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AC回想録~父のこと~

アダルトチルドレンを自覚して、過去の自分を振り返ってきました。まずはきょうだいの影響が強くありました。

さらに思い返すと、どうやら父の影響もありそうな気がしてきました。そのことを書いてみました。

父と私

私の父は愛情がなかった訳でもない。小さい頃は一緒に外で遊んだり、宿題をよく見てもらった。

算数が苦手な私はよく父と一緒に問題を解いていたのを覚えている。

また、旅行にもドライブにも連れてってもらった。物も人並みに買ってもらった。

これだけだと、「普通の良いお父さん」
確かに、悪いお父さんではなかった。

だから、私もこの歳までアダルトチルドレンに気づけなかった。

しかし、過去を振り返っていくと、父のある態度だけは子供の私に確実に良くないことをしていた。

これがアダルトチルドレンの原因の1つになると気づいた。

冗談混じりのコミュニケーション

父の私への良くない態度、それは何か。
・子供の話をまともに聞かない
・コミュニケーションが全て冗談混じり

上に挙げたの2点に尽きる。

私の父は恐らく深いコミュニケーションは苦手だと思う。父とじっくり会話をしたことは殆んどない。

父が短気で話が出来ないのもあるが、たいてい茶化されて終わる。子供の目線で真剣に話している時も・・・

大人からしたら大したことないので茶化されて終わる。

全て会話が冗談混じりなのだ。

父が私に与えた影響

父親が子供に対して、きちんとコミュニケーションをしない。このことがアダルトチルドレンの原因にもなってると思う。

その結果、私は男性と上手く会話が出来ない。小さい時からずっと男子からからかいの対象になった。

HSP内向型もあり、見た目もヒドイくせ毛、ターゲット的には最高の条件がそろってしまった。

小、中と見事に男子からいじめられた。

高校は男子のいない遠くの女子高を選んだ。大学はたまたま女子大になった。

その結果、男性ときちんとした会話が出来ない、知らないまま大人になってしまった。

アダルトチルドレンで自己肯定感が低いまま結婚したので、夫はかなりのアダルトチルドレン。

しかも共感のコミュニケーションが出来ない人を選んでしまった。まさに負の連鎖である。

父が影響してるのは間違いない。けれど、私は父が育ってきた環境を考えると、とうてい恨んだり、責める気にはなれなかった。

仕方なかったとしか思えなかった。。

父自身について

父は仕事や外では問題なく、上手くやっていたと思われる。

真面目で頑張る良い人なので他者からの信頼も厚い結果、出世もしてる。

母方の親戚からの信頼も厚い。親戚の集まりだったり、法事があると、必ず父を慕って周りに人が集まってくる。

いつも忙しそうに取り仕切っている姿を小さい頃から見てきた。だから、父は凄い人だと思った。

しかも、仕事の愚痴や弱音は家で一切言わない。辛くて吐き出した所を見たことがない。

その面でも凄い父だと思った。

ただ、家庭内では子どもの話をまともに聞いたことがない。茶化されて終わる。

父の育った家庭状況を考えると、恐らく父自身もアダルトチルドレンだろう。

父も親に話をまともに聞いてもらったことがない可能性があると思った。

父は自身の小さい時、「放っておかれた」と言っていたらしい。時代背景もあると思う。

戦後の貧しい時代、子供の心のケアよりも「生きる」が最重要課題だった時代だ。

ただ、私の祖母の行動を見ていると、「ほっとらかし」にさせていた可能性もあるなと思った。

父の育った家庭環境

父は3人兄弟の長男(本当は5人だったらしい)。母(私の祖母)に軽度の知的?障害(今なら発達障害かもしれない)がある可能性がある。

父(私の祖父)も話を聞く限り、厳格すぎる話が出てくる。そんな環境で育った。

祖父は父が二十歳過ぎで亡くなり、私は直接会えていない。

