草原と電柱。モンゴルを走ってきた
2024年の初夏にモンゴルの草原を走ってきた。ランニングレース「GOBI MARCH」に出場したのだ。その模様がNHKのグレートレースで放送されるにあたり、読まれるといいなと思い、現地で見聞きしたことを綴っておく。
*****
緑の海がどこまでも続く。モンゴルの草原は圧倒的だ。
僕はそこに立っていた。
大地が果てなく続き、空が広い。雲はやけに近い。ゲルも見当たらないし、低木すら生えていなかった。ただ一つだけ、地面から伸びているものがある。電柱だ。
電柱は日本の空を狭くするけれど、広大な荒野ではほとんど意味をなさない。スケール感が違いすぎる。
コンクリート製を思い浮かべてしまうが、草原の電柱はほとんどが木でできていた。そのせいか、景色によくなじむ。
僕が見かけた中でもっとも多かったのが接木タイプ。木製の杭が地面に打ち込まれていて、上部でもう1本の木材を継いでいる。接続部は2本の縄で結んだだけというシンプルなつくりである。木柱そのものも枝を落とし、皮を剥いだだけと最低限の加工だった。
こんな構造で、強度は大丈夫なのかと疑問が浮かぶ。モンゴル出身の友人に聞くと、強風で倒れてしまうこともあるらしい。その時は停電が起きたエリアの両端から、どこが倒れたのか調べて修繕することになる。その日のうちに直らなくても、それほど問題にならないのだとか。おおらかである。
草原で電柱以外に木々を見かけないのは、厳しい環境のためだ。冬場の最低気温は氷点を軽く下回り、−20℃も珍しくない。仮に手頃な大きさの木が生えていたとしても、暖を取るための薪として伐採されてしまうだろう。年間を通して降水量が少ないこともあり、成長すること自体が難しい。
森がない地域において、電柱は安息の場所になっている。鳥たちが羽を休めるための貴重な止まり木なのだ。巣をつくっている夫婦もいた。これは日本でも見かける光景だ。ずいぶんと趣は異なっているものの、電柱と鳥の巣であることに変わりはない。
荒野にポツンと立つ電柱は、オブジェのようにも見えてくる。この作品は草原と同じようにどこまでも続いていく。次の電柱までの間隔は短くても数十m。地平線に消える電線の先には人の暮らしがある。
電柱を追いかけて走っていけば、大きな旅ができるだろう。そんな期待を膨らませてくれる。