私は涙をかくす!魂の契約
出会う人の中に、若い頃から親兄弟が亡くなり、近い身内は従兄弟と彼氏だけという人がいた。
その人は明るく人を癒すのが好きで、施術の仕事をしている。
逞しさを感じるが、さぞかし人には言えない悲しさや寂しさ、どれだけの別れの涙を流したんだろうと、ふと思ったりした。
これらの事を書きながら涙が出てくる💧
ひとりでこうやって想いを書くのって良いな〜😭
人には故人とのそれぞれドラマがある。
生きてる間は、いつも仲良くしてるとは限らない、喧嘩したり言い合ったりしてるうちは、
この人が目の前にいなくなったら〜などと想像はあまりしないと思う。
むしろ腹正しすぎて、目の前から消えてくれ〜と思う事さえあったりもする。
でも、いざもう会えなくなる!となった時、人はその関わった人との思い出を、誰でも回想するのではないかと思う。
私は父、兄、義理父母、など、親しい身近な人で亡くなる時、悲しみに打ちひしがられながら、それ以上悲しくならないようにと、
「今はいっときの別れだ!必ず自分もあちらに行ったら会えるんだから」と、自分を諭す。
それでも別れは辛い、
しかし、人前で涙するのは苦手だ。
1人になった時の方が、亡き人としっかり挨拶出来るような気がするし、
周りに人がいると気が散る、気遣いとか、取り乱してはいけないとか、自然に考えてしまう。
人がいても涙は出るが、やはり周りの人が気になってたりする。
見られたくないし、亡き人と集中して対話が出来ない感じがする。
1人の時の方が、思いや感情、感謝を亡き人に伝え易い、そんな気がする。
お葬式が終わって暫くしても、亡き人の話題を口にすると、人は涙が出てしまうのではないだろうか。
“あの時、こうしてあげれば、もっと会いにいけば良かった、もっと優しくしてあげれば〜”
生きてる時は、そんなことは考えない。
そして後悔した所で何もならないので、
きっと、その後悔はまた会える印なのだ、と思えてくる。
せーいっばい、関わっていたら、もしかして悔いはないのか?
例えば介護疲れで、そして介護された側も早く逝きたいとする。
お互い不憫だ、亡くなる時は、ほっとした、という人もいるが、やはり寂しいものだと思うし、
人それぞれ違うだろうが、
きっといろんな思いが浮かび、関わっていたその日々、肉体とはもう会う事はできないのだ、と思うと、なんとも言えない思いが込み上げてくるものだろうと思う。
思いっきり泣いた後は、茫然としながらも静けさに浸ったりしたくなる。
私は死に関してあまり執着がない方だと思う。
人は必ず死ぬ、
そして死は本当は不幸な出来事ではないと思うから。
死ぬ時期、死に方はズレもあるだろうけど、大体自分が決めてくるとも言われる。
物心ついた頃から、人はなぜ生まれるのか、そして死ぬのかをずっと考えていた。
そして家族がいなくなる、と想像するととても恐ろしいと感じて仕方なかった。
なぜ小さな子供が恐ろしいと分かるのか?
