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【全文公開】『看板建築』 取材10軒の記事を公開します。


味なたてもの探訪シリーズ第3弾『復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし』(以下、『復興建築』)の発売を記念して、同シリーズ第1弾『看板建築 昭和の商店と暮らし』(以下、『看板建築』)の一部を全文公開します。

なぜなら、この2冊、
セットで読むと圧倒的におもしろくなるからです。(多分)

看板復興_02


「看板建築」とは?

そもそも「看板建築」とはなんぞや? という方も多くいらっしゃると思います。

看板のついた建築のこと? 
あるある! レトロな看板の建物、フォントがいいよね……、と思われがちですが、この建物の“看板”が示すのは「建物のファサード(正面部分)」のことです。

「看板建築」とは、関東大震災復興期に東京で数多く建てられた商店建築の一形式。
建物自体は和風の木造建築ですが、正面部分をまるで一枚の看板のように装飾したことから「看板建築」と呼ばれるようになりました。



なぜ建物を「看板」のようにする必要があったのでしょう?
それには理由があります。



小林酒店、ポリゴン理髪店_03

「旧小林酒店、旧ポリゴン理髪店」(『看板建築 昭和の商店と暮らし』P104掲載)
写真提供:ぼくの近代建築コレクション


一つ目は「準防火」の考えから建物を銅板やモルタル、タイルなどで覆ったため。
木造家屋の密集地域が多い東京市。火災が被害を拡大させて原因でもあり、急速な「まちの不燃化」が求められました。
木造家屋を被覆することで耐火性を高めたのです。

二つ目は、狭い敷地を有効活用するために建物正面を平坦にしたから。
「帝都復興事業」により区画整理が施され、短冊状の敷地が各地で誕生。また市街地建築法により建物を道に突出してつくることができなくなったため、軒の出をなくして垂直に立ち上げ、わずかなスペースも有効利用できるように考えたのです。


上記の写真「旧小林酒店、旧ポリゴン理髪店」は左が銅板タイプ、右がモルタルタイプの形式。
鉄筋コンクリート造に見えますが、裏に回れば木造建築です。
構造的にはこんな感じ。

文書名BA_honmon_004_015_introduction_N

看板建築 形式図解(『看板建築 昭和の商店と暮らし』P6掲載)


よく見られる特徴はこのようなものです。

文書名BA_honmon_004_015_introduction_N_02

看板建築 特徴図解(『看板建築 昭和の商店と暮らし』P7掲載)


似て非なる「看板建築」と「復興建築」


さて、前述で書いた「『復興建築』と『看板建築」は、セットで読むと圧倒的におもしろくなる(多分)」のワケとは。

「復興建築」と「看板建築」は同年代に建てられた建築。
同期です。タメです。おないです。
震災後の状況も、復興による発展も変遷も、文化も流行も、同じ風を受けて育ったもの同士です。

でも並んだときに、あれ、なんかちょっと。
あの、その、

一不二和光

(左)一不二(『看板建築 昭和の商店と暮らし』P66)、(右)和光(『復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし』P146)
写真:金子怜史


似てるけど、なんか惜しい。

アーチの窓とか、コーニスのデンティル(軒下の歯状の装飾)とか、レリーフとか、どことなく似ているんだけど、ちょっと荒いというか、物足りないというか……。
だってレリーフ拡大したらこれです。

一不二レリーフ

いいですよね。おかっぱ天使。友人の息子にそっくり。(築地にあります、ぜひ現物を)

ゆるい……! ゆるすぎる……!
なぜ、このようなデザインが生まれてしまったのか。


そうなんです。
「復興建築」は有名な建築家や国が先導してつくった建物に対し、「看板建築」の多くは大工や家主など、建築家ではない市井の人々がデザインしたものだからです。


『復興建築』は、『看板建築』の憧れだった。

すずらん通り_02

八丁堀すずらん通りの看板建築(『『看板建築 昭和の商店と暮らし』P63)。復興事業で整備された八重洲通りのすぐ裏手にはこのような看板建築が建ち並んでいた。


国や企業、力を持った商店が建築家の設計により鉄筋コンクリート造で強度な建築を建てたのが「復興建築」だとすれば、潤沢な資金のない個人商店などが準防火の考えから銅板やモルタルなどで覆い、大工や家主の設計で自由な表現がなされたのが「看板建築」です。

復興事業により近代的な街並みへと変わっていく一方で、家主自らがデザインしたり、知り合いの画家に頼んだり、大工や職人が近代建築の意匠を見よう見まねにこしらえた個性豊かな建物は、まちに多種多様な表情を生み出したのです。

「あんな装飾つけてみたい」
「流行取り入れておしゃれにしたい」
「でもできること限られてるから知恵の見せどころや!」

そんな家主や職人たちの情熱や希望、創意工夫が、ひしひしと伝わってくるところ。
そして、形式にはまらない独自の発想と整いすぎない愛嬌あるデザイン。
それが看板建築の魅力の一つだと思います。


「復興建築」と「看板建築」は、お互いを引き立てあう大正〜昭和初期建築のダブルヒロイン。

そんな「復興建築」と「看板建築」を見比べて、それぞれの良さを味わってみてください。

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ー・ー・ー・ー

明日は取材先1軒目「岡昌裏地ボタン店」の記事を公開します。

お楽しみに!






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