ユダヤ人の受難のパワー(なぜロスチャイルド家が誕生したのか?)②
タルムードと銀行
ロスチャイルド一族の先祖は代々、古物商などを営んでフランクフルトのユダヤ人街に住んでおり、かつて赤い盾(ドイツ語でロートシルト)を玄関先に掲げていたことから一家はロートシルトという屋号で呼ばれていたのである。
この屋号を英義読みしたのがロスチャイルドの語源である。
マイヤーは幼い頃から賢い子供だったようで、父親は特に目をかけて彼をラビにしようとニュールンベルグに近いイェシーバでタルムードを勉強させた。
イェシーバというのはユダヤ教の神学校で、律法学者ラビが旧約聖書とその注釈書ともいうべき膨大なタルムードを教えるところである。
しかし12歳のとき、両親は相次いで亡くなり、授業料が払えなくなって、マイヤーはハノーヴァのユダヤ人の銀行オッペンハイムに徒弟奉公に入った。
※
ユダヤ神学校と銀行・・このユダヤ人ゆえの取り合わせが巨大財閥ロスチャイルド家を生み出すこととなる。
というのはマイヤーは銀行に奉公していたハノーヴァ時代、タルムードで学んだ古い歴史と語学の知識があったことから、古銭に興味を覚えるようになって収集にのめり込んだのだが、この趣味のおかげで後に支配者層に知己を得て食い込むきっかけとなるからである。
彼は18歳のときすでに古銭マニアの世界では有名なほどのコレクションを持っていた。
よく働き、明るい将来を約束されていたマイヤーだったが、20歳になった1764年春、突然、素っ頓狂な事に奉公先の銀行を辞めてフランクフルトのユダヤ人街に戻ってきたのだ。
何を考えての帰郷だったのか?
それはその後の彼の行動が明らかにしたと言える。
ユダヤ人を罵倒する言葉が飛び交う故郷にあえて戻ってきたのは、本格的な古銭商になり、いずれは一人前の銀行家としてヨーロッパを相手にするという大きな夢を抱いたためである。
オッペンハイムはその頃の大銀行家であり、マイヤーは支配階層と交際し、宮廷に出入りする経営者らの羽振りの良さを目の当たりにした。
それらの人々を見習い目標にする事だけが、ユダヤ人としての名誉を守りながら、豊かに生きる道のようにみえたに違いないのである。
・・つづく・・
【参考文献】『ロスチャイルド家』横山三四郎(講談社現代新書)
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