ユダヤ人の受難のパワー(なぜロスチャイルド家は誕生したのか?)⑩
ヒトラーの足音
ユダヤ人が忘れることのできない、この時期のもう一つの大きな出来事は、1917年のロシア革命である。
ロマノフ王朝を倒したレーニン率いる社会民主党のボルシェヴィキ(1918年に共産党と改名)には、トロッキーら多数のユダヤ人が参加していた。
さらに詳しく言えば、ボルシェヴィキとの路線闘争に敗れて追放されたメンシェヴィキ(少数派)の指導者のなかにもユダヤ人が多かったし、ロシア革命の成功に勢いづいたヨーロッパ各国の不運な社会主義革命の担い手にも目立った。
彼らは平等な社会主義の理想の中に、虐げられたユダヤ人の永遠の解放を夢見たのである。
ところがこれら急進的な政治的活動が、ユダヤ人に対する反発を誘発する引き金の一つになって、ついにはホロコーストへの扉を開くのである。
その筋道を少したどってみよう。
まずロシア革命についてみると、ほとんどのユダヤ人は革命の旗のもとに駆けつけたといわれる。
ポグロムを行った王党派の白軍を倒したレーニンを味方と考えたからだった。
そして確かにユダヤ人は革命とともに法的平等を得るのだが、その期待はたちまち裏切られることになる。
なぜならばロシア共産党は生まれたばかりの社会主義政権の基盤固めを何よりも優先して、シオニズムなど民族的な独自の行動を取ろうとするユダヤ人組織を敵視したからである。
組織には中央から役員が天下ってきたが、彼らはユダヤ人労働大衆に民族の自治ではなく革命の理想を広めることを任務としていた。
一方、ロシア革命とヴェルサイユ条約によって独立を回復したポーランドやバルト諸国では民族主義が高揚し、これまた経済の実権を握っていいなりにならない国際ユダヤ資本を敵視し、憎悪する方向に動いた。
革命の波及を阻止するためロシアと戦闘さえ交えたポーランドでは、多数のユダヤ人が革命運動に参加しているのをみて反ユダヤ感情が高まった。
「ロシア革命はユダヤ人の仕業だ」という宣伝が行われ、ユダヤ人は革命に暗躍する“ボルシェヴィキ”であり、冷血の国際ユダヤ資本“ロスチャイルド”の手先とされた。
そして国家に忠誠を誓わないユダヤ人を非難することが愛国者であることの証しにさえなったのである。
この流れがドイツではユダヤ人殲滅作戦にまで発展して行く。
もともと中世から反ユダヤの風潮の強いドイツだが、早くも1920年には極端な反ユダヤを掲げる国粋主義のドイツ国家党が台頭している。
なかでも過激な勢力がドイツ国家社会主義労働者党(ナチ)として分裂して、24年の総選挙で国会に32議席を獲得した。
その指導者がアドルフ・ヒトラーであった。
ナチの突撃隊は1930年ごろからユダヤ人の会社を襲撃し始め、集会では「ユダヤ人に死を!」と公然と叫んで扇動した。
不況に苛立つ大衆はこのスローガンに快感を覚えた。
ヒトラーは『我が闘争』でユダヤ人のドイツからの根絶を主張し、32年に政権を掌握するとアーリア人種だけが国民だとして、35年にはユダヤ人の政治的権利を剥奪する民族法(ニュールンベルグ法)を制定した。
ヒトラーによればアーリア人種だけがすべてに優越する存在であり、ユダヤ人は最下等な人間に近い亜種である。
諸悪の根源はユダヤ人であり、民主主義も共産主義もすべてユダヤ人が作り出した危険思想である。
彼らは健全な社会を破壊、汚染して支配しようとしており、アーリア人種は彼らとの戦いに負けるわけにはいかない。
問題解決の方策はただ一つ、ヨーロッパからユダヤ人を駆遂することである・・と「最終決着」を宣言して、実行に移していったのだった。
・・つづく・・
【関連記事】『ロスチャイルドって一体何者?』(有料)
【参考文献】『ロスチャイルド家』横山三四郎(講談社現代新書)
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