【シネマコラム】 拝啓、スピルバーグ様 003
003. アカデミー賞なんかこわくない 後編
Edit & Text by Shigemitsu Araki
あともう数時間で米アカデミー賞発表というタイミングで、この原稿を書いています。
さて、前回のコラムでオスカーの作品賞にノミネートされた女性監督の3作品『落下の解剖学』『バービー』『パスト ライブス/再会』に登場する男女の共通点として「仕事ができる女と哀れなるマッチョたち」という設定を挙げました。
女性監督ではありませんがヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』もそうです。
こんなにも優れた作品たちの設定として擦られているということは、時代性のある設定のひとつといってもいいでしょう。
たとえばこの設定をひっくりかえして「仕事ができる男と哀れなる美女たち」とすると、前時代的というか一歩間違えば不適切にもほどがある設定になってしまいます。
しかしそんな設定に見られかねない作品が、今回のオスカーの作品賞どころかあらゆる賞にノミネートされているのです。
その作品は『オッペンハイマー』。
主人公のJ・ロバート・オッペンハイマー(演じるのはノーラン組で何度も素晴らしい脇役をつとめてきた演技派キリアン・マーフィー)は天才的な物理学者であり、優秀な学者たちを統率するカリスマ性があると同時に、傲慢で、世間知らずで、女好きでもあります。
オッペンハイマーはいわゆる有害な男らしさを誇示するタイプではありませんが、異常なほどに自己肯定感が高すぎる男として描かれています。
彼には結婚前に出会っていた精神科医で共産党員のジーン・タトロック(演じるのはこれまた演技派のフローレンス・ピュー)という運命の女がいて、結婚後も不倫関係を続けています。
ちなみに人類初の核実験である「トリニティ」実験という名称は、タトロックがオッペンハイマーに教えたジョン・ダン(ダンが文学史上初めてメランコリーを詠った詩人というのも象徴的)の詩から引用したという説があります。
一方、オッペンハイマーの妻となる生物学者で植物学者のキティ(演じるのはエミリー・ブラント!)も、そもそもは既婚者の時に彼と出会い不倫の末結ばれた関係でした(キティにとってオッペンハイマーは4度目の結婚相手)。
一見泥沼のようにみえる夫婦関係ですが、このキティ、哀れなる美女どころか、哀れまれることさえ拒否する先進的な強い女でした。
キティは不倫されようとも、のちに夫が赤狩りにあい非難されようとも、オッペンハイマーを叱咤激励し、たきつけ、精神的支えになる「できる」女でもあったのです(とはいえ若い頃アル中だったり育児放棄したりといった弱い部分も映画の中では描写されます)。
『オッペンハイマー』は、語る切り口をいく通りも用意できるほど重層的な映画なのですが、彼女を観るだけでも価値があります。
この作品をどう捉えるかのひとつの解釈として、第二次世界大戦下、核兵器の危険性に気づきながらも開発にかかわった科学者たち、それを利用した政治家や軍人たちの黒歴史を白日の下に晒す映画、といってもいいでしょう。
つまり登場人物のほとんどは、オッペンハイマー含めある時期は世間から崇められたり国を守る仕事に携わっていたにもかかわらず、実態は野心に囚われ保身を図るろくでもない奴らばかり。
そんなろくでもない登場人物たちの中で、常に現実を受け止めて自分とその周囲の人たちが置かれた環境に向き合おうとしている数少ないひとりが、キティ・オッペンハイマーなのです。
映画『オッペンハイマー』はキティの生き様にフォーカスして観ても、才能と倫理、思想転向とその代償、嫉妬と寛容についても深く考えさせられます。
それらは彼女をほかの登場人物と並べることでより際立ってくるので、群像劇としてこの映画を観ることもおすすめします。
結果的に『オッペンハイマー』も「仕事ができる女と哀れなるマッチョたち」の物語に収斂されるのかもしれません。
最後にタイムリミットが迫っていますが、荒木のアカデミー賞予想をここに記しておきます。
10個以上当たったら誰かカレーでもご馳走してくれないかなあ。
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