見出し画像

2022年の夏のロードトリップ イタリア編🇮🇹⑨Rome 3/3日目

本日も引き続きローマについてです!

大まかなスケジュール
Belgium→Innsbruck (Austria) →Venezia (Italy) →Pisa→Bologna→Firenze→Rome→Ostia antica→Avignon(France)→HOME



Day13 
まず向かったのは

コロッセオ colosseo

未だに、こんな場所の横に車が走ってるなんて
ものすごいギャップだなと思うのは私だけではないはず。
早速中へ向かう。
コロッセオ。竣工はウェスパシアヌス帝時代の72~75年、
初めて使用されたのが息子のティトゥス帝時代の80年。

なんと野球観戦時の東京ドームとほぼ同じ
45,000人を収容できる規模で、
長径で188m、短径156mの楕円形をしており、
高さは48mにものぼりる。
しかしそんなものか。と納得してはいけない。

現代のように重クレーンもなければ
運搬車輌もなかった時代に
一体どうやってこんな巨大建造物を
2000年も前に10年ほどで建築できたのだろうか。

このコロッセオ建築に携わった労働力は
3万人を超すとも言われるユダヤ人たちです。

つまりは奴隷。

聖地エルサレムを陥落させられたユダヤ人達は
金品を奪われただけでなく
過酷なる重労働にまで駆り出された。


過酷労働により命を落とすものも多かったという。
まさに命が大きく関わる場所なのは
建ち上がる前からのようだ。
いくら修復が重ねられてると言えど、
これは石灰岩と水と火山灰を混ぜ合わせ、その上に砂と
小石を混ぜ合わせて作り上げられたレンガを使用し建設。

このレンガ耐用年数1000年を
保ってるってものすごいことですよね。

しかも年間約400万人の観光客が歩いてるというのに。

歴史から学べることは多いですね。

円心部を覗き込むと、奴隷や猛獣を閉じ込めていた
檻などの地下施設がむき出しになって見える。


真剣に見学しているとボスくんに
私も戦えそうだと失礼極まりないことを言われた。

こんなところに立たされたら3秒で獣に食われるだろう。

獣たちも命がけだ。
そして凶暴にするために
金切り音をずっと聞かせ眠らせず
食わせずしていたという。

そもそもこの文化が始まったのも

民衆のストレスをそこに向けさせる施策だった。
そうだ、この時代。当時のローマ市民にとって一番の娯楽は
コロッセオでの刺激的な見世物、

つまりそこで起こる「流血や死」だった。

人々は死に興奮を抱いたのだ。
ヴェスパシアヌス帝は、市民をこのような斬新な
娯楽に没頭させ続けることで、
反乱を抑える効果があると踏んだのだ。

プログラムは午前中が猛獣と剣闘士との闘い、
昼には罪人の処刑が行われ、
午後はメインとなる剣闘士同士の闘いだった。

年間数千人もの剣闘士が、ここで命を落とした。

現在ではさまざまなライブコンサートや
チャリティイベント会場などに使用されるほか、
死刑廃止運動のシンボルともなっています。

今はどこか平穏が宿っているコロッセオ。
美しい鳥がたくさん飛んでいた。


それにしてもこの日の気温39℃。
当時の観客たちもこんな熱気の中、
観戦していたのだろうか。

最上階への階段はわざと狭く造られており、
奴隷たちの退場を遅らせることで身分の高い階級の退場を
スムーズに行わせる工夫がなされていたと考えられている。

そしてここコロッセオで最も人気だったのは
「模擬海戦」だったという。

アリーナ部分に海を見立てて水を張り、
実際に船を浮かべて海戦を再現し戦った。

古代ローマは、水を非常にうまく扱ったことで有名な都市。
コロッセオにも水道橋や地下水路などを使って水が引き込まれ、
なんとスタジアムに海を造り上げてしまったというのだから、
その発想と技術力には脱帽だ。


そしてフォロ・ロマーノへ行く前に
休憩のためにカフェへ向かった

マリトッツォとエスプレッソを頂きました。

初めて本物食べたけど、
全然甘くなくて優しいクリーム
めちゃめちゃタイプでした。

エスプレッソも言うまでもなく美味。
おすすめの場所です。

そして向かうは

フォロ・ロマーノ Roman Forum

「フォロ・ロマーノ」はイタリア語で
「ローマの公共広場」という意味。

このあたりが古代ローマ時代の街の中心で
あったことを示してる。実際「フォロ・ロマーノ」には、政治の中枢である「元老院」、
商業の中心である「商取引の市場」、
法の中心である「裁判所」などがあり、
市民集会がよく開かれていた。

