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歌詞読んでみた lyric.6 / エッセイ「役割」

このテキストは、その月に読んだ歌詞の中から選出した歌詞のコラム歌詞にまつわるエッセイ「歌詞読んでみた」と題し、まとめた連載である。

7月はこの連載にとって大切になった日があった。13日、「作詞家だらけの座談会」というイベントに行ってきた。読んで字のごとく作詞家が一堂に会す貴重な機会であり、出演されていたのはRUCCA、松井洋平、宮嶋淳子、ケリー、齋藤知輝(Academic BANANA)(敬称略)の5名

アニメ作品を手掛ける方いらっしゃるので、その作品のファンにとってもたまらない顔ぶれであり、わたし自身も愛好するラブライブ!シリーズを担当している作家である宮嶋淳子とケリーの両名を目当てに参加した

内容については、作詞家の仕事にまつわるエトセトラがテーマとしていくつか用意されていたのだが、アルコールがやや暴走していたため、仕事に関する詳しい話は正直思ってたよりも聞くことはできなかった

良い意味で身近な人たちだなと思う一方、しかしながら、確固たる情熱をもって作詞家業に従事している作詞家に、もっといえばクリエイターに直に触れられた感動もあった。なかでも、齋藤知輝さんはこの日のために参加者全員の歌詞を片っ端から読んできたそうで、歌詞への並々ならぬ熱弁をふるっていた姿には多大なる感銘を受けた。

得も言われぬ感動が経過とともにわたしの身体に浸透してくのを感じながら、あっという間に会は終了。終演後、宮嶋淳子さんやケリーさんに歌詞を書いてるノートを見せたり歌詞が好きであることなどを直接お伝え出来て感無量。忘れられない1日になった

それと、もう一つ。宮嶋淳子さんがあまりにも可愛くて胸が苦しくなってしまったのはまた別のお話…。

それでは7月度の「歌詞読んでみた」、始めます。



欅坂46『キミガイナイ』
作詞:秋元康

君のいないこんな世界
想像よりももっと
退屈だった

欅坂46『キミガイナイ』より

欅坂46からオススメいただきました。欅坂46は全然知らなかったのですが、これ良い曲ですね。人肌みたい。

サビがポリリズム(異なるリズムが同時に進行している)で、「1,2,1,2,1,2」とリズムが流れる曲の上で3文字を刻んでいくこと演出される淡々とした浮遊感と閉塞感が、後半にかけてだんだんとメロディーを流していくことで解き放たれる心地よさが得られる

具体的には、サビの最後部「君のいないこんな世界 想像よりももっと退屈だった」という帰結前半部からは「1,2」と「1,2,3」というバイオリズムが合わないなりに一緒にいるふたりが感じてしまう窮屈さや依存心が伝わってくる。それが後半部では、喧嘩別れによって束縛から解放されるも、ほどけたリボンが宙にただよっているように行き場をなくしてしまっている。そうして「僕」は「君のいないこんな世界 想像よりももっと退屈だった」という帰結に至るのだった

この心境はきっと「君」もおなじで、おそらくこのふたりは共依存にあるのだろう。神視点のわたしは、喧嘩で断絶しているふたりに今すぐ待ったをかけたくなるのだが、壁の向こうの隣人の気配に気が付けているのなら、このふたりが再会を果たすのは近いだろう。


工藤祐次郎『東京うなぎ』
作詞:工藤祐次郎

楽しすぎるぜひとりぼっち 歩いてみようか春の夜
ひと駅ふた駅どこまでも行けるねェ
陽気な歌を歌って行く かなしい声で歌って行く

工藤祐次郎『東京うなぎ』より

オススメいただきました。うなぎよりタレご飯の方が好きです。

諸説あるが、夏目漱石が「I love you.」を「月が綺麗ですね。」と翻訳したのは有名な話ですが、とどのつまり「うなぎを食べに行こう」とは「I love you.」である

しかし、歌詞で語られるのは「うなぎが食べ”たい”」であり、つまり「I wanna say ”I love you”.」なのである。

楽しいはずのおひとり様に寂しさが滑り込んできた。そんな侘しさに共感した。修学旅行でなんとも思ってなかった神社仏閣のおもしろさに気づき始めた頃から、ひとに何かを分け合って生きていきたい慈愛やその尊さが、イヤでもわかってしまうようになった。

「楽しすぎるぜひとりぼっち」はまさにその通りで、友達と遅くまで飲み過ごしたあと、音楽ライブに熱狂したあと、良き映画を観たあとで、私有する幸福はいつもわたしを満たしてくれる。これまではそれで良かった。しかし残念なことに、それが寂しい事だということに気づいてしまったからは、秒針を自在にしてくれたわたしの赤いNIKEはいつからかカウントダウンをするようになっていた。きっとこの「僕」もそういうわだかまりを抱えてトボトボと帰路についているのだろう。

