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【ゴジラ-1.0】今更ながら筆者のスキポイントを解説していく

ども!ちょこぷりんです。

今更ですが、富士山の帰りに【ゴジラ-1.0/C】見ました。
いえ、キチンと劇場でも見ましたよ。
これで視聴は4回目
映画館で3回。うちモノクロが1回。でアマプラで1回。
もう内容もばっちりと覚えました。

ですが何度見てもいいですね。しっかりと骨のあり、
かつ人情にあふれたストーリー。
敗戦当時の雰囲気をオブラートに包まずしっかり書き込んだことも含め、
称賛しかありません。

そんな筆者お気に入り。
というより世界的にも有名になった「ゴジラ-1.0」について、
筆者のスキポイントおよび心持を書いていこうと思います。

いちおうネタバレ含みますし、
筆者の思う事全開で書くので
気を悪くしたらブラウザバックしてね!

それじゃ、行ってみよう!


"撃てなかった敷島"と"撃つ理由が出来た敷島"

まずは主人公から。
敷島が大戸島でゴジラと初対面した時
と、
敷島が横須賀でゴジラと対面した時

どちらも戦闘機に乗っていますが、
どちらも心象が180度ガラリと変わります。
それまで経過してきた年月があるから!といえばそうなんですけど
大戸島の時は、
敷島は「戦いたくはない。たとえ自分がタヒに直面しても」なのですが
横須賀の時は、
敷島は「刺し違えてでも倒す。
ただ、自分を待つ子のために極力タヒなないように」
と、戦う思いが変わるんですね。
ここまで精神を変えられるほどのストーリーは、バトルものではありがち
ですが、この映画の根幹は"戦争経験者が再度戦う"という
絶望にさらされた人らに更に鞭打ちするような背景
がありますから、そこを考えて横須賀戦を見ると
敷島の切羽詰まった感じがとてもカッコよく感じます。

これはどれにでも言えるのですが、
人は戦う理由があるからこそ強くなれます。
その理由に人のタヒが絡めば絡むほど
シナリオは凝縮して面白くなると思ってます。
さらに、そのタヒがリアリティに近づくほど、味が深くなります。
今回で言えば昭和の敗戦という背景で、
かつ敗残兵という戦うことの虚しさを知る人だから。
という所もミソ。


"復讐に燃える男"敷島

敷島のもう一つの大好きポイントですね。
敷島にどんどん幸福が訪れ、心身共に安らいでいき、
徐々にPTSDから戻っているところに
ゴジラがドーン。愛する人がバーンと吹き飛ぶ。

敷島には最愛の拠り所だった人が居なくなって絶望に苦しむ姿。
たまりませんよね。最高です。
人が苦しむ姿は最高に絵になる。カッコいいですね。

そして自分のタヒを顧みずゴジラを倒そうとする心変わり。
先に述べた"戦いたくない。タヒにたくない"という思いは
すっ飛んでいきます。
やられたからにはやり返すのが心象。
自分の人生で憎っくき相手、ゴジラは生かしちゃおけないんです。
そのためには何だって利用します。
確実に勝てる戦術なのか野田に問いたり。
(確実。が無ければ別案を考えようとしていたと思います。)
震電に爆弾だってこっそり積んじゃう。

ただ、最終出発の橘から脱出機能を教わるまで、
明子のことを忘れております。
爆弾をゴジラに当てるには嫌いな特攻をしなければならない。
じゃあ後のことは他人に任せて復讐を遂げるぜ!な感じでした
が、自分が生きて帰れる手があることを知り、明子の元へ帰るため
脱出を決行します。

「明子」が結構キーなんですよね。このシナリオ。
冒頭のヒロインとの繋ぎ止めも明子だし、先の生きて帰る理由も明子だし。
この子が居なければ脱出なんかせず確実に特攻してタヒんでますもんね。

ずーっと復讐を遂げる為の"鬼"が、
一手の選択が生まれたことで"父親"に戻るんです。
その心象を意識したうえで震電の発進シーンを見てください。
表情が優しい顔になってますので。


筆者お気に入り

"熱い魂を持つ男"長さんこと秋津さん

この人はスキなポイントが多いですね。
元々船乗りだったのでしょうか。
銃の腕はからっきしですが、船乗りとしてのキレがあり
都度ゴジラに遭遇しても生還した幸運の持ち主ともいえます。

