#10 宙に浮かぶ選択、多様性を添えて
1960年代というのは、見合婚が恋愛婚の割合を越えていた最後の時代であった。祖母が結婚したのもちょうどそのころで、聞くところによれば、一応は祖父との恋愛婚により今に至ったようである。
当時性も加味すれば、中でも祖母の結婚は、あるいは周りから羨望の対象となるような瞬間があったのかもしれない。
今年10月の暮れ、そんな祖母と2人だけで話す時間があった。精神的慰労という静かな目的のための、有休の水曜日のことだ。
祖父のいないところで、祖母はよく愚痴を言う。
それは別に、今に始まったことでもない。
何度目かの今回はこのような具合だ。
ある日の「ただいま」に応える祖母の「おかえり」の声が小さい、と祖父に言われたこと、またある日に病院へ車で送ってもらったとき、入口の車寄せは「邪魔になるから」と、そこからやたら遠いスペースへ駐車する祖父に、文句も言えないだとか。
「今の人は我慢しないで、言いたいこと全部言っちゃうからね。」
私の世代は中々そうはできないのだけれど、と言う祖母の顔はうら悲しそうに見える。
今の人、にあたるかどうかは怪しいが、15年前に離婚した私の母や、あるいは離婚に至らないものの別居状態にある叔父夫婦のことを、どこか思い浮かべていたのだと思う。そして、未だ前提の音沙汰のなき孫に対しても。
◆
多様性の時代である。
人生上のあらゆる選択肢について、(それこそ法に触れるでもない限りにおいては)"多様性"の擁護のもと、私たちはおおむね許される。
自分にしてみれば、たとえ実家に生活の本拠を置き続けていても、「一応働いている」「経済上のメリットで」あたりを盾にすればいいし、労働に対する基本的意欲に欠けていても「ワークライフバランス」を適当に持ち出しておけばいい。
あるいは、たとえ未婚の内に留まろうとも、「皆がそうする時代ではない」とすまし込めばよいのだ。
それらは全て、多様性の庇護のもとで、私自身があくまで主体的に選択した結果であると、ただそのように言えればよいのだった。
正義の多様性は、個人の選択をまるごと受容してくれる。
それは、あらゆる社会的イデオロギーに抗するために、市井の人々の小さな勇気ある選択が積み重なった成果でもある。そのおかげで私は実に甘美で快適な、限りある命の消費ルーティンを確立した。
◆
そうだとしても。
いつでも、自分が主体的に選択したはずの岸の向こう側には、こちら側より、さも晴れやかな日常が広がっているように見えて仕方ない。あえて意識することを避けようとしていても、隣の芝はいつでも青く、花だって赤い。
多様性は自分の選択の守護者として、最後までこちら側に立っていてくれるのか。ただ怠惰に更けり、つたなく諦めた自分を騙すために、その選択を多様性なる言葉でぐるぐる巻きに封じてしまっただけではなかったか。
人生上の選択は、最後まで客観的評価の機会を喪失している。
自分の選択もまた、誰かにとっての青い芝、赤い花たることだろう。
さりとて、その実感を自分の肉体で知ることはない。
多様性に惑わされて、選択は確かに選択されながらも、どこか宙に浮いている。
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