
1人と独り
私の「ひとり」の楽しみ方
「ひとり」でいることは好きだ。「ふたり」とも「みんな」とも違う、唯一無二な空間、それが「ひとり」。
「ひとり」とは「1人」なのか、「独り」なのか。孤独は長く続くと辛いけれど、大事なことを見つけられる気がするんだ。孤独の寂しさを知っているから「ひとり」じゃない時に、人と一緒にいられることの温かさを初めて知ることができるのだと思います。
さて、「ひとり」でいるということは、アウトプットよりも基本的にインプットの時間が多いのだと思う。好きな映画を見たり、本を読んだり、あるいはじっくり瞑想してみたり。そういう時間があるから情報の整理もできるし、自分の考えを見つけて成長できる気がする。
最近思うことは、ひとりでいるときに寂しくなって外の世界の他者と連絡を取ることは簡単でも、みんなでいるときにふと、ひとりになりたいと思ってしまった場合、そういった空間に移ることが難しいということ。
ひとりになりたいのは嫌なことがあったからでも一緒にいる人が嫌いなわけでもない。ただ、自分を見つめる時間が欲しいだけ。
それを人に伝えるのって難しい。「ひとり」でいることが好きではない人に伝えることは尚更。
ひとりでいるとき、私はよくYouTubeをみたり、たまにnoteを書いたり人に手紙を書いたりする。
私はそんな時間が好きだ。
ひとりの時間は、他者の存在を意識することなく自由に想像の翼を広げられる。
私にとってはそんな時間が大切だ。
ひとりで誰か大切な人のために何かを作るとき、選ぶとき、決めるとき、会っていない時間だって愛しく思える。
私にはそんな時間があるってことを伝えたい。
たとえ、理解してもらえなくても共感してもらえなかったとしても、自分の考えは変わらないし変えたくない。
世の中には、人は生まれながらにして善人であると唱えた「性善説」があり、人は生まれながらにして悪人であると唱えた「性悪説」があるらしい。
それなら私は、人は生まれながらひとりであるという「性独説」を唱えよう。
父親がいて、母親がいて人は生まれてくるけれど、生まれるときも育つときも物事に対して何か思うときもどんな人と関わっていくか決めるときも、人はひとりだ。
だから自分を信じていかなくちゃいけないと思うし、自分の好きな自分でいたい。いついかなるときも、猫も杓子もそうなんだ。
私は自分の好きな自分でいるために、いっぱい考える「ひとり」の時間を大切にしていきたい。
ひとりの時間の好きな過ごし方は小説を読むこと。
生活に余裕があって時間があるときにしか本は読めないけれど、情景がスッと頭に浮かんでくるあの感覚が好きだ。
登場人物のセリフや本全体を通して伝わってくるものは作家さんが自身で考えていることなのかなと思う。
本を通して1人の頭の中をのぞき見することは、自分にはなかった発想や知らなかった言葉を知るきっかけになってすごく新鮮。
「ひとり」でいることはちょっとだけ孤独。
だけどひとりの時間の楽しみ方は、人の数ほどある。
「ひとり」があるから人と一緒に居たいっていう気持ちが生まれるのなら、その時間はとても貴重なものなのかな。
私は、人と一緒に居る時間をより好きなものにするために、その土台となる「ひとり」の時間を充実させていきたいと思うのです。
※2022年2月23日執筆