見出し画像

歌詞読んでみた lyric.4 / エッセイ「5月の憂鬱はカーステレオに流れて」

このテキストは、「歌詞読んでみた」と題し、その月に読んだ歌詞の中から数曲を抜粋し、その曲についてのコラム特に気になった歌詞にまつわるエッセイをまとめた連載である。

5月はとても苦しかった。音楽を聴いても漫画を読んでもアニメを見ても、テレビや動画コンテンツを見る事さえ内容が全然頭に入ってこなくなってしまい、明らかな集中散漫な状態にあった

それは散らかりだした机上やnoteの記事や歌詞の書き起こしが滞ったりなどの生活リズムの乱れが物語っていた。記事作成や書き起こしに関してはまるで言葉が出てこなくなってしまい、とりかかれたとしても机の上を片付けはじめて現実逃避に走しまうなどなんか調子が狂ってしまっていた。もはや文章の書き方すら忘れそうな気配すらしていた

本連載において、歌詞を読むことができないのはかなり深刻な状況である。銭湯やサウナで汗を流したり腹いっぱいご飯を食べてみたりして、体調面からケアしてを試みた結果、これを書いている5月27日時点ですこしずつだが回復の傾向にある

調べたところ、机の上を片付ける等の現実逃避行動は心理学や精神医学の分野では「防衛機制」という無意識的な心理的メカニズムらしく、ついついスマホを触ってしまうのもこれに該当するとおもう。「防衛機制」、なんかカッコイイ

苦しい状態にある一方で、5月は文章を書くのが楽しくなってきて書きたいモチベーションや意欲が高まっていた時期でもあった。モチベーションとコンディションがかみ合わない不運に見舞われたが、振り返ってみると変調した状態でインプットに取り組んだ新しい経験ができた時間でもあった。

ちなみに防衛機制には階層的段階があり、成熟した防衛機制のひとつにユーモアという分類がある。うるせえ事を言ってきたやつに対して皮肉を返すなど、危機をユーモアに昇華してストレスを霧散させることを指す。

ここでひとつ気の利いたジョークでも言えれば文章としてカッコがつくのだがなにぶん調子が悪いもので、ユーモアを考えるストレスでまた机がキレイになってしてしまうため、ここでは差し控えようとおもう。防衛機制防衛機制。

なんて言っておりますけども、ね、それでは「歌詞読んでみた」を始めます。



岡山健二『something』
作詞:岡山健二

君の名前を呼んで 僕は気づいたよ
心に降る 雨のしずくが
君の瞳を浸そうとする その時に
まぎらす 何かが言いたい

岡山健二『something』より

「どうして言葉にしたくなるのか」を描くこの曲から始めよう。

『BRUTUS』No.1008の特集「一行だけで。」で見つけた岡山健二『something』。調べてみると、以前歌詞を読んだandymoriの元ドラマーだったとことがわかった。伏線回収した気分になった。

「(君の名前)、~~~だね。」と、涙がにじむ君を気にかけようとする僕。「君の名前を呼ん僕は気づいたよ」の””とあるように、勘の悪い僕はそこで初めて自分の気持ちに気づく。どうやら優しくて素朴な人物のようだ。

どうしていいのかわからなくなってしまうので、わたしも人が泣いている姿はすこし苦手だ。泣く=悲しい、辛いと勝手に共感してこっちも辛くなってしまう。

だからこの詞の僕は君の悲しみを取り去ろうとしてるのかもしれない。冗談か、同調か。君の見方であることを指し示せるコトバを、僕はラジオの聞きかじりをたよりに手探る。ガイドラインでデッサンしながら思い描く線を探ってるのである。

冬の夏の歌を口ずさむ人って
かわりものだってね 気づいてる?

