リベラル諸氏ニ与フル書ーーヘッポコ左翼は自戒を込めて「内ゲバ」を止めろと叫ぶ

2021年8月4日。#限界左翼に怒られそうな事を言う というハッシュタグがTwitter上に出現した。
それに対抗するように #限界右翼に怒られそうな事を言う というハッシュタグも出現したのだが、ヘッポコ左翼な私は #限界右翼に怒られそうな事を言う には乗らない。
なぜなら、真っ当な本物の右翼の皆さんとは、思想の違いこそあれ、左翼と同じように社会問題や将来世代のことといった「公共性」「公益性」のある問題について真剣に考えていると感じるからだ。
彼等は、差別やヘイトスピーチを煽るどころか反対している。
だからこそ、共闘や連帯することが可能なのだと考えている。
では、#限界左翼に怒られそうな事を言う ことにする。
 ヘッポコとはいえ左翼なので、自戒を込めて「#内ゲバ止めろ」のひとことしかない。
まず、「内ゲバ」は内部闘争なのでグループの外からの支持は、まず得られない。
そして、先鋭化、過激化すればするほど、無関係の人間を巻き込む「付随的被害」が起きる可能性が非常に高まる。
そうなると、リベラル(あるいは左翼)は、より一層、支持を得られなくなり、運動も、その成果も忘れ去られるだろう。
バックラッシュさえ起こるだろう。
「内ゲバ」は、まさに墓穴を掘るに等しい愚行でしかないのだ。
「内ゲバ」は「私怨に基づく私闘」であり、本質的には個人間のトラブルであって、そこには「公共性」「公益性」は原則無い。あるのは「私」だけなので、そこに「公共性」「公益性」の問題が生じない限り、ヘッポコ左翼の私はコメントぐらいはするが、タッチはしない。
「内ゲバ」と誤認、誤解されやすいのは、内部での意見の対立である。
個々の意見の対立は有って当然で、個々の意見の対立が無いというのは、むしろ健全な議論すら出来ない状態にまで弱体化した証拠である。
個々の意見の対立だけであれば、共通する「公共性」「公益性」が存在する問題について、共闘や連帯ができるはずだ。
2020年の春頃から、「安倍やめろ」というsingle issue で共闘や連帯ができたのは、問題に「公共性」「公益性」が存在したからだ。
「公共性」「公益性」のある問題についての自由で健全な議論の結果として意見の対立であれば、「公共性」「公益性」のある single issue の下で連帯・共闘できると考えている。
しかし、「私怨に基づく私闘」を本質とする「内ゲバ」は、個人間のトラブルであり、「私」の問題である。
そこに「公共性」「公益性」は原則として存在しない。
だからこそ言う。「内ゲバを止めろ」と。
 

追記(2021/08/05)
以下のツイートを加筆修正したものです。
https://twitter.com/two_sea/status/1422768186340962307?s=19

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