「警戒区域アニマルランド」
2011年〜2012年中は、警戒区域内で牛が集団でウロウロしてるのをよく見かけ、大問題になっていた。住民の避難によって残された動物たちは、囲われたまま餓死したものが多かったが、人によっては世話ができないからなんとか生き延びてくれと放すこともあり、それらは「放れ牛」とよばれ町中を闊歩していた。出荷する事も、区域外に移動させることも禁止されていた彼らがウロウロすると、クルマと事故ったり、家屋に入ったり、一時帰宅の住民に不安を与えるなどの理由で、飼い主の同意を得たものは殺処分されることになる。そのため、放れ牛を一時的に集約するため単管パイプの簡易的な檻があちこちに設置され、圏内に入る度に彼らは悲しそうな目をこちらに向けていた。
一部メディアでは餓死した牛、豚、鶏などが並ぶ地獄絵図のような畜舎の光景が見られたが、そこに強烈な臭いも加えると、こうならざるを得なかった人間の罪深さを思わずにいられない。臭いの記憶というのは12年が過ぎた今でも脳裏にこびりついている。(ちなみに自分も幾つか当時の残酷な写真はあるのだが、倫理上表に出してないものもある。)こうして家族同様の家畜を諦めざるを得なかった農家さん達の苦悩はいかばかりかと。しかし中には吉沢さんや松村さんのように、他の人の牛を引き取って世話をしたり、殺処分に同意せず、現時点でも飼い続けている農家さんもいて、本当に凄いことだと。谷さんに至っては牛を使った農地保存のための道筋を構築し広めようとしてる。存在意義を失った牛たちに新たな存在意義をあたえるこの動き、最早尊敬でしかない。この辺の話は双葉郡未来会議のシンポジウムでまとめたこちらを参照のこと。谷さんはこのシンポジウムの後、衆議院議員会館で当時の吉野復興大臣との面会を果たし、堂々と政策提言までこぎつけた。まさに偉業。
双葉郡未来会議season7「特集!牛たちの行方」
https://futabafuture.com/2018/07/20/report-season7-1/
そして当時話題になった動物の中にダチョウがいた。後に富岡の松村さんが保護してしばらく生きていたダチョウは、大熊のダチョウ園の富澤さんが飼っていたもので、富澤さんは避難後も定期的にエサをやりにいっていたのだが、誰かがオリを壊して放してしまったのだという。そこから南北に逃げ出したわけだが、その中の一羽が富岡一小の校庭に産み落とした卵がこの写真。自分が持ってるよりも、まずは見てもらおうと後に富澤さんに手渡し、のちにどこかの大学の研究材料にしたようだ。
そんな動物たちの映像を、警戒区域の間もずっと映していたのが月の下交差点を狙ったNTTライブカメラ。このライブカメラには、通過するイチエフ関連の車両以外にも、交差点付近をウロウロする牛やダチョウやイノシシや、色んな動物が映っていて、スクショした人がYouTubeに上げてたりしたんだけど、おそらく権利の関係でそれらは全て削除されていた。後にNTTに確認したところ、データは残ってないと。あーなんて勿体無い!とても貴重な震災遺産でもあったのだか…。2011年8月に「富岡は負けん!」の横断幕を設置した時の映像も見たかった!(スクショの連続写真はもらったけど)負けんの話はまた後日に。
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