【SLAM DUNK Gl】98話「消えた天才」
ウインターカップ神奈川予選、決勝リーグ。
激戦の神奈川を制したのは仙道率いる陵南高校だった。
元々、1学年上の世代でも
仙道、福田、越野、植草とスタメンを張っており、
魚住が退場となった海南戦でも対等に渡り合った力があり、魚住、池上の早期引退によりチームの移行も他チームより早く、田岡がさらに鍛えあげた。
ウインターカップ本戦、初出場の陵南の快進撃でベスト8進出。
ベスト4をかけた試合で惜敗し仙道彰の高校バスケの幕が閉じた。
(以降 「リングのない空」と時系列 重複 )
高校バスケを引退した仙道だったが、その能力は高く評価され、大学からの推薦、CBAリーグ、JBAリーグからのオファーは引く手あまただった。
「仙道 進路はどうするんだ? 幸い 選択肢が多い分、考える時間も必要だろう。自分にあったチームを選ぶのもよかろう。」田岡
田岡は当然、仙道がバスケットを続けることを前提とした言葉をかけていた。
しかし仙道は、このまま大学にせよ実業団にせよセミプロにせよプレーするイメージが沸いてこなかった。
そしてその夜、進路の決まっていない福田吉兆をストリートバスケに導いたきっかけとなった日本代表とアメリカ大学選抜の中継を観戦した。
「日本のトップがこんな感じか? ん 確か JBAリーグの選手は代表にはなれないだっけ? じゃ日本代表ではないんじゃないか?」仙道
アメリカのスキルに感服し自身の進む道を見つけた福田吉兆とは対照的に
仙道彰は、日本における現状、力を俯瞰して見ていた。大学でプレーし勉学に励むイメージも仕事をしながらプレーするイメージもサラリーが決して高くないセミプロでプレーするイメージもピンとこなかった。
日本のバスケット界に潜む古き体質、未来ある若者が夢を持てない環境、これが三田良佑の指摘した環境整備の必要性であり、
ある意味、仙道彰こそが犠牲者とも言えるのだ。
強い意志で自分の道を信じ切り開いた流川楓
と今までやってきたことの自己分析、物事を疑った仙道彰。
将来を有望視された二人の道は分かれた。
しかし仙道の考えたことは間違いではなく生きていくことで重要なことである。どちらも間違えではないのである。
「(最後に勝つから 楽しいんだ。、、、、、、、勝てるのか、、?)」仙道
そして月日は流れた。
「仙道! 大学もCBAリーグもJBAリーグも、返答の期間は明日までだぞ!! わかってるな?」田岡
「あっ 忘れてました。」仙道
仙道は笑顔で返事をした。
そして翌日。
「仙道!! 返事してないそうじゃないか!!」田岡
「あわてるこたーない。」仙道
仙道は再び、笑顔で交わした。
「(仙道、、、、。俺はあの募金活動を呼びかける姿を見て、お前が未来のバスケット界を引っ張っていくと信じて止まなかった。田岡茂一の脚本の主演は常に仙道彰だった、、はずだ。)」田岡
災害により中止された国体、勝者なき大会だったからこそ、何を感じ、その経験を将来どう活かすのか、一つの注目であったはずだ。
仙道彰の視野は素晴らしい活動を生み出した。
しかしその広い視野が田岡茂一の誤算も生んだのも事実だった。
ともあれ仙道彰は陵南高校の卒業式をむかえた。
大学、CBAリーグ、JBAリーグ、日本バスケット界にその名を刻むことなく、天才は消えたのだった。
続
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?