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君は生き延びることができるか・・・「機動戦士ガンダム劇場版」全部見た

庵野監督が「宇宙戦艦大和」のリメイク権を取得した発表会にてガンダムに触れていたので、そういえば見てなかったと一作目を鑑賞。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ネタバレアリ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

「機動戦士ガンダム」

Mobile Suit Gundam - Movie I / 1981
鑑賞:2024.10.7 記事公開:2024.11.9
監督:藤原良二、富野由悠季
脚本:星山博之、荒木芳久:山本優、松崎健一
原作:矢立肇、富野由悠季

 ストーリーは、アムロがガンダムに乗るところから、地球のジオン軍勢力化の北米に降下し襲ってきたガルマを打ち倒してヨーロッパへ逃げる途中ランバラルに見つかり襲われる、サイド3ではガルマ国葬と議連の演説シーンで終わり。
 ちょっと確認するつもりが、CMも歌もないので、やめるタイミングがなく最後まで釘付け。やっぱり面白い。何年か前にテレビ版を見直したけどあんまり覚えてなかったのか、劇場版とテレビ版の違いは気にならなかった。というか、気にしている余裕はなかった。

 前提として子供向けなので、あまり残酷だったり強い描写は避けてるように思う。けど、フラウ・ボウは目の前で家族を爆発で皆殺しにあったり。よく考えると大変な境遇。これが、彼ら彼女らのこの後を知っていると、グッとくる。アムロが暮らしている植民地サイド7の大人はジオンの襲撃で皆死んでしまい、開発中の最新宇宙船ホワイトベースになんとか逃げ込み生き残った人の中でボランティアとして動けるのが主人公たちしかいなかったという状況。基本は戦争難民。
 最近の鬼滅やチャンソーマンもそうだけど、物語の冒頭にどれだけ悲惨な状況を作れるかは、お話作りとしての肝の一つはあると思う。悲惨な状況を作ることが目的化しちゃったらまずいけど。

 絵柄が巨人の星や明日のジョーっぽくて、そういう時代だよな。と思わされるけど、状況が宇宙コロニーだったりするので、野暮さとモダンさが入り混じる不思議な感じ。線の強弱で絵作りしているのも面白い。チームでクオリティをあわせるのは大変なんじゃないかしら。

 お話としてはハードというか暗い。時代的に男の子といえばスポ根なんだろうけど、アムロもあんまり褒められたり感謝されたりしないし、ちょっと寝たいっていってるだけなのにブライトの当たりが強い。アムロも不貞腐れるくらいならまだしも、PTSDで無気力になったりしてやり過ぎ感が半端ない。時代的に戦争が近かったのか。そんな暗さもありながら落ち込まずそれほど不快感も感じずに見れるのはなぜなのか。

 今回の収穫は、群像劇として見れたところ。初めて見たときは子供だったのでロボットに全神経が向かっていたけど、改めて見ると各々の登場人物に世界観があることに驚く。ランバ・ラル隊にだけ美人なお姉さんがいるのは、子供ながらに不思議だったけど、今見ると色々あったんだろうなとおもわせられる。(『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は正解ではなく参考として見てます)軍人でああゆう人物像はいたのかな。軍隊というよりは、ファミリーで行動してる感もある、軍に属していながら自分なりのやり方を押し通せる彼の政治的手腕の強さも感じるし、結果で説得できている現実主義者としての力強さも感じる。逆に、軍上層部に逆らうことをよしとしている反骨精神のようなものも感じるし、それはザビ家に政治的に対抗しうるバックグランドも感じさせる同時に軍隊組織内での危うさも感じる。KONAMI内の小島監督的にもイメージは近い。ガルマも子供としてはシスコンでナルシスティックな甘ったれのように見えたけど、新興王族ザビ家として地球侵攻後どうするべきか軍人としてより政治的目線で立ち回っているように見える。ドズルは自分にそういう政治的配慮ができないことを知っているので、ガルマが自分を使いこなす人間になると思っていた。デギンも目先の利益しか見えないギレンやキシリアではなく、地球勢力と結ぶことも手段として見ているガルマに任せられるのであればジオン公国の未来が見えていたのかもしれない。ただ、末っ子が可愛いだけでもない気がする。というような世界観が見えてくる感じがして、ガンダムの途方の無いクオリティに改めて驚く。オリジンあっての理解なのかはわからないけれど、そういうところが随所にあっていつ何度見ても面白い。

