保護動物が野生に戻される時みたいに、刑務所から出される時、僕はおびえていたと思う
誰かが何も聞かされないで、僕がいるこの場所を、写真なんかで見たら、古い古い、遺跡並みに古い、学生寮か何かだと思うかもしれない。
でも学生寮なんかと違うのは、ここは自分で好き勝手に出入りできるような場所じゃないってこと。そして、世の中でトップクラスに自由な身分な学生とかと真逆で、ここは自由なんか決して存在しない場所だということ。
僕は、罪を犯して刑に服している受刑者だ。
そしてこの場所は塀の中、つまり刑務所だ。
僕がこれから話すのは、数年間の「塀の中」の生活を今まさに終え、何年かぶりに「シャバ」に出されようとしている「解き放たれたとき」のことだ。
🗝
「じゃぁ行こうか。忘れ物ないな?」
何年かを刑務所で過ごすうち、受刑者はたいてい、刑務官のことを自然に「オヤジ」と呼ぶようになる。美容師であろうがスーパーマーケットの店員であろうが、どんな業界でも長く居れば、その世界独特の用語なんかを使うようになる。それと同じだ。それがヒトの適応というものだ。まわりがそう言っているから、その方がベテランぽいから、あるいは何となく。まあ伝統のようなもの。だから僕も刑務官のことをオヤジと呼ぶ。その日の朝僕を呼びに来たのは、今まで会ったことのないオヤジだった。
前日のうちに荷物はすっかり片付けてあったから、この部屋にはギリギリ今朝まで使っていた洗面用具くらいしか残っていなかったし、それらの物も、ついさっき、歯ブラシと箸は青い巨大なプラスチックの廃棄物入れに「ありがとな」と呟きながら入れ、コップは返却物置場に置いてしまっている。その時にコップにテプラで張られていた「311番」というのが、ここでの僕の名前だった。
僕は昨日も一昨日も、ずっと、何年も前から「311番」だった。
見知らぬオヤジは、僕を連れてコンクリートでできた地下基地のような廊下を進む。僕は両手を大きく振りながら、視線はそらさず、定められた1秒に2歩のスピードで歩く。腕の振り方も、角度で言うと前に60度、後ろへは30度と決められている。廊下は直角に曲がること。他の受刑者とすれ違う時は、どちらかが壁に背を向け視線を合わせないようにすること。そうやって歩くことがいつしか当たり前になっていた。
いくつもの鉄の扉の前で何度も「そこで止まれ」と言われるたびに、僕はしつけの行き届いた犬のように立ち止まり、飼い主ならぬオヤジは、ズボンに青いひもで結び付けた鍵束から、ジャラジャラと鍵を選んで差し込む。壁に反響する重厚な金属音が響いて扉を開き、「前へ~進め」と飼い犬に号令をかけ、僕を通り抜けさせる。コンテストだったら優勝できるくらい息の合った飼い主と犬の連帯感。
刑務所の中は受刑者が生活する「舎房」棟、日中に作業を行う「工場」棟などがあるが、僕は扉を抜けるたび、少しずつ、他の受刑者が少なくなる区画に進んでいく。やがて、めったに来ることのない「本部棟」と呼ばれる区域に入る。学校なんかで、生徒たちの沢山いる校舎から、先生たちのいる職員室のある棟へ行くようなものだ。両者の割合が逆転し、刑務官の休憩室や更衣室などがある場所を歩く。オヤジ達にとってはこちらは充電設備なのだろうが、受刑者にとっては舞台裏。テーマパークでいえば着ぐるみが頭を外す場所。逆に言えば普段は見せてはいけない場所。ただひとつ違うのが、テーマパークの舞台裏が夢を壊さないように隠されている場所なのに対し、こちらは夢を見させないように隠されている場所だということ。
舎房棟では見ることのなかった「自販機」の明かりを見て「そういえば、コーラって本当は自分の好きな時に飲めたんだった」そのまぶしさに驚く。つまりそういうことだ。
