別れの曲、悲しみを感じ切ったら手放せるのか
パートナーが亡くなってから、娘達と孫達で暫く楽しい事を見つけて過ごしているつもり、
海に行ったり、美味しいもの食べたり、カラオケに行ったり。
丁度小さい子供達が、小学校や幼稚園の夏休み時期、彼はその時期を狙ってあちらの世界に旅立ったのだろう。
まるで家族が暫く一緒にいれるように計算していたかのよう。
この頃夜中2時頃目が覚めると、眠れない。
だから記事を書いてみたくなり、何時間もかけて書き直したりする。
あまり重い話、書きたくないなーと思いながらも、
書くと気分が軽くなるので、やっぱり自分を癒す為書きたくなる。
別れって本当に辛い、そしてこの世とあちらの世界との別れは絶望的になる。
悲しさの胸の痛みはいつまで続くのだろうか、
いつまでも浸っていては前に進めない。
今はとにかく感じきるしかない。
この感情は無視できないのだから。
本当に魂は永遠なのか?とブレる。
自分が死んだら、あちらで再会できるのか?
人が死んだら〜に関し、宗教上、そうでない考え方も他にはあるようだが、
私は魂は永遠と思っている。
私が長生きしたとしたら、彼に再会できるとしてもまだまだ先、悔しい!!
パートナーのお通夜と葬儀の時、娘達が曲を流そうと、作ってくれていた。
彼は音楽は車や家でもどこでも音楽を用意する人で、
家族が気に入った曲もピックアップしオリジナル版をよく作っていた。
「定年退職したら、バンド組んで音楽をやったら〜」と私も言っていた。
娘達と私は彼を見送る為の曲を選曲し、それを聴くたび泣いてばかりいた。
藤井風さんの「帰ろう」
歌詞は別れの内容なのに、曲感が明るく、自ら「許す」や「忘れる」という言葉に、強さや死に対するポジティブさを感じ、つい口ずさみたくなる曲。
米津玄師さんの祖父の死を体験した時の思いの詰まった「レモン」
悲しい歌詞の内容ですが、失くすという悲しさと同時に、愛しさや寂しさを強烈に感じる曲、いつ聞いても、死と愛に対する切なさを感じます。
松任谷由美さん「ハローマイフレンド」
穏やかな音響ですが、歌詞には涙がホロっとしてしまいます。
「もう2度と会えない」
でも友達と呼ばせて〜
玉置浩二さん「フレンド」
恋人の別れの曲と感じてましたが、
途中からこれは死別の曲?
「冷たくなる、指、髪、声〜」
次第に冷たくなっていく彼の手や足に触れながら、病院で最後をひとりで看取った時の事を思いだします。
アンパンマンマーチ
カラオケで娘と孫が歌っていて
「生きる喜び」の言葉で涙が?!
えっ!と娘達に驚かれ、
「パパは生きる事に喜びを物凄く感じてた、もっと生きたかったと思う〜」
次女「これは特攻隊の事を思ってやなせさんがつくったらしいよ」
やっぱりそうだよね〜、アンパンマンは自分を犠牲にしても周りの人達を〜😭
彼は入退院をくり返す中、自分が亡くなって葬式を迎えたら皆に聞いて欲しいと、サザンの歌を、
娘達に協力して貰い、自分が歌ったのをCDにつくっていたのを私は知らなかった。
彼の告別式の連絡を彼のLINEを使って送っていた時の事、
いくら夫婦と言えど、彼の携帯の中身の詳細を見ないようにしていたが、
たまたま偶然、私の名前が入ったメッセージが目に飛び込んできた為つい見てしまった。
彼は「和解しなければいけない」とLINEに書いていた。
相手のメッセージには「旦那さんとして奥さんの〇〇ちゃんに話した方が良い」「病気の事でしょ?」と書いてあった。
多分、私がワクを反対し、毎日身体を大事にせず、無理な事ばかりする彼に苛立ちを募らせ、
彼をよく叱っていた事の内容だと思う。
私の忠告を無視した事に対し、彼はちゃんと私と向き合って話したかったのではないかと思う。
私自身その事について、亡くなる3日前会話が出来た時、言い過ぎだった事を誤り、二人で涙した。
でも、そんな事よりもっといろんな事を話したかった、
もっと楽しく一緒にいたかった事を。
彼は死ぬ間際に、退院してから健康になる為に食べようと思ったものやサプリメントを自分で調べ通販でいろいろ購入していた。
しかし、届く頃はもうモノは食べれず状態で、亡くなってからもいろいろ頼んだものが届いた。
だから、もっと生きたかったはず。
もう遅いんだよー😭
彼が「和解」という言葉にしたのは、
私は義父や義母が亡くなった時、
「生きてた時は冷たくした時もあった、もっといろいろやってあげればよかった〜」
と彼に話しながら泣いた事があった。
その時彼は、
「二人とも、ママには感謝してるから大丈夫だよ」
と言ってくれた事があった。
だから、彼は私が彼が亡くなってから、残された私が後悔しないよう「和解」という言葉を使って、他人に相談してたのだと思う。
「和解しなければ」と〜
サザンの「愛しのエリー」
彼が昔から気に入ってよく歌ってた曲、
私はこの曲が甘ったる過ぎて、苦手であまりじっくり聴いた事がなかった。
彼が私によく言っていた事、
「一緒になる人は、会話がなくても、分かるっていう空気のような存在でいいんだよ」
そんな彼の思いが、この曲の中に詰まっているんだと思うと、
今になってこの歌詞をじっくり聞けるようになり、今更ながら泣けて泣けて仕方なかった。
彼が歌って作ったCDの「愛しのエリー」は、
間質肺炎で息苦しさの中、歌ったのでとても苦しそうで余計泣けてしまった😭
時が過ぎれば、気持ちが和らぐのだろうか、
生前まだ健康な時、私は彼にこう言った。
「パパは、この土地に元々住んでて、親戚や友人、知人が沢山いるけど、私は身内もいないし、友人も少ない、だから私より先に死なないでね、絶対私の方が先にあっちに行くんだから」と。
しかし、そんな願いは叶わないどころか、こんな早くに彼はいってしまった。
悲しさを超え、昨日は怒ってみた。
こんなに早く死んじまって、バカやろー😭
悲しむより怒った方が、私の心は和らぐような気がした✨