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◆遠吠えコラム・「そして誰もいなくなった」鎌倉をゆくアイツの話(※画像は大河ドラマ公式ツイッターより)

 仕事が忙しかったりして疲れてしまったため、今週はコラムの執筆時間を中々確保できませんでした。代わりと言っては何ですが、今回のコラムは三浦義村についてだけ書きます。楽しみにしていた方々(なんているのだろうか?)ごめんなさい。やや控えめの遠吠えです。

【あの藤原定家も「不可思議」と評した三浦義村の恐ろしさ】
 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の脚本が最終回(第一稿)まで完成したそうだ。ドラマの脚本を担当している三谷幸喜が、自身が連載する朝日新聞のコラムで明らかにした‹1›。コラムによると、これまでの大河にはあまり見られないような衝撃的な最終回となるようで、アガサクリスティーのとある作品を参考にしたとのことだ。

 アガサクリスティーといえば、「オリエント急行殺人事件」、「ナイル殺人事件」などで知られる稀代のミステリー作家だ。特に「アクロイド殺し」ではまさかの語り手が犯人という、「そんなのありかよ」と言いたくなってしまうような衝撃的な結末は有名だ。よもや「アクロイド殺し」の結末のように、鎌倉の動乱は「すべて私が仕組んだのよ」と最終回で長澤まさみが登場するとも思えない。

 このコラムを読んで私が思い起こした作品は、「そして誰もいなくなった」だ。とある絶海の孤島で起こった連続殺人事件の記録をひも解くという粗筋。閉ざされた場所で次々と事件が起きていくというプロットは、鎌倉という特異な地域での抗争で次々と人が死んでいく「鎌倉殿の13人」と通じるものがある。「そして―」では、結局犯人が誰なのかわからないまま、最後の一人も自殺してしまう。そしてその後、島で死んだと思われていた「真犯人」から届いた手紙で事件の全貌が明らかになるという、これまた、「そんなのありか」と頭を抱えたくなるような衝撃的な結末を迎える。

 「鎌倉殿-」がどのような最終回となるかはわからない。コラムを読んだときに「そして誰もいなくなった」と同時にもう一つ、ある人物が頭に浮かんだ。それがこの人。処世の術の講師・三浦義村(演・山本耕史)だ。いわゆる13人には列せられてはいないが、ドラマの主要登場人物の中で13人が全員死んだ後、「誰もいなくなった」後も生きている人物がこの三浦義村だからだ。

 史実でも三浦義村という人物は実に興味深い。頼朝の死後に起きた抗争事件には必ずと言っていいほど、彼の影がちらついている。13人で早々に脱落した梶原景時の一件を振り返る。景時から謀反の疑いをかけられた下野の御家人結城朝光が、窮地を脱するために駆け込んだ先が三浦義村のもとだった。義村らの呼びかけで景時に不満を持つ御家人66人の署名が入った弾劾状が完成する。多数の御家人の意向を無視できないと判断した頼家によって景時は鎌倉を追われ、京都へ落ち延びる途中で殺される。畠山重忠の乱では北条時政に味方し、重忠の息子重保を鎌倉に呼び寄せて殺すのに一枚かんでいる。かつて石橋山の戦いの折に祖父義明を殺した重忠への敵討ちとして加担したとの見方もある。しかし、牧氏事件では時政を裏切り、結城朝光らとともに時政の屋敷にいた実朝を義時邸に連れ出し、時政を孤立させるのに一役買っている。

 三浦義村は、身内にも容赦がない。北条義時と和田義盛が激突した鎌倉初期最大の武力抗争、和田合戦では、同族の義盛を裏切り、義時や実朝の窮地を救うファインプレーを見せている。義盛は先制攻撃を仕掛け、実朝を奪い取って合戦を有利に進めようと画策していたとされる‹2›。さすがは百戦錬磨の武将だ。その際、将軍御所の西に屋敷を構える同族の三浦義村と連携し、挟撃を仕掛けて実朝を奪い取る手はずだったとされている‹3›。しかしここで義村は、義盛が先制攻撃を仕掛ける前に実朝を御所から非難させている。和田一族の豪将・朝比奈義秀が御所の門を押し倒してなだれ込んだときには実朝は既にいなかったという。和田の先制攻撃は義時にとって予想外だったとみられ‹4›、ともすれば義時は負けていたかもしれないとまでいわれている。三浦の裏切りが勝敗を分け、間一髪で義時や実朝を救い、和田一族を滅亡へと追いやった。

 実朝暗殺事件でも、義村は重要な役者の一人として登場する。公暁は実朝暗殺後、「俺が将軍になる準備をせよ」と三浦に手紙を送り、三浦の屋敷を訪れようとする。三浦はその手紙には返事をせず、義時に密告。公暁はその後に三浦の屋敷の塀を飛び越えようとするところを殺されている。ちなみに義村は公暁の乳母夫(育ての親)だ。承久の乱でも、後鳥羽上皇からの命を受けた弟胤義から義時追討のため決起するよう促されるが、この知らせを義時にそのまま伝え、乱では幕府方として弟と対峙している。自分が育てた子や弟にもまるで容赦がない義村、こわい。

 「新古今和歌集」の選者・藤原定家は、自身の日記である「明月記」に、三浦のことを「八難六奇之謀略、不可思議者」と書いている。これはすこぶる大雑把に言うと、「何を考えてるのかマジでわからん」という意味。鎌倉から遠く離れた京にいる雅やかな貴族からも「ヤバいやつ」認定されていることがよくわかる。義村はありとあらゆる事件で暗躍し、身内や育ての子をも裏切って北条家、取り分け従兄弟にあたる義時をアシストしているが、義時のように政の中軸を担うなどいわゆる表舞台に立とうとした形跡はあまり見られない。和田合戦のように、義時を死に追いやることが可能な時すらあった。しかし、そうはしなかった。先述したように、義村は「13人」の中にも含まれていない。しかし、頼朝の死後の熾烈な権力争いをかいくぐり、義時、政子、大江広元ら有力御家人が「誰もいなくなった」後の鎌倉で生き残る。

 最終回がどのようになるのかはわからないが、三浦義村演じる山本耕史は、三谷幸喜が手掛けた舞台や映像作品に数多く出演する常連俳優だ。最終回まで生き残っているであろう義村に何らかの見せ場が用意されているのではないかと推測する。「女子の前では力の限り尽くす」彼の処世術の行く末は如何に。
(了)

【参考引用文献】
1.「三谷幸喜のありふれた生活1101」(「朝日新聞」、2022年9月8日付朝刊)
2.坂井孝一「承久の乱-真の『武者の世』を告げる大乱」
3.2に同じ
4.呉座勇一「頼朝と義時-武家政権の誕生」(講談社現代新書、2021年)

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