「領置調室」と表札のある部屋に入ると、そこは、機能的には小さく小さく凝縮された空港の出入国エリアのような場所だった。手荷物を検査する台があり、いくつもの収納庫があり、カウンターがある。前日にあらかじめ荷物の仕分けは済んでいるから、今日はそれを順番に受け取るだけ。目の前の長椅子にドサリと僕の荷物が置かれる。着替えをするように指示され僕は受刑服を脱ぐ。こんなものはもう二度と着たくもない。脱いだ受刑服を、「返納物」と書かれた、学生時代球技の部活の連中がボールを仕舞っていたような大きさのカゴ容器に入れる。
自分で購入した下着も、大きく「311」と自分の番号札が縫い付けられているから、もう外では着たくないので廃棄箱に入れる。
出所する受刑者の中には、塀の中で使っていた受刑番号付きの下着やサンダルを、平気で外で使うために持って出る者もいるが、僕はとてもそんな気分にはなれない。できることならここにいた記憶もすべて捨てていきたい。でもそんなことが不可能なのは、僕が一番わかっている。
「ほんとーにわかってるぅ?」
悪戯っぽい声が左耳から聞こえる。
この場所では、飢えや寒さ、悲しみや怒り、悔しさと口惜しさ、後悔と孤独などの感情が津波のように毎日、何年も住人を壁に叩きつける。出た人間が再び社会に溶け込むのが難しいのは、そうやって脳の周波数のようなものが変わってしまうせいだ。ある者は他の者を踏みつけることで自我を保ち、ある者は感情を捨て、ある者は夢の中で生きるようになっていく。何年も過ごすうち、僕の場合は、左肩に謎の住人が住み着いてしまった。僕だけに、なぜか左側の耳だけから聞こえる小人の声。姿を見たことはないのに、それが小人だということだけはわかるのだ。実際に重みを感じることはないのに、時たま現れ、僕の肩に座っているのだ。今までのどんな彼女も、そんな存在にはなってくれなかったのに、と思うと僕はとても残念に感じる。
久しぶりに見る、受刑者用に比べれば色鮮やかな自分の下着やジーンズを手に取り、防虫剤の匂いを感じながら身に着け、何年かぶりの感触を肌に感じる。シャバの衣類は肌に優しく、頼りないくらいに柔らかく、薄い。こうやって柔らかく包んでくれるのは、この先の世の中ではきっとこの衣類たちだけなのだろう。そう考えると服を着ていってるのに凍えるようだ。
長袖Tシャツに、ノースフェイスの上着を羽織る。目の前のカウンターでは、プラスチックのトレーに、ジップロックに入れられた僕の財布やキーホルダーといった小物が並べられる。昔は、こんな場面から始まる古い洋画なんかが結構あったけれど、残念ながら僕はそんな気の利いた見た目の男じゃない。まあ金も仕事も家族も失った出所者だから、最後に主人公が銃で自分の頭を撃ち抜くような安い映画の主人公くらいなら務まるかもしれない。ジーンズのチャックを上げベルトを締めようとする。自殺とか凶器として使うことを防ぐために受刑服のズボンにはベルトがない。だからベルトなんてものも久しぶりだと感慨深くベルトを締めようとしたが、昔の穴がはるか遠くにある。ふいに出てくる見えない小人が「こちらの穴をお使いください」とニヤニヤ笑うので、僕はそいつの方は見ずに歪んだ笑いを浮かべる。
靴を履いたところで「着替えたら、こっちな」とオヤジに声をかけられ、並べられた自分の小物の前に立つ。刑務所の中では基本的に便所サンダルのような履物で過ごしていて、その薄皮アンパンの薄皮のような靴底の感触に慣れていたから、スニーカーでの数歩の移動でも、ナイキの靴底の、びっくりするような反発力に新鮮な驚きを感じる。初めて、高いホテルの分厚い絨毯の上を歩いた時のようだ。ただ目の前にいるのはコンシュルジュとかそういう人種ではなく、中年のオヤジだ。
僕は小物担当のオヤジの前に立ち、オヤジが品物を確認しながら僕の目の前に置いていくのを眺める。
「次、キャッシュカード、〇〇銀行1枚、××銀行1枚、スタンプカード1枚…」
手元に置いていた持ち物は、逮捕の時そのままだったから、それらの小物を見て、断ち切られた僕の私生活が突然目の前によみがえってくる。