僕のポケットの小銭がチンと鳴る
ポケットの小銭がチ~ンと鳴る

工藤祐次郎『東京うなぎ』より

チンベルみたいに響くポケットの小銭は、楽しい楽しいひとりぼっちのさみしさに気づいてしまった「僕」をマイルドにしてくれる。

この歌詞は、ひとり寂しい孤独感を歌っているけれど、木枯らしや小銭のメタファーによって、古典的なアニメのギャグのように牧歌的でまぬけに仕上がっている。

後半へつづく


UNISON SQUARE GARDEN『エアリアルエイリアン』
作詞:田淵智也

宇宙遊泳はミステリアス 知的生命、来る
地球侵略目論んで小手調べ
自適悠々の森暮らし 人類見物に興ず
余計な喧嘩買ったって意味ないし

UNISON SQUARE GARDEN『エアリアルエイリアン』より

武道館行きたかったです。オススメありがとうございます。

おそらく『シュガーソングとビターステップ』がヒットした経験で思うところがあっただろう。人里離れた場所で作品をつくりつづけるいつもの生活を営んでいたところに、ある日突然「この歌詞はどういった意味は何ですか?」「制作秘話はありますか?」と意気揚々と踏み込んでアレコレと訊いてくる輩が現れはじめる

「歌詞を読めばわかります」「そんなもの作品には関係ないでしょ?」で終わる質問を、昨日まで知りもしなかったくせに、質問することが興味あるとでも思って良そうな見つけただけの分際が、厚かましい顔で興味ありげに侵入してくる鬱陶しさ。余計な時間を取られたりもするんだよ、想像しただけでゲンナリする

「エアリアルエイリアン」とは「空気を侵略する人」。エイリアンたちはデリケートな”作品”の扱い方を心得ないまま、ベタベタと触り、解剖し、解説を構築して、乗っ取る。

もはや公共物となってしまった作品は「私の好きなものは良いものに違いない」という認知バイアスを着させられて一括りに”良い曲”と認定されてしまう平たい評価から隔絶されてしまう次も”良い曲”をと身勝手に期待される

これを書いてて冷や汗がとまらない。この曲がアルバムの1曲目に配置されているということは「アルバムを聞いてくれてる君は”ちゃんと”味わってくれるよね?」と合意したいんだ。誇りがあってやんちゃで、サイコーだ。

厚化粧の加害者 孤独症の被害者 捏造された団結間
括りだした加害者 群れを絶った被害者
覚悟もない癖にへらへらするな
Alien now!

UNISON SQUARE GARDEN『エアリアルエイリアン』より

UNISON SQUARE GARDEN『君の瞳に恋してない』
作詞:田淵智也

虹色に光る幸せ そんなものがなくても
小さじ一杯のカラクリが生み出せるもの
ちょっと信じてみてはくれませんか 保証がないのは本当だけど
僕の手を握っていいから

UNISON SQUARE GARDEN『君の瞳に恋してない』より

別の方からもUNISON SQUARE GARDENをオススメいただきました。同じ作詞家が被るので悩みましたが、この曲が好きなので取り上げました。

タイトルはいわずもがな『CAN`T TAKE MY EYES OF YOU』(邦題:君の瞳に恋してる)からインスパイアされている。

さっきの『エアリアルエイリアン』は外敵に対する警告だったが、この曲はファンに向けたラブソング。

田淵智也がプロデュースするDIALOGUE+に出会ったことから彼の哲学に触れて実際にファンとして扱われている体験から見た時に、彼が在りたがっているファンとアーティストの、あまねく人と人との繊細な関係が表現されてる気がした

あくまで僕たちは対等なのだ。彼はそれを「君の瞳に恋してない」と云う。あくまでも君と僕とはそれぞれ自由に生きてる。でも生きるのは楽しい事だけじゃないし、時に好きなものから離れざるを得ないほどの事情を抱えることだってある。

それは君だけじゃなくて僕も知ってる。だから「けどわかる」んだ。僕の自由は決して君のためじゃないけど、同じ気持ちや経験を持つ者同士だからわかるんだ。僕はミュージシャンだからそれを歌に、ライブにするから。

僕の精一杯、小さじ一杯が生み出せるなにかは、”幸福”とも”希望”とも”
”充足”とも呼べる”何か”を君にあげられるはず
。チューニングがままならない僕たちだけど、この曲を聞いてる間だけは幸せでいたいね、みたいな。無垢で純粋でストレートなラブソング。