時の流れの中 忘れ去られて
今では もう誰も思い出さない
かけっぱなしのラジオで覚えた
言い回しのような

岡山健二『something』より

ポップに言えば、SNSでよく見られる「ああ語彙力…!」みたいな嘆きに似ている

笑いかけたり抱きしめたり態度で示すのではなく、言葉にすることが彼なりの優しさなのだ。なぜ言葉なのだろう

冒頭にある「丸めた背中じゃ 何かちょっと頼りないかい」「ふとした優しさの欠如が気になっている」にみる低い自己評価やこの詞に点在する比喩表現から察するに、おそらく彼は言語に対する信仰心をもっていて、こんなに至らない自分でもどうにか気持ちを届けられると言葉に祈っている。ラジオのなにげない言葉を感知していたり、言葉によって救われた経験があるのかもしれない。

最後のサビで「もしくはそこに光を」が追加されてる所には、言語表現者としてのわずかな欲が垣間見えておもしろい。その涙をさらに美しく飾りつけてあげたくなる欲求。

わたし自身ももちろん信者のひとりであるので彼の欲求や”何か”は共感できる。だが、その”何か”を言語化するには至っていない。タイトルが英語なのも、日本語使用者が見た時に、より”何か”っぽい印象を与えられるからなのだとおもう。


STU48『暗闇』
作詞:秋元康

夜よ 僕に歌わせるなよ
想像だけの愛の世界は
都合のいい思いやりばかりで
説得力がない

STU48『暗闇』より

いつもありがとうございます。前回記事で秋元康作詞をレビューしたことに関連してオススメいただきました。

48グループのひとつで、瀬戸内を拠点とするSTU48のデビュー曲となる本作は、暗闇がもたらす閉塞感と解放感の二面性を、大人でも子供でもない主人公の過渡期に重ねて大人への抵抗を描いている。

閉塞感と解放感の他にも、夜と朝、やりたいこととやりたくないこと、理想と現実、故郷と都会、欲しいものといらないもの、この詞には二項対立が多く用いられていて、この様々な引力の間を行き来しながらアイデンティティを獲得しようとしている。

この僕はまだ幼い。二項かつくり出す範囲の中でしか物事を考察できていないしグラデーションで捉えることもまだできていない。だから綺麗事の反対は無様に傷つきながらうろたえることを生きることだと思っているし、世界の解像度がまだ未熟だから僕はまだNOでしか自身を主張することができていない。これは幼児の成長過程におけるイヤイヤ期に似ている

自らの自我で立ち往生してしまっている僕が求めた逃げ場が暗闇だ。幼稚な部分を変えなくちゃいけないことに気づいていて、でも大人にはなりたくない。その身を暗闇に溶かすことでへばりついた激しい自意識や高い自尊心を落とし、曖昧模糊とした実体で内なる是を問うている。幼児もイヤイヤのつぎはナゼナゼが始まるのだという

この歌詞はそんな成長の息苦しさを歌っているのだと思う。読みながらイヤイヤばかりだった僕が暗闇の中で辿りついた答えを楽しみにしていたのだが、わたしが読み解く限りではその答えの示唆は見つからなかった。NOに支えられるアイデンティティはたかが知れている。煮え切らない読後感があるものの、デビュー曲ということを考慮すればその未来はSTU48に託されているのだろう。

夜道って歌いたくなるよね。深夜0時に駅から自宅まで歩く十数分、誰もいないことを良い事に気持ちよくウルフルズとか歌っちゃう。


水樹奈々『COSMIC LOVE』
作詞:園田凌士

BABY,BABY LOVE 聴こえる?
深く長い夜の闇に溶けてく
確信 胸に潜めて

水樹奈々『COSMIC LOVE』より

5月上旬、日向坂46×水樹奈々の記事を書くため、ハマりたての頃のように隅から隅まで水樹奈々の楽曲を聞いていた。この曲は作曲と作詞の調和が素晴らしく、あらためてじっくり読んでみた。

