戦前の日銀を支配したのはロックフェラーだ①
「1933年」こそが世界経済の転換点、ロックフェラー王朝へ!!
世界経済の転換点は、いつだろうか?
様々な学者が色々な学説を引っ張り出して様々な答えが出てきそうな質問だけど「1933年」(昭和8)というのは一つの世界経済の転換点だと思う。
なぜなら、この年にアメリカの最高実力者がモルガンからロックフェラーに変わった「政変」の年だからである。
世界皇帝が変わるということは、属国日本にもその余波が伝わるのは言うまでもない。
それでは「1933年」という歴史の転換点を以下に見ていこう。
大恐慌後のアメリカ
「1933年」とはどのような時代であったか?
まずは、1929年に起きた大恐慌の影響がまだ生々しく残っていた時代であることが重要である。
そして、大恐慌を起こした「戦犯」とされる共和党のハーバード・フーヴァー大統領(1874〜1964年)のあとを受けて、前年の1932年に選挙で勝利した民主党のフランクリン・デラノ・ヴェーズベルト(1882〜1945年)が大統領に就任した年である。
1929年の恐慌より以前には、1907年の恐慌があった。
このときは、モルガン財閥総帥であるジョン・ピアモント・モルガン(1837〜1913年)が、みずから中央銀行のようにアメリカ経済全体の舵取りをした。
その後、モルガンが亡くなると銀行家たちは経済の安定化を口実に、アメリカの中央銀行である連邦準備銀行(FRB)を1913年に設立した。
しかし実際には、中央銀行が設立されたにもかかわらず、その16年後の1929年には再び恐慌が襲ってきた。
ということは、当時の有力銀行が協力して設立した中央銀行は恐慌を防ぐためにはまったくの役に立たなかったのだろうか?
恐慌というものは、人智の及ばぬ不可避の現象なのか?
いや、そうではない。
事態はより深刻になっただけだ。
つまり中央銀行の設立によって、アメリカ経済全体を簡単に操作できるようになったとみなすべきなのである。
銀行、とくに中央銀行はマネーの発行量を操作することで、一国の景気を左右することができる。
連邦準備銀行は設立から16年後の1929年までには、基盤がほぼ固められて、アメリカ経済を完全に掌握したとみなすべきなのである。
恐慌対策は「財政政策」よりも「金融政策」が有効だが・・
2008年頃から公然と世界恐慌が懸念されるようになってきた。
そのためか、今から90年前に起こった1929年の大恐慌に注目が集まっている。
1929年の大恐慌を分析して、その原因を究明すれば、今懸念されている恐慌を回避できるのではないか。
そう考える人が多いのかもしれません。
アメリカの1929年の大恐慌は、近代経済学上の大問題と言われている。
その原因は何だったのか、これまでに多くの論者によって論じられてきた。
その中でも、1970年代から大きな影響力を持った経済学者、ミルトン・フリードマンの貨幣的分析がもっとも有名である。
貨幣(マネー)を中心として経済理論を組み立てることから、フリードマンは「貨幣主義者」「マネタリスト」と呼ばれた。
その経済理論から導き出される経済政策は同様に「マネタリズム」と呼ばれた。
元連邦準備理事会の議長ベン・バーナンキはフリードマンを師と仰いでおり、学統としてはフリードマンの後継者であることを認めている。
フリードマンは、大恐慌の原因は、当時の連邦準備銀行がマネーサプライを増やさなかったことが問題であると論じた。
一般的には、大恐慌はルーズヴェルトの大統領就任により、「ニュー・ディール政策」と呼ばれる大規模な「財政政策」によって克服されたことになっている。
「財政政策」にもいろいろあるが、代表的なのは公共投資である。
政府は国債を発行して得たマネーを、公共の資産であるダム建設や橋梁建設に投下することにより、景気を刺激することができる。
その理論的根拠がケインズ経済学である。
しかし、最近の経済学の研究では、そうではなく「金融政策」によって克服されたのだと結論づけている。
「金融政策」とは、利子率の操作や、貨幣発行量の操作を通じて、経済をコントロールすることである。
バーナンキの講演録『リフレと金融政策』(日本経済新聞社)に収められた訳者高橋洋一の解説を見てみよう。
1960年代のフリードマンの研究から始まり1990年代に最終決着した大恐慌に関する研究は日本ではあまり知られてはいない。しかも、アメリカ経済史の事実として、フランクリン・ルーズベルト大統領のニュー・ディール政策で最初にとられた政策は、公共投資でなく、金輸出・外為取引の停止(事実上の金本位制度離脱)とバンクホリデーであった。しかも、彼の政策は、価格の引き上げを目的とする政策がその根幹に据えられていた。農業調整法も全国農業復興法も連邦政府が市場に介入し農産物や工業製品の価格下落をくい止めようとした。本格的総需要政策は1941年アメリカが戦争経済に突入することで実現されたが、ルーズヴェルトが大統領に就任した1933年からアメリカ経済は持ち直し1941年までにかなり回復していた。(『リフレと金融政策』204ページ)
1929年のアメリカ大恐慌は、経済学的には金本位制にその原因を認めることができる。
経済の状態である景気とは、要は世の中に出回るお金(マネー)の量に帰着するが、金本位制下ではマネーの量がどうしても制限されてしまう。
なぜなら、信用創造して世の中にまわすためのペースとなるマネーが金本位制ではまさしく金(ゴールド)になるため、簡単に増やそうと思っても増やすことができなくなるためだ。
マネーの量が大きく増やせなかったことが、アメリカの大恐慌につながったとする見方が、現在の経済学の「定説」である。
だから、アメリカはルーズヴェルトの大統領就任とともに金本位制を離脱することによって、金(ゴールド)の裏づけを必要とせず、マネーサプライを自由に増やせる自由を得たことにより、大恐慌を脱出したのである。
2009年に大統領に就任した初の黒人大統領、バラク・オバマはルーズヴェルトの「ニュー・ディール」を意識して「財政政策」に取り組んだが、歴史研究が示す限り、恐慌への対策としては「財政政策」よりも「金融政策」の方が実効性のあることはすでに数多く指摘されている。
それなのに、メディアはなぜか財政政策にばかり焦点を当てている。
見当違いであると言わなければならない。
また、意図的なミスリードと言わざるを得ない。
つづく
【参考文献】『日銀 円の王国』吉田祐二著(学研)
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