それは過去性で体験していたと思うのだ。
でなければそんな事を、小さい子供が想像するだろうか。
小学生の時、学校から家にたどり着くまでの間よく思ったもの、もし家族が皆殺しになってたら?火事になって家が無くなってたら?とか、
ネガティブに考え子供だった。
最悪のことを考えておけば、それ以上のことは起きない!と決めつけていた。
覚悟をする為に、敢えてわざと考えていた。
現に最悪の状況は殆ど起きなかった。
また、私は若い時にこの世からいなくなりたい、と思った時期が長くあり、その辺りから死に対しよく考えていた。
死を考える事で、自分の人生を真剣に考えるようになる。
いろいろ書物も読んだりし、死はむしろこの世からの解放ではないかと悟るようになって、
ならば死ぬまでに私は何をすればいいのだろうと、人生の意味を考えたくなっていった。
前置き長くなり過ぎでした💧
先日、パートナーと今年初のいつも行く美味しい蕎麦屋に行きました。
パートナーは、最近食欲が段々と無くなり、咳き込み始め、レントゲンで肺が白くなってる!と言われたらしく、
肝臓癌の疑いもあるので、都内の病院に検査しに行く紹介状を書いてもらった!との事。
いよいよ来たかと。
前から肝臓癌かもと予測はしてた。
ワク3回→肝硬変→脊髄圧迫骨折→
曲がったまま骨は固まったらしく、腰が曲がって内臓が圧迫してるせいなのか、食欲がないと言って、随分痩せてきた。
強制ではなかったワクに反対してた私に、隠れて3回打ったので、その事で紛争したり、食の見直しを図ろうとしても、
頑固でなかなかいう事を聞かず、
「じゃ、もう死にたいんだね?」と私はたくさんたくさん言って、
彼も意固地になって、
「人の人生だから、ほっといて!、それぞれの学びがあるんだよ」
と私の口癖を真似して言うのだった。
燃え尽き症候群なので、ストレスもあるだろう、
精神的にも好きなようにさせたいが、放っておくと、いい加減な食になる。
数年前、放置したら腸閉塞になったのだし、放って置けないのだ。
しかし今回、肺が白くと肝臓癌の疑いが浮上し、気持ちが変わったのか、
「これはどうなの?これは食べても大丈夫なの?、ビタミンKは何から取るの?」
などと聞いてくるようになった。
長生きしたいんだろうな、
正月、家族が集まった時も、
「ハワイ皆で行きたいね!」と言ってたので、やっぱり長生きしたいのだ。
そんな彼が先日蕎麦屋に行こうか?というので、車で行く事に。
運転手の私の横の助手席で、パートナーは眠り始める。
最近はどこでもかしこでも眠りこけてしまう。
ワクの副作用を調べる私は、眠気が酷くなるのも、それのせいだ!と繋げてしまう。
私が話をかけるとうっすらと返事をする。
私「いろいろ病気が誘発してるのは、アレのせいだよ、もう分かったでしょ、先の事いろいろ考えないとね」
「・・・う・ん」
私が何を話してるか分からない、寝ながら返事をするパートナー。
私「副作用だとして、国に訴えた所で認めらないだろうし、時間もかかる、だから〜」
と、私は先の成り行きややらねばならない事、家の事、いろいろ話しかけた。
彼はうっすら返事したかと思うと、静かに眠っている。
私は不安が込み上げて黙った。
私は、この人はもうここで死ぬんじゃないか、と思いながら、涙が出そうになりながら、考えないように運転しなければならない。
感情が溢れたら、運転すら危ないのだから。
そして、彼には涙を見せてはいけない。
どんな事になろうと、何事も冷静に対処しなければならない、などといろいろ頭を駆け巡っていた。
考えなくても、ふっと今までの事、喧嘩したことも、楽しかった事も、脳裏に勝手に浮かんできては、それを掻き消すのに必死だった。
考えてはいけない、感じてもいけない、冷静に!!
蕎麦屋にたどり着くまで、この感覚が非常に長く感じるのを耐えた。
早く蕎麦屋に辿り着きたい。
やっと辿り着き、彼は目を覚まし、普通に話しかけてきてホッとした。
まだ大丈夫だ😌
パートナーは餅が好きだから、それを勧めたが、「餅まで食べるの無理だな」といって、天盛りを頼み、私が餅入りを頼んだ。
天盛りを頼めるくらいだから、まだ大丈夫だ😌
2人で来るこんな日はもう二度と無いのではないか?とまた脳裏をかすめると、
またうるうるしそうになり、掻き消しながら、他愛も無い会話をし始めた。
私は人に涙は見せたくない。
泣くのはいつも1人の時だ😭
生きてる間は人とたくさんの情を交わす。
まだいつまでも生きていると勘違いするから、喧嘩もする。
でもそれでも良いと思ってる。
たくさんたくさん思いっきり情を交わし、何かを学んでいく。
関わるすべての人達とも、すべて意味があると考えるようになって、
どんな人とでも、自分にとっては素晴らしい出逢いと感じる✨✨
肉体との別れはいつかは来る、辛いかもしれないがいつか執着を手放す時は必ずくる。
偶然はない、すべて必然なのだ。
私はパートナーときっと魂の契約をしてここに来たのだと思う✨✨