すべて見ると2時間程かかります。

特におすすめはパラティーノの丘。

今回は私がキュン。っとした場所のみご紹介します。

アントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿

アントニヌス・ピウスは、五賢帝の4番目の皇帝
「ピウス(慈悲深い」というあだ名が
ついていることでもわかるように大変紳士的な皇帝だったとか。

妻のファウスティナとは非常に仲が良く、
140年にファウスティナが亡くなると
アントニヌス・ピウスは大変悲しみ、
彼女に捧げる神殿を建設します。


高さが17メートルもある円柱が特徴のこの神殿に、
161年に亡くなった夫のアントニヌス・ピウスも共に祀られました。 

7世紀から11世紀にかけて、
この神殿はキリスト教の教会となった。
「サン・ロレンツォ・イン・ミランダ・ダル・フォーロ教会」と名づけられているのは、聖人のロレンツォが
ここで殉教したという伝説があるからだそう。


セプティミウス・セウェルスの凱旋門
「元老院議事堂」の前に建つセプティミウス・セウェルスの凱旋門
「フォロ・ロマーノ」の遺跡のなかでもひときわ目立つ建築物でした。

建設されたのは202年。
パルティア戦争の勝利を記念し、
ローマの元老院がセプティミウス・セウェルス帝と
その二人の息子カラカッラとゲタに贈った凱旋門です。

セプティミウス・セウェルスが亡くなったあと、
共同皇帝として即位したカラカッラとゲタですが、
212年にカラカッラは弟のゲタを暗殺。

凱旋門に彫られたゲタに関する場面はすべて削り取られています。
コロッセオを挟んで「フォロ・ロマーノ」の反対側にある
「コンスタンティヌスの凱旋門」は、「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」
の影響を濃く受けて315年に建設された。

兄弟の憎しみってやっぱり強いんですね。
仲直りの出来ない兄弟喧嘩。怖い。

日差しが強いので、日陰が気持ちいいです。
※座っても触っても大丈夫なところです。


Uccelliera Farnesiana
小さな金魚が泳いでる可愛い噴水でした。
パラティーノの丘にに少し登るとマクセンティウスのバジリカが
こっちを見て見送っているようにずっしり構えていました。
Fountain of the Pelte

丘に登った瞬間あんなにいた観光客が一気に居なくなりました。
おかげでゆっくり史跡に向き合えてとても良かったです。
この噴水はクラシック音楽が流れて今もまだ機能する噴水です。
Stadio Palatino
古代ローマ帝国時代の競技場。
皇帝が座した半円の半円形のドームもまだ原型を留めている。
実際にそのサイズを目の当たりにすると

やっぱりローマ、すごい。

こんなに歴史が残ってる場所って他にあるのだろうか。
そう思ってしまう。


美しすぎてどんなに歩いても全く疲れを感じませんでした。

そして面白いのがこの間、
パートナーのボスくんとほとんど会話してないこと。

互いに気に入るポイント、興味を持つポイントが違い
勝手に調べて勝手に感動している。

こういうところが
私が彼を愛してる理由かもしれない。
お互いの大切なものを尊重する。

そんなおのろけが出たところで
フォロ・ロマーノを後にする。

そう言えばパンナコッタを食べてないことに気がつき
急いで可愛いお店に入って食べたのですが…

こんな美味しいパンナコッタ初めて食べました。
スタッフのお姉さんもめちゃいい人でしたよ!


あっという間に日もくれて
街を練り歩く

ローマに後悔が残らないように。

あ、ちなみに真実の口へも行きましたよ。
典型的な写真と”フリ”してきました。

夜のトレビの泉も美しかったです。

夜のローマはいろんなところで素敵な演奏が聞こえてきます。

そんなな中でルンルン気分で歩きながら
血眼になって探していたものが…
初日に見つけていいなと思ってた
ダビデ風のマグネット。


この色のコンビネーションがほしかったのに

中々見つからなくて、今日は最終日だから必死になりましたw

ちょこっと傷があるお尻だったのですが

1個しか無かったので文句言えません。
1年たった今もお気に入りのマグネットです。
そしてこの日もピッツァを食べて満足にローマを後にしました。

もちろんこれだけの年数の歴史を持つローマ
何十年掛けてもすべてを知ることは出来ないけれど
初ローマ、かなり満喫できました。

And I'm a million percent sure I'll be back here again.
It's okay, all roads lead to Rome. right?


いいなと思ったら応援しよう!