさ。
とにかく歌だけでもだめで、そこにダンスがあったから、胸にグサッと突き刺さったのだ。
B.歌っていない時は本人だと気づかないくらいのオーラの変化
登場シーンは「えっ なんかダボダボズルズルの服着たおじいちゃんがいる」と本気で思った。
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なのに歌が始まると視線だけでヒトを倒せそうな勢い。刺す刺す刺す。
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歌い終わるとまるで上品な坊っちゃん。ピアノの発表会のような丁寧で深いおじぎ。
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MCはゆるく恥ずかしそうに笑う。言葉も拙い。ガンバレーと応援したくもなる。
なんだこれ何人いるんだ?
C.大きさ
物理的に大きかった。身長181cm。昔の歌舞伎役者は顔が大きいのが良いとされていて、それは舞台で映えるからで、より観客に伝わるのもあったのでは。
それと同じで藤井風は大きいから一挙手一投足がよく見える。伝わる。鍵盤への指の振り下ろし方も、短い指と長い指では落差が違うでしょ。これもメリットでは。
D.絵になるうつくしさに目が離せない
彼のYouTubeコメント欄を見ると「顔もかっこいいけど歌で判断して!」と吠えている人がいる。あなたなんの権利があってそんなこと言うの、というのはさておき。
美も立派な表現です。
中途半端な顔立ちだと、演奏中余計なことが気になってしまう。(この人恋の歌歌ってるけど本当にこんな大恋愛してきたのか? / あー少し鼻が曲がってて気になるななど)
でも彼の場合うつくしすぎて目が離せない。で、じーっと見つめていると歌の世界に吸い込まれそうになる。そして彼の歌に捕らえられ動けなくなる。
あと彼の完璧な顔立ちによって、歌の中身の信憑性も増す。顔も完璧だからこの歌詞にも嘘(欠点)はないだろうと。
好きな人のことなので、つい熱くなってしまいました。失礼。
以上でわたしの藤井風個人的解釈を終わります。
でも結構あたってると思うけどな。
そこの藤井風を応援する方、どう思いましたか?異論反論待ってます。
令和3年1月24日 もう「さん」無しでは呼べないわ