この人は昭和の人情を体現した様なキャラクターになっており
言いたいことはズバッっと言い、オブラートに包むところはキチンと包む。
義に熱い男です。

かれもまた戦中を知るキャラとなっており、
感情こそ表立った動きはありませんが
"小僧"こと水島が「戦争が長続きすれば活躍できたのに。」という
言葉に対しても、「ばーか」の一言で終わらせております。
ここね。熱いんですよ。
敷島が怒りをあらわにするシーンでもありますが、
同じく戦争を経験したであろう秋津さんも
怒りがこみ上げるものがあったと思います。
だが、戦争の悲惨さを直に味わっていない世代の水島に対して、
敷島のように怒り狂っても意味がない。
そう判断したように思います。

「軽はずみなこと言うんじゃねえぞ。
 こっちとらお前らには経験させたくないんだよ。」
という心が、「ばーか」の一言に収められております。
熱い。熱すぎる。
多くは語らず、だけど放置しっぱなしにもしない。
適度な接し方で落としているところが昭和の男。という感じがして良い。

それから、彼を語るうえで一番のスキポイント。
それは海神(わだつみ)作戦決行時に水島を作戦から外したシーンだ。
「お前は役に立たない」と言い水島を作戦から外す秋津。
「一緒に戦いたい」という、いわば戦争に志願する水島。
「お前らの世代に未来を託したい」と、作戦から帰れないことを悟り、
刺し違え覚悟の作戦に若者を外し、戦争経験者らで戦いを終わらせよう
とする秋津。

水島と秋津の交差する想い。
ここが戦後まもなくの想いだと思うとなお熱いものを感じます。
先の冒頭との絡みにある通り、秋津は水島には
つらい戦いに出て欲しくは無いのです。
未来を築くのは若者で、そんな若者にはタヒぬかもしれない戦いには
参加して欲しくは無いのです。
なので、テンプレの様な言い回しで水島を作戦から外す。
わかりやすく、かつ昭和チックで素敵じゃありませんか。

ゴジラという第二次世界大戦とさして変わらない規模の戦いを、
手元にあるなけなしの作戦で何とかしなくちゃいけない。
秋津らは二度、未来を守る為に自身らを盾として使ったのです。

結果としては無事にゴジラを倒すことが出来ましたが、
玉砕してでもゴジラの進行を阻止するつもりでした。

それはかつて日本軍が取った「特攻作戦」と同等です。

それでもやらなければならない場面でした。
皆で助け合って。ではないのです。
誰かが追わなければならない責務。ならばこそ、若者ではなく
自身らを差し出す心意気。

これが、秋津と水島とのやり取りに含まれている感情だと思います。

タヒしてなお守り通したいもの。
タヒという概念が隣接する時代を生き抜いたからこそ出る思いの重さ。

これを大和魂というのであれば、色褪せず未来へ受け継いでほしい。
と筆者は思っております。

筆者は、この2つの秋津のシーンが、一番好きです。


おわりに

感情文ダラダラーっと書いてしまいましたので
あてどない長文になってしまいました。ゴメヌ

ホントはもっと語りたいところがあるんです。
ヒロインの大石の心象とか野田さんの決意とか、
ザ・昭和の女こと太田さんの大和撫子な魂とか。

戦争後の日本の魂を丁寧に作り上げた作品になっていると思います。
ぶっちゃけここまで敗戦国な表現が書かれた作品ってそうそうないもんで、
ALL WAYSの様な未来が明るい戦後の昭和!って感じとは
真逆な作風がとてもいいですよね。

日本人て戦後79年も経ってるので
第二次世界大戦の敗戦国としての心象って
大分薄れてきていると思うんですよね。
痛々しいから触れないでおこう!な世論が強い気がします。
当時を語れる人が限りある人数になった今だからこそ、
ファンタジーでも戦争後の日本を見せてくれる作品は
ありがたいと思います。

ぶっちゃけゴジラかっていうと微妙なラインの作品ではありますけどね。
「ゴジラ-1.0」
でも、数ある作品のなかでも異質な感じでイイじゃん。好きだぜ。


ここまで読んでくれた方へ

お願いがあります

是非、1作目の「ゴジラ」を見て欲しい。

そして見るときに、
戦争を経験した人たちが、戦後9年後にこれを作ったこと
を思いながら見て欲しい。

作品に登場する大人たちは全員が戦争の辛さを体験し知っています。
核の恐ろしさを目の当たりにし、知っている人たちです。
そんな人たちが"核"の影響を題材にした怪獣「ゴジラ」に登場し、
演じております。

新たなものを作ろう!という意気込みも感じられれば、
"核"への恐怖も知れる良い作品です。

ぜひ作品に登場する人物のセリフをじっくりと聞いてみてください。
そこにはきっと"重み"があるハズです。


「それじゃ、また来週!」

#日記 #映画感想文 #ゴジラ #ゴジラマイナスワン #映画

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