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07 生と死

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


さっきまで生きていたのに、もう生きていないとはどういうことだろう。
それが死んでいるということ。
He has been dead. 彼はずっと死んでいます。
「死んでいる」という状態の中にいます。
つまり、コンディションを替えたのだ。
彼という霊魂は、環境を変えたのだ。

彼は、アクセスの仕方を変えたのだと思う。
だからこっちからは不通。
「お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません。」ということ。

彼は、ふとした瞬間に、そうせざるをえなくなった。
アクセスの方法を、あるいは忘れてしまった。
そして、見慣れた場所に帰れなくなった。

彼は、浮遊する街にいる。
彼は、パジャマ姿。
「あれ、俺は、病院から抜け出してきたのか?」
電話をかけないと。
でも、ポケットに携帯が入っていない。
どこに落としてきたんだ……?

リーン、リーンと懐かしい電話の音。
見回すと、霧の向こうに電話ボックス。
電話を取りに行こうとしても、足が動かない。
そうだ。リハビリ中だったんだ。
リハビリの先生は、いったいどこに行ったんだろう?

「お父さん」「洋二」「お兄ちゃん」「コーチ」「監督」「社長」「おじいちゃーん」
色んな人が、彼を呼ぶ。
「いま行くよ、待ってろよ」
霧の中に入ると、髪の毛が少し濡れた。パジャマも濡れた。
「お母さん、乾いたパジャマはあるか」
しかし、妻の姿は見当たらない。
「あいつはまた、誰かと無駄話をしてるんだろう」
電話ボックスのドアを開けると、彼は受話器を取った。
すると、ピーーーッと不通音。
「公衆電話が壊れているぞ」
彼は警察を捜した。

遠くから、赤いサイレンが近づいてくる。
「パトカーだな、もう大丈夫だ」
石に座って待っていると、やって来たのは救急車だった。
通り過ぎたとたん、サイレンの音が変わった。
「あれは、ドッペルゲンガーだったか……いや、ドップラー効果だ!」
そう閃いた瞬間、彼はトンネルから外に出た。

「まあ、可愛い女の赤ちゃんね……」「手がちっちゃい!」「ぜんぶちっちゃい!」「爪がちゃんとある!」「目を開けてくれた!」
そう言い合いながら見下ろす見知らぬ人たちに、彼は「違う!」と抗議した。
でもその叫びは伝わらず、やがて襲ってきた眠気に、彼は気を失うように、負けた。

リーン、リーン………どこかで電話が鳴っている。
でも彼は、受話器を取ることができない。
まず、電話の在り処が分からない。
「お母さん、電話が鳴っているぞ」
しかし妻はどこにも見えない。
「お腹が空いて起きちゃったのね」
見知らぬ女が言い、白い服をたくしあげた。
甘い乳の匂いがして、大きな乳房が迫ってきた。

絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』(どちらも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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