「機動戦士ガンダム II 哀・戦士編」

1981
鑑賞:2024.10.9、記事公開:2024.11.9
監督:富野由悠季
脚本:星山博之、荒木芳久、山本優、松崎健一
原作:矢立肇、富野由悠季

 せっかくなので二作目。もちろん面白いけど、やりきれないエピソードが多い。ストーリーとしては、地球の北米に降りた早々襲われたホワイトベース隊が連邦軍の本部南米ジャブロー基地へシャアとジオン軍の追撃をかわしマチルダんの補給を受けながらなんとかたどり着くまで。
 展開としては本格的なランバラルの襲撃から黒い三連星、ギャン、アッザムなどマ・クベの見せ場はなし、ジャブローに着いてから防戦を経て宇宙に向かうまで。テレビ版と比べてニュータイプの覚醒についてのシーンが増えてるような。辛いエピソードが続くタイミングとエピソード省略のため息ぬきエピソードの湯おな話がカットされ、かリュウ・ホセイ、マチルダさんと主要キャラクターの退場が頻発する流れで見ていて辛い。テレビ版を見ていた時はこんな流れで死ぬんだと驚きの方が大きかったけど、どうなるか知っている今となってはただ辛い。特にカイ・シデンがメインのエピソードでベルファストの女スパイの回は何度見ても心が苦しい。なんであんなエピソードを……。とにかくホワイトベース隊の運命に翻弄される。セイラさんの戦闘能力が突然覚醒しててびっくり。こんなに強かったけ?ホワイトベースのメンバーそれぞれに試練あり劇終盤には子供たちまで合わせて、しっかりチームが出来上がっている構成には驚いた。個を描きつついつの間にかそれがチームの絆へとつながっていく流れは凄い。なるほど、ここの積み重ねがあるからア・バオア・クー決戦を経て最後のシーンへの高揚感につながってゆくのか。と。マチルダさんやハモンなど、年上女性への憧憬エピソードが続く。監督の好みか少年の目線らしくて良い。ランバラルはまるで戦国武将っぽい。柴田勝頼とか松永久秀みたい。

「機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編」

1982
鑑賞:2024.10.9、記事公開:2024.11.9
監督:富野由悠季
脚本:星山博之、荒木芳久、山本優、松崎健一
原作:矢立肇、富野由悠季

 続いて三作目。これは子供の頃劇場で見ているはず。ストーリーとしては、ア・バオア・クーの決戦に向けて陽動隊として敵の注意を惹きつつソロモン経由で決戦場まで。
 冒頭は宇宙に上がってシャアとの追いかけっこから、中立コロニーサイド6でアムロがシャア、ララァと直接遭遇、ティム・レイとの再会・衝撃、セイラの(敵国建国者の遺児という)とんでもない経歴をひとりで背負わされ誰にも相談できないブライト、からのコンスコン強襲を切り抜け、連邦軍の軍事作戦に加わりソロモン攻略からvsララのサイキックエピソードを経てア・バオア・クーまで一息に。ザビ家の内幕もしっかりと挿入。宇宙に来てからも怒涛の展開。キャラクター、エピソード共に極まっている気がする。カット割の密度が高く適切で緊張感が半端ない。改めて見てララとアムロのサイキックなやり取りが、まるで大友「アキラ」だった。セリフのニュアンスもかなりキヨコっぽい。てことは「アキラ」はガンダムだったのかー。そうかー。後半、シャアがアムロを認めてどうやったらアムロに勝てるのかと思案し始めるあたりは、あんまり気にしてなかったけど面白い。そうだったんだ、物語後半ではシャアはアムロに追い詰められてたんだね。アムロがただ敵をやっつけるシーンだけでなく、あれだけ絶対的に強者だった敵役が焦りを見せることで、アムロ=ニュータイプの強さを魅せるとか、演出を踏まえた展開で凄い。

 通しで見ると企画の元が宇宙版「十五少年漂流記」というのが前面に見えた気がした。カットできない部分はやっぱり人間の関係性で、そこを繋げて見るとやっぱりキャラ付けという以上に戦争に翻弄されながらも悩み苦悩して生きている様子が浮かび上がってきて、なるほどガンプラも人気だったけど、その価値を裏付けているものは、人がそこで生きている物語ありきだったんだなぁ、と思わされる。なんで「みんなアムロに助けられてありがとうとか感謝とかないんだろうか?」と思ってたけど、アムロもチームの一員に過ぎないという物語世界だから特別に持ち上げなったのかという納得の仕方をした。題材で戦争を扱う物語作品としては、一方的な反戦メッセージなどはなく(もちろん肯定もしていないけど)結構誠実なスタンスだったんじゃないかとも思った。


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