姉(私の伯母)は恐らく何かのボーダーで依存性高い、弟は軽度知的障害がある。

障害は生まれつきではなく、事故に遇い脳に障害が残ったと聞いてるが詳細不明。

妹は小さい頃交通事故で亡くなったようだ。

父もまた家庭が安心安全だったとは思えない。家も裕福ではなく、必死に生きてきた話も母から聞いた。

祖父が病死した後、依存性が高い祖母と伯母と障害のある弟の為に若い時にお金も含めて全部背負ってきた。

母と結婚するまで、1人で全部背負って必死に生きてきたのを知ってるから、大人になった私は父を悪く思いたくないのだ。

弟が何か問題を起こすと決まって父の所に祖母や姉から相談が入っていた。

祖母は自分の楽しみを優先させるタイプで、自分の息子(私の叔父)のことは、お金をあげて自由にさせていたようだった。

小さい頃から、親戚の集まりの中で、祖母から叔父にお金をあげてる場面はけっこう見てきた。

母として話を聞くのではなく、自分が楽しむ為にも、お金をあげて邪魔扱いしているようにも私には見えた。

私か大人になるにつれ、叔父さんは叔父さんで可愛そうに思えた。

施設に入っても問題行動を繰り返し、精神科への入退院を繰り返している。

祖母や伯母も何かあれば全て父頼みにしてきた。電話や呼び出しの数は知れず、、実家にも数え切れない程相談に来ていた、、

弟が施設に入る手続きとか難しい話は全部父に負担がくる。

私は小さい頃からそんな父の状況をずっと見てきた。

父の話だけど書いてると過酷すぎて涙が止まらなくなる。

その結果、私は本音を隠した。

父が自分の育った家庭環境のせいで家庭でのコミュニケーションが出来ないのではないかと思った。

だから、「父がまともに子供の話を聞かないのは仕方ないことなんだ」といつしか諦めた。私は父に対する本音を閉ざしてきた。

私は私の気持ちを優先するより、「父は大変」と無意識にメッセージを読み取っていた。

また、「父は可愛そうだから仕方ない」と父が安全に過ごせる環境を優先したのだ。

子供ながら何でも父に頼ってくる祖母と伯母を見ていて、「何故全て父に頼るんだ?」と思っていた。

返済済みだが、伯母の家にお金を貸したこともある。

こんなことは父が70歳過ぎて2度目の大病するまで続いた。

何かあったら夜中であろうと呼び出され、車で病院やら施設やらに向かい、父は本当によく祖母と兄弟の面倒を見てきたと思う。

伯母からの電話は今もまだ来る。。時々母から愚痴を聞く。

伯母も高齢となり、家にはケアマネージャーさん等支援が入っている為父が身体動けなくなった時を期に手を引いた。

こんな父の大変さを見て育ってきてるから、HSP気質もある私は無意識に「いいこでいよう」となったんだとも思う。

父にして欲しかったこと

ただ、傷ついた自分に向き合わないと、ここから先は進めない気がした。

「本当は、父に話を聞いてもらいたかった。分からない時に聞いたら、調べなさいじゃなく、教えて欲しかった。片付けられない私を歌でバカにしたように茶化さないで欲しかった。」

大人になり、父に一度聞いたことがある。なぜ茶化すのか、父は「普通に話しているだけなのに」と悲しそうな声で言っていた。

父はコミュニケーションが本当に分からなかったんだと思った。

ただ、大人にとっては冗談混じりのコミュニケーションが有効でも、子供にとっては有効ではない。

特にHSP気質のある私にとっては良くないことだった。

父は子供とのコミュニケーションの仕方が分からなかったようだ。

あんまり酷ければ母も注意をするが、些細なことは流される。私はそれで傷ついていたと改めてアダルトチルドレンを自覚した。

私はそんなことから、冗談が嫌いになった。
冗談混じりで話されるとどうしたら良いか分からなくなる。

まずは、子供の自分を癒す所から始めたい🍀

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