本作は意中の人にときめく浮遊感を宇宙になぞらえている。二人の関係性はまるで惑星と衛星のように、つかず離れずの距離感で回遊している。

"space" "galaxy" "cosmic" ”universe”、宇宙を形容する英単語の中でなぜ”cosmic”であるのかは、周辺惑星が2,3個あるくらい宇宙空間での重力などの力学的な関係が影響し合っているイメージ、その領域における関係性がテーマだからだろう。

意中の君を私のパートナーにしたい音波を媒介する大気が存在しない宇宙空間ではその気持ちは届かない。それでも健気に「声が聞こえますか?」「この鼓動を感じますか?」と君に呼びかけている。経過する日々を「1/365が終わってしまうだけで悔しい!」とじれったく思う、とても素敵な可愛らしい片想いだ

ここで注目したいのはサビの終盤、上記に引用した部分のメロディ。どこか不穏な余韻を感じないだろうか。「確信 胸に潜めて」が「確信 胸に潜めて(……)」に聞こえる。

明確には記載されていないが、おそらく意中の君のことを好きな人がもう一人いる。惑星を周回する衛星が1つではなかった。しかもどうやら君の気持はそっちに傾いてそうだ。私はそれを「確信」してるのだろう。その仮説を裏付けるようにラスサビでは同じラインながら「確信 胸に潜めて」と三点リーダーが追記されている。

それを踏まえた上であらためて歌詞をさらってみると、カラフルなトーンにダークトーンが付け足され、単調だった風景に立体感や風合いが生まれている。MVのアンティークな風合いは楽曲の世界を再現しているのだとさまざまな線が一本化して、長年聞いてきた楽曲がようやく腑落ちした。

歌詞を読むにあたって作曲面でのニュアンスも拾えるよう努めようとおもった1曲でした。


ヤユヨ『愛をつかまえて』
作詞:リコ

代わり映えないというか
変わり甲斐がないほどに
幸せだったよ、私。
あなたもうそうでしょ、私たち。

ヤユヨ『愛をつかまえて』より

こちらはオススメいただきました楽曲になります。ヤユヨは20219年1月に大阪で結成された3ピースポップスロックバンド。この楽曲のライナーノーツも添付していただきましてそれを参考に歌詞を読んでみました。

歌い出しの「代わり映え」や「変わり甲斐」のないとは天井を叩いたという意味ではなく、試行錯誤の果てに理解しつくしてしまった私たち二人の未来に愛が存続していないのを見てしまったのだろう。

この詞は”愛”を定義することを「愛をつかまえて」と云ってるのだとおもう。愛情の温度も表現方法もバラバラなどこまでいっても他人は他人なんだけど、バラバラな2人が持ち寄った愛情と思しき何かを混ぜ合うことで定義が見つかるのだとわたしは信じていた。そのためにあなたの趣味や嗜好に踏み込んで、言葉や肉体を通じて心を知ろうとした。そうでもしないとつかまえられないと思うから。

だけど君はそれに夢中になるばかりで、わたしたちの間にあるそれを育むことに付き合うそぶりをみせてくれない

イヤな予感がするこんな事を過去にやっちまってる気がする。美術館についていってもサルバドールダリすげえしか言わなかったし、旅行してもただついて回ってるだけ。2人が過ごしてる時間とか場所とか、そういうものに対する興味が希薄だった。

あなたは私の、私はあなたの
愛や暮らしになりきれない

ヤユヨ『愛をつかまえて』より

そうしてある日、いつしか”愛を育む”をしてることに気がつき、かろうじて愛を保っていた緊張を手放してしまった。

君がこちらに乗ってくれないことにイヤミやため息をつきたいとかじゃない。ただ私と君が見てる方向や世界の相違で相互扶助が成り立たないのなら、別々に愛をつかまえる日々を送りましょうと伝えているのだ。そこにはべつに怒りや怨念は特にない。ただ粛々と事実を受け入れているのだが、相手目線からすればその態度がドライに映ったりするのだろう。…なんか書いててすごく息苦しい赦されたい気持ちになってきた

