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知らない見えない存在の存在

「テプラ買ってきた」
買い物から帰ってきた妻がエコバッグから取り出したのは、どこか懐かしい雰囲気が漂う「テプラ」。

誰もが一度は目にしてるはず。要は、文字が印刷されたシールを簡単につくれるだけの機械。
まさかこんな唐突にまた目にするとは。というか、まだ売ってるんだ。テプラ。
最後に見たのはいつか思い出せないくらい、テプラは私の記憶からきれいさっぱりなくなっていた。
「そのテプラ、会社とかで、仕事に使うの?」
「いや。棚に貼るシールをきれいに作れるから」
その言葉にハッとさせられた。しかし、その理由まではまだわからなかった。

数日後、早朝から私は近所の警察署にいた。
免許の更新に必要な講習を受けに来ていた。
年齢層様々な集団がひとつの部屋で、講習用のビデオを見せられていた。


その中で何故かひときわ心に残ったフレーズがある。
それはよくある「運転席からは見えない死角がありますよ」というシーンで出てきた。
「見えないということは、存在しないということではない」
講習が終わって家に帰るときにもまだ、そのフレーズが心に残ったままだった。

↑こんなことも最近あった。なんでそうなるか理解できないようなことが現実に起きる。想像が及ばないような需要と供給がマッチング成立することが普通に起こる。

むかし何かの哲学の話を聞いた影響で「いま自分のいる部屋からは見えない隣の部屋は、いまこの瞬間に存在してないのでは?」と不安になったことがある。

仕事以外でテプラを普通に欲しがるような、そんな需要があるなんて私は全く知らなかった。
その昔には見えないものは存在すらしてないのではと不安になったのに、免許の講習ビデオでそうではないことをあっさり納得させられた。

自分が見たり聞いたりしていない、その瞬間に全く知らない世界が、それでも確実に存在することを不意に思い知らされた。そんなここ最近の驚きと発見でした。

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