けれど、その間に経過した年月のせいで、まるで何十年かぶりに公開されたシリーズ物の映画の続きが始まったような妙な気分になる。同じだけど違う、久しぶりに会う元彼女みたいな、すん、とした表情をしている品物たち。そんな小物を、ジップロックに入ったまま一つ一つオヤジから受け取り、確認しながらジップロックから出して、あるものはポケットに、あるものはバッグに収めていく。小人が「それはそっちじゃないよー」などとちゃちゃを入れるので手間取る。確かこのカードは財布のこの場所だったよな、と記憶をたどり昔の自分を再構成していく。やってみればわかるが、使い込まれた財布の中身を抜いた状態というのは、それは悲しいくらいにくたびれて痩せこけて見えるものだ。しかし今、中に物を収納していくと、それは少しずつ昔の姿を取り戻していく。この財布自身だって、きっと、骨折してリハビリをし、少しずつ歩き出した患者のような気分でいるのに違いない。僕と同じように。
最後のほうで、「これが領置金、これが作業報奨金」と差し出された紙幣と小銭。刑務所では自分の所持金は銀行口座のように数字で管理され、買い物をしても、その数字から引かれていくだけだ。だから基本的に現金を目にすることはない。そうだ、この先はまた自分でお金を差し出して物を買うんだ。一体何年ぶりなんだろう、そりゃ逮捕された年から今までの年数ぶりだよ。そりゃ長いよ。雑居房で冗談で受刑者同士で言い合っていた「もうシャバじゃ、今頃電子マネーばっかで現金なんて使わなくなってんじゃねぇ?」「ええっ現金ですかお客さん?とか店員にすげぇ変な顔されるようになってんかな」という冗談が、ふと思い出される。その時は笑ってたけど、今は笑えない。
着替えを終え、久しぶりのリュックの重みや、ふくらんだポケットに奇妙な違和感を感じる。ついさっきまでは、物を隠匿して脱走なんかができないように、ことあるごとにオヤジ達に身体をまさぐられ、ボールペン1本すら持たせてもらえなかった生活だった。だから、手荷物というものがなかったのは文字通り身軽だったな、と思う。僕がこの数年身に着けていたのは、囚人服と、誰にも見えない小人だけだ。でも今は砂漠を渡る旅人のように袋を背負っている。その重みが何倍にも感じられる。
入りきらなかった荷物は手提げバッグに入れ、これも肩にかける。外見だけはいくらかシャバっぽくなったとはいえ、おどおどした態度と、刈るというより千切ることしかできない古いバリカンで係の受刑者に適当に刈られた短髪、それに、微妙に流行から数年遅れ、しかも季節感のずれた格好をしているから、きっと、何となくちぐはぐな感じの男ができあがっているのだろう。でも当然、鏡なんか用意されたりはしないから、できあがった今の自分の姿が確認できるわけじゃない。まぁ、見たい気分でもなかった。それにもし鏡があったって、外から見た自分なんて、僕自身では決して理解することはできないだろう。その点じゃ僕も、この小人も、同じだ。
それでも格好だけは一般人のそれになったせいか、支度を整え終われば、今までとは少しだけ気分が変わっていた。でも高揚しているわけでもない。まだこのクリーム色の壁と鉄の扉に周りを囲まれているから、外に出る現実感がまだ感じられないのだ。何度も繰り返された卒業式のリハーサルのうちの1回みたいに感じる。じゃぁ終わったら脱いで、元の服着て、とか言われるんじゃないかと、つい考える。ついでに、そんな僕を見て指をさして笑う小人まで想像する。
やがて、オヤジに促され、本部棟の端の方にある部屋に向かう。そして到着したその部屋は、比喩ではなく、本当に明るかった。いつの間にか、何回もこってりとクリーム色で塗りなおされた鉄格子や、鉄の扉なんかない区画に来ていたのだ。少し古い学校の職員室のある棟のような場所。そこでオヤジは綺麗な木のドアを開けて僕を中へ入れる。