それではこの私の求める愛は何だろうか。それはきっと今日の晩御飯をラーメンにするかかカレーにするかを二人で悩んで、散々揉めたあとに二人で餃子を食べに行くことなんじゃないかっておもった。


ここからはmihimaru GT『いつまでも響くこのmelody…』を書き起こしたときに感じたわたしが文章を書く目的がみえた話を書き綴っていこうとおもう。


エッセイ「5月の憂鬱はカーステレオに流れて」

我が家は音楽をそれなりに聞くので、Earth ,Wind & FireやQUEENや80年代ディスコソングコンピレーションなどの洋楽、宇多田ヒカルやスピッツや平井堅などその時流行ってるJPOPなど、色んな曲をカーステレオで聞いた

思い返せば音楽を聴くといったらカーステレオばかり記憶に残っている。家族と出かけた帰り道、父親を迎えを待つ間、習い事の送迎など、わたしの初期の音楽体験はすべて車の中だったといってもいい。

中学生になる頃には、親からおさがりのCDコンポを譲り受けたりニコニコ動画やYouTubeなどの登場によって、音楽を聴く手段が格段に増えた。気になる曲をテレビで見つけては、同級生の兄が働く近所のTSUTAYAで借りてきたり、友達の持ってるCDを焼いて譲ってもらったりしていた。

なかでもmihimaru GT『THE BEST of mihimaru GT』は何回聞いたかわからないくらい聞いた。人生で一番聞いたアルバムかもしれない。あの時の『THE BEST of mihimaru GT』のコピーCDは今も大事に取ってある。

『いつまでも響くこのmelody…』は特に繰り返し繰り返し聞いてた曲のひとつで、MSNのアドレスを取得して当時の彼女とメールしてる時にパソコンで流してた。今でもたまにこの曲を聴くとあの時の気持ちが蘇ってきて心臓がキュッとなる。

いまこうしてわたしが作文を趣味にしているのは偶然であるため、この趣味が目指す所はなかった。せっかくだからいつかは書籍化して即売会とかに出店してみたいとは思うけど書きたい内容などは見つかっておらず、明確な目標としては定まりきらずにいる。

そんな折にこの曲を書き起こしたことで、文章を書く事の目的が見つかった気がする。おそらくわたしは過去を洗い直して整理をつけたいんだろう。文章が出来上がることで整理がついた証拠が欲しいんだと思う。

この曲を聞いてた中学生時代、楽しい思い出もたくさんあれば少しだけだが苦々しい経験もした時期でもある。この少量だが劇的な苦々しい経験によって、わたしは記憶することを半ば放棄してしまい、20代半ばになる頃まで人間らしく生きることが下手になってた。次第に人間らしさを取りもどし(回復といってもいい)ていき、いま30代を生きていて、偶然にも文章を書いている。

「30代は人生の伏線回収が始まる」なんて聞いたことが、わたしの伏線は文章をつくることで回収される。そんな予感がした。

それからはキーボードを打つ指が力んでしかたない。より鋭く観察し、豊かに感じて、自由に表現する。そういうプレッシャーを無意識に自分にかけてしまっていたから5月の不調を呼んだのだろう。6月からはそれと上手に向き合うようにできればいいな。

わたしの伏線回収が書籍なのか、はたまた別の媒体なのか、この予感はどんな形になるかはわからないが、これからは遠くの目的を成就できるように、これからも考えて生きていこうとおもった。

次第に期待 満ち溢れた毎日
送れそうな予感を I believe
Leave me alone
Make me open your heart

mihimaru GT『いつまでも響くこのmelody』

以上、5月度の「歌詞読んでみた」になります。本稿コメントやXのリプライ、DMにておすすめの歌詞や感想などいただけますととても嬉しいです。それではまた来月に。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?