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不思議な旅の始まり ブータン日記1

おおまかに下書きしたものをずっと放置していたら、いつの間にか半年が経っていたのであった。これはマズい。走ることと同じで、書くことも継続していかねば、どこにもたどり着けない。そんなわけで、ブータン王国探訪記&レースレポートをこつこつとアップしていく。

翼の先にはブータンの国旗。宝石を持った龍が描かれている。

手を伸ばせば稜線に触れられそうだ。窓の外には山岳風景が続いている。まばらに生えた木々が目につくばかりで、斜面の大半は土が露出していた。畑として使われているようだった。

ぼんやり眺めている間にも飛行機は高度を下げ、山肌が近づいてくる。通路をはさんで反対側の窓にも山が見えていた。谷間を進んでいく。窓から斜め下をのぞきこむと、地上が見えた。着陸は近い。

もう目的地への到着までは、あと数分といったところだ。にも関わらず、あまり実感がない。本当に着くのだろうか。そして、1週間後には本当にランニングレースを走っているのだろうか。うまくイメージできなかった。

考えてみれば、不思議な旅だ。

タイから乗ったこの飛行機は無料。これから2週間にわたる滞在費もほとんど支払わなくていい。事前にそう伝えられていたものの、空港についた段階では半信半疑だった。そこから搭乗手続きを無事に終え、離陸できたにも関わらず、実はまだ疑っていた。貧乏性なのもあるのだろうが、ほとんどタダなどというのは信じがたい。到着してから、もろもろの費用を請求されたら、どうしようか。持ち合わせはあまりない。ここまで来て強制送還はつらい。クレジットカードが使えるといいな、などと考えていた。

飛行機のタラップを降りても、目的地に到着したという感慨はあまりなかった。
実感を伴わないのは、主に2つの理由による。ひとつ目は、降り立ったこの国のことを知らないから。訪れたのはブータン王国。ヒマラヤ山脈の東部に位置する小国だ。最初に思い浮かぶのは「幸せの国」という別名だろう。国民総幸福量という経済指標とは異なる指標を用いて、自分たちの国を規定したことで知られている。

それ以外は正直なところ、ほとんど知らなかった。前情報として知っているのは、ヒマラヤ山脈を舞台に行われる大会「スノーマンレース」のことだけ。世界でもっとも過酷なトレッキングルート「スノーマントレック」をたどり、距離にして200km、最高標高5,000mオーバーを5日間かけて踏破する山岳レースである。
世界でもっとも過酷と言われる所以は、4,000mを超える平均標高に加え、一度入ってしまうと容易には抜け出せない山深さにある。冬でなくとも気温が氷点下に冷え込み、吹雪に見舞われることもある。

ふたつ目は、コロナウイルスの流行により、大会が2年前から延期になっていたこと。エントリーした2020年に中止が発表されてから時間が止まっていた。翌年も開催されなかったことで、この年もあまり期待していなかった。
開催するというメールは届いていたが、先進国ほどの医療水準ない国である。直前になって、大事をとって中止にすることもありうると僕は思っていた。
中止になって落胆することがないように予防線を張っていたのだ。ブータンについて事前に下調べをしなかったのは、がっかりしたくなかったからである。

実感はなくとも、物事は進んでいく。飛行機を降りると、着物に似た民族衣装を身につけたブータン人の一団から歓迎を受けた。
そのまま案内され、小さな飛行機を離れ、滑走路から城のような建物まで歩いた。金色の龍が彫られた柱や、装飾の施された窓枠に彩られている。宮殿のように見えるが、空港の建物だという。民族衣装といい、自分たちの文化を大切にしようとしているのだろう。

強制送還が頭をよぎり、ドキドキしていたが、入国審査はとても簡単に終わった。大会に出場する選手の大半が同じフライトで来ているため、流れ作業的に進んで胸をなで下ろす。
ここまで来れば、こちらのものだ。現金なものだが、ようやく実感が湧いてきた。
あとは走るだけだ。そう考えていたが、不思議な旅は、そう簡単には進めないのである。

首にかけた白い布は歓迎の証しだとか。

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