綺麗な木のドア。こんなものも久しぶりだな。
その部屋は小さな会議室のような場所だった。学校の教室の半分くらいの大きさで、隅に、手押しできるラックに入れて20席ぶんくらいのパイプ椅子が片付けられている。免許センターとかの講習室を何分割かしたような部屋だ。部屋の一方の壁近くに、講師が立って話すような木の演台があり、その3歩前くらいに立つように指示される。これから校長先生なんかが表れて立つのだろうか、そういう演台だ。
5分くらい待っている間、ぱらぱらと、他にも何人かオヤジ達が来る。そのうちの一人が僕に近づき、簡単に段取りを説明する。部屋の内線がなり「今、出られたそうです」「りょーかい」とかの受け答え。何やら偉い人がこちらに向かっているらしき会話だ。どんな機関でもそうだが、トップは発信機機をつけられているかの如く、その行動を下っ端に把握されている。どっちが上役なのか本当は解らないのはここも同じだ。
「お見えになりました」と若いオヤジの声がして、木のドアが開く音がする。「はいご苦労さん」といったような声が聞こえ、足音が近づいてくる。僕は演台を前に突っ立っているし、刑務所では無許可で周り見回すことは禁じられているから、そのへんのやりとりは全部耳で聞いていたものだ。
僕としては突然、演台の向こうに中年のおじさんが視界に入ってきたわけで、そこに立っているおじさんは、本当にどっかの学校の校長先生と言っても通るような感じの人だった。いい感じに頭皮に太陽の光が反射しているところも、少しくすんだ眼鏡も、ほんと昔のマンガに出てた校長先生だ。まとっている雰囲気も他のオヤジ達とは少し違うみたいに感じる。法務省とか更生保護委員会とか、そういう立場の役人なんだろう。「皆さんが静かになるまで4分かかりましたー」などと小人が使い古された冗談を言うが、もちろん僕は笑わない。
小さな、小さなセレモニーが始まった。たぶん二人位「金線のオヤジ」、つまり、幹部刑務官がいる。金線というのは制服の袖なんかに金色のラインが入っているのでこう呼ばれているが、びっくりするくらい若い金線のオヤジに、50過ぎの線なしの「普通のオヤジ」がへこへこしている光景は最後までやっぱり何か違和感があった。自分が「50過ぎのオヤジ達」と同じように、小僧ばかりの受刑者の中では、若くない方だったからかもしれない。
「礼!」と号令がかかり、僕は一礼した後、直立不動のまま、眼鏡の禿げた校長先生の方を見つめる。目は見ないように、顔は向けるように。ビジネスマナーと同じようなものだが、ここではちょっとでも変な目つきをすると、「おい!311番!反抗か!」とオヤジから摘発され懲罰房行きになることもある。だから僕はそれが怖くて、いつものように悲しいくらい精一杯に真面目な顔をする。それにしても頭皮に光が反射しすぎだろう。校長先生は僕に向かい、次の電車の乗り換え案内のように淡々と「君のこれまでの真摯な生活態度を認め、社会復帰のために社会で云々」というお褒めの言葉を述べ、最後に「仮釈放とする」と言い渡し「じゃぁ、頑張ってな」と一言添える。乾いた刺身だけど、上にたんぽぽを載せてもらえば、それなりに形になるというものだ。
その短い短いセレモニーを終え、校長先生が退出したあと、僕はその部屋を出た。そこからはほんの数歩で正面玄関だった。マンガなんかみたいに裏口とかから出るんじゃないんだと知り、僕はあわてて「いや、面会に来ただけでその帰りですが?」という顔を作ろうと思ったがうまくいかない。ガラス張りの玄関扉が開く。
そして僕は、一歩、建物を出た。
