見出し画像

メキシコレポート Day4-2

太陽がすっかり高く上がり、複雑に入り組んだ渓谷を隅々まで照らそうとしていた。
その中にある、ひとつの谷に沿って流れる川と並んで僕は走っていた。

容赦なく光線が降り注ぐ。スタート前に日焼け止めを塗ったものの、すでに汗で流