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私と明桜高校野球部のフシギな関係

本日も宜しくお願いします!
さて、都市対抗野球が閉幕し、野球ファンとしては本格的にシーズンオフという感じの虚無感があります。
しかし、試合が無いからこそ自由に使える時間も増えるので有意義に使っていきたいですね!

そこで今週末を目標に、秋田県の高校野球に関するボリューム多めの記事を作成中です。
本記事はその前段階企画として書きました。
なぜ私が明桜高校の野球部を応援し続けるのか、そして「甲子園」に執着し続けるのはなぜか。
折角の機会ですので赤裸々に綴っていきます。

気付けば10年以上になりますが、私が明桜高校野球部を応援し続ける理由。
それは「母校だから」というのも勿論あります。
しかしそれ以上に、高校1年生の夏(2009年)に体験した甲子園での応援が忘れられない。この出来事が最も大きいです。

私は小学校3年生から野球を見始めましたが、高校に入るまでは明桜高校(前身の経法大付属含む)以外のチームを応援していました。

自分にとって明桜高校が第一志望ではなく、正直に言いますと入学式からネガティブな気持ちで行きました。
ちなみに、授業が8時限目まであるコースに在籍していたので部活動には入っていませんでした。

入学当初は目標があったわけではなく、授業は長いし宿題の量も膨大だしキツいだけだなと。
「そもそもこの学校に入りたくて入ったわけじゃないし…」という感じでどっちつかずな日々を送っていました。

それでも野球は大好きだったので、野球部の戦いぶりは春季大会からチェックしていました。
なんとも傲慢な考えですが、最初は「もし甲子園に応援行けたら、このつまらない学校生活もチャラになるぐらい最高なんじゃね?」という邪な思いで応援し始めたわけです。

夏の全校応援は誰よりもバカでかい声で1球毎に声援を送り、アルプススタンドで「タイガーラグ」を踊りまくっていました。
準決勝の西目高校戦にサヨナラ勝利した瞬間からは、もう甲子園しか見えていませんでした。

その時はもう当初の本意ではない学校生活云々ではなく、ただ純粋に甲子園に行きたい、この選手たちが甲子園球場でプレーするところを応援したいという気持ちに変わっていきました。

そして前年優勝の本荘高校を破り、野球部にとっても私にとっても悲願の甲子園出場を決めました。はっきり言ってゲームセットの瞬間から先はあんまり覚えていません。
文字通りの狂喜乱舞です。

雨が降りしきるこまちスタジアムの三塁側スタンド。テープの音源と1章節ずれていることにも気づかず、友達と肩を組んで校歌を熱唱(というか絶唱)したことだけは今でも覚えています。

余談ですが、野球部の甲子園出場を境に私は学校生活に関しても心を入れ替えました。
それ以来明桜高校に入ったことを後悔したことは一度もありません。
いや、後悔なんて出来るはずがない。
甲子園の魔力って怖いですね。

また、自分だけが感動を一方的に受け取るのは公平ではないと思い、試験の度に1位を目指し大学受験にも本気で取り組むようになりました。

そして念願の甲子園。
後に私が暫く高速バス恐怖症になるほど過酷な移動でした。
秋田から甲子園球場、遠かったです。片道20時間はかかった記憶があります。

早朝、休憩に立ち寄った大津のSAで「今日最後まで持つかな」と心配になるぐらい車酔いやら緊張やらでおかしくなってました。
バスの窓から甲子園球場の照明が見えてきたあたりで、完全に回復して戦闘モードに入ってましたね。

そしていざ一塁側アルプススタンドへ入場です。
第1試合の聖光学院対PL学園が既に行われていましたが、ここでもうすぐ明桜の試合が始まるという緊張と興奮でそれどころじゃありません。

実は甲子園球場を訪れるのは3度目でしたが、自分が在学している高校の応援というのはやはり格別でした。
スコアボードに刻まれた「明桜」の文字を見ながらニヤけが止まらず、この学校に入って本当に良かったと改めて思いました。

試合は延長12回の死闘の末、日本航空石川にサヨナラ負けで甲子園での勝利とはなりませんでした。
飛び出した3塁ランナーを刺そうとしたキャッチャーからの送球が高々とレフトへ逸れたあの瞬間は、未だに夢に出てきます。
レフト前へ転々とする「ルーズボール」を見送ったあと、悔しさのあまり秋田へ戻るまでの間は泣くことも話すことも食べることも出来ませんでした。

まさにこの敗戦がその後も明桜高校を応援するふたつめの原動力になっています。
私は選手でもないのに「絶対ここに戻る、そして次は絶対に勝つ」と誓って甲子園を後にしました。

明桜が甲子園で勝つところを見たい。その一心で応援し続けて、遂にその時が訪れました。
風間球打投手を擁した今年のチームが甲子園で1勝を挙げたときは、12年分の思いが溢れテレビの前で涙が止まりませんでした。

残念ながら球場で見届けるという夢は叶いませんでしたが、2009年と同じ8月15日の試合というところに勝手に運命めいたものを感じています。
止まっていた時計の針が動き出した。そんな感覚さえ覚えました。

私の高校生活を素晴らしきものに彩ってくれた選手たちへの感謝、あの日の悔やんでも悔やみきれない敗戦。
それが私にとっての明桜高校野球部を応援し続ける理由です。

そして甲子園とは、ひとりの人生をこんなにも変えてしまう魅力と魔力がある場所です。
私の夢はまだまだ終わっていません。

神宮球場で躍動する縦縞のユニフォームも見たいですし、究極的には明桜高校が甲子園で優勝する瞬間を球場で見届けたいです。
その時が訪れると信じて、これからも微力ながら応援させていただきます!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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