刑務所の玄関から、コンクリートの車寄せを通り、「外」の道路までの、数歩の距離。空港なら出国ゲートから出て免税店のあるあたり、二つの世界の間にある不思議な空間。…違うな、死んだ後に閻魔様の前に出るまでの三途の川あたりなのかな。でも僕はこれからシャバに戻るんだからその表現は間違いか、そんなふわふわした気持ちで、太陽の光のまぶしさを感じ目を細める。11月の、秋なのか冬なのか少し優柔不断な太陽。気候的に着るものが心配だったけれど、気にならない程度で安心する。きれいに刈り込まれた松の木の横にたたずむ、誰もいない警備ボックスの横をオヤジと二人で通り過ぎる。
ここ数年で初めて、僕は「自分の歩幅」で、「自分の腕の振り方」で、「自分のナイキ」で、コンクリートの上を歩きはじめた。そのすべてがこの数年の感覚と違って、自分の身体が借り物みたいでうまく動かない。よく体が入れ替わったりする物語なんかがあるけれど、他人の身体なんて絶対にいきなりなんて動かせない。自分の身体だってまともに動かせないのに。僕が証人だ。
目の前にアスファルトの道路が走り、車が通りすぎる。横を見ると、僕を連れて歩いていたオヤジが、こっちを見て悪戯っぽい笑顔を見せている。
「もうそこからは外だよ」
そう言って僕の反応を見ている。
「ついに出れたー」とか、「まじかー」とかそういう感動の言葉を、呟きを期待しているんだろうな、と咄嗟に感じ、そこまでの感慨はないよ、と思いかけて否定する。違うよ。まだ実感がないんだよ。心の中で分かっていたこととはいえ、何年も、一人きりでなんて歩けなかったのに、いきなり一人で動いていいよって言われても、そんな数分で適応できないよ。きっと外を見る目つきとか、挙動もおかしいんだろうな、と自分で分かる。このオヤジも、そんな僕を見て心の中で何を思っているのか。でもこの笑顔はなんなんだろう。あるいは本当に巣立ちを、再出発を喜んでくれているのかもしれないけれど、久しぶりにシャバへでる人間はどんな反応なのか、好奇心で観察してるのかもしれない。僕は紺色の制服を着たオヤジの顔を見つめる。
ドラマなんかだと、お世話になりました、って深々と頭を下げて立ち去るか、出迎えの若い衆がタバコを差し出すか、ってとこなんだろうけど。現実は、ただ肩の荷物の重さだけが妙に響いて。奇妙な間が僕とオヤジの間で小人がいつもやるように踊っている。オヤジは、目の前にぽっかり空いた穴に砂をかけようと思いついたみたいに、南の方を指さして言う。
「もう聞いてるかもしれないけど、あの交差点を向こう側に渡って、右に行けばバス停があるからさ」
そしてもう一度繰り返す。
「もう外だから」
僕に向けて、もう一度念を押すように刑務官が呟く。
もう外だから。
傷ついて人間に保護されていた動物が、再び野に放たれたとき、突然のことで「え?」みたいな感じで、2、3歩そのへんをうろうろする、あの瞬間みたいに。僕は最初の足が踏み出せない。
「あ、オヤジ」
と言葉を発した僕に、刑務官が期待を込めた目で反応する。僕は
「今、何時っすか」
と尋ねる。塀の中でそんな風にオヤジに声をかけたら、すぐに「何だてめぇ、タメ口か!つーか何勝手に話しかけてんだ!?発言は許可を受けてからだろうが!」と怒声が返ってくるような口調を使ってみる。もう外だということを確認するための儀式だった。
「八時…二十二分だね。電波だから正確だよ」
と刑務官は自分の腕時計を見せる。黒いカシオだった。
「わかりました」
僕は久しぶりに手首に乗った微かな重さを感じながら、僕は、自分の懐かしい自動巻きの腕時計の時間を合わせ
「お世話になりました」
と軽く頭を下げる。ホントに言ってやんの。と僕の中の小人が笑う。
「じゃ。気を付けて行って下さい」
という制服姿の刑務官の言葉が、響く。刑務官は静かに一歩下がる。
僕は頷いて、バス停の方向へ向かって歩き出す。放たれた動物が、意を決して駆け出すあの瞬間。絶対に振り返るものか、と心の中で念じながら。
「ここはもう外だよ」
制服の刑務官の言葉が胸の中でこだまする。
怖いんだろ?と小人が笑っている。僕は聞こえない振りをする。