さだまさし『線香花火』
作詞:さだまさし

ひとつふたつみっつ 流れ星が落ちる
そのたびきみは 胸の前で手を組む
よっついつつむっつ 流れ星が消える
きみの願いは さっきからひとつ

さだまさし『線香花火』より

自薦です。歌詞を読む時、Uta-Netに大変お世話になっているのだが、このサイト内に「言葉の達人」というページがあることを先日発見した。

様々な作詞家のインタビューがされており、見つけた時は宝の山を見つけた気分になった。

『線香花火』は宮嶋淳子さんがこのインタビューの中で大好きな曲として紹介されていた。好きな人の好きな曲とあらば聞かない選択肢などなく、聞いてみるとこれが本当に素晴らしい曲だった

「きみ」と「僕」を終始淡々と描いているのに、仕草ひとつひとつが豊かで美しくて、「ぽつり」「ことり」「ぽとり」と、のったりとした日本語のオノマトペは名残惜しさを振幅させる。寂寥や諦念が錯綜し、張りつめた空気に思わず息を呑む

この歌詞はわたしの筆舌を尽くして語りたくなるけれど、言葉にすればするほどこの世界の美しさを陳腐にしてしまいそうなのでここまでに留めたいとおもう。ぜひあなたのこころで聞いてみてほしい。


エッセイ「役割」

「歌詞を読む」にあたり、わたしはふだん登場する言葉たちをひとつひとつ丁寧に掬いあげて風景や思想を想像するのを心掛けているのだが、特に優れた歌詞というのは、(メロディーの表現力も大いに考えられるが)あえて読まずとも聞く人に情景を自然と想起させる力を持っているのだと『少年時代』を聞いてて気づいた。

この『少年時代』で去来するのは、当然ながら夏休みの思い出である

小学生の頃は兄弟だけで新幹線に乗って田舎のおばあちゃんの家に遊びに行くのが毎年の恒例行事だった。夜遅くにカブトムシを採りに行ったら肘にコクワガタがとまってたとか、映画館に『猫の恩返し』を観に行ったとか、川遊びのあとに食べたアユの塩焼きが美味しかったとか。

ゲームセンターで遊んだ帰りにTSUTAYAに寄って借りてきた映画を見ながら、ペヤングを初めて食べたおばあちゃんが「おいしいね」と言ってのは今でも憶えてるし、今日はキーを挿しっぱなしにして開扉すると鳴る軽自動車の警告音や車内の蒸し暑さを思い出した。

思い返せば、わたしの夏の楽しい思い出は全てあの1、2週間のあの場所に詰まっているといっても過言ではないかもしれない

ただの思い出はここまでにして現代、耽っておきながらこう言ってはなんだが、思い出に浸る自分に嫌悪感を抱くことが増えてきた。30を超えても未だ自らが何者かを問い続けては答え未だ出ず、逃げ道として思い出の中に姿をくらましたがってる自分に嫌気が差す。

安らぎは残酷なくらい安寧をくれる。だがその安寧に身を沈めてはつくずくわたしは相も変わらないままでいるばかりで、そんな自分は好きになれない。追いうちをかけるように、それを変えようにも覚悟を決めきらない自分が好きではない。平凡なビジネス書の安い格言に取り込まれてしまいそうになるくらい現在のわたしは打たれ弱い。

そこで、冒頭の「作詞家だらけの座談会」で感銘を受けた話に戻る。あのイベントに参加したわたしは自惚れにも、この連載の役割を見つけた気持ちになった

なんとなく始めた「歌詞読んでみた」が創作者と地続きだったこと、意味なく始めた自己満足に意味や可能性がみえてきたこと。ただのいち消費者から脱却し、わたしが在りたい姿になれそうな、自己肯定感と解像度がまたひとつ変化した気がした。

汲みとった歌詞の意味にわたしの感性を一垂らしした化学反応をテキストとしてエンタメ化する。例えこれが身の程知らずの戯言だったとしても、わたしはこれに縋りたくなってしまった。

自己顕示欲や承認欲求などでは断じて無い。クリエイターへのあくなき敬愛や憧憬を自らの言葉で以ってお礼をする。あのイベントはそんな存在意義をわたしに与えてくれた。

病めるときも健やかなるときも歌詞を読んで、次は誰かのためになるように。そして、わたしのためになれたら。


以上、7月度の「歌詞読んでみた」になります。本稿への感想やおすすめの歌詞などは、コメント欄、Xのリプライ、DMにお願いいたします。大変励みになります。それではまた来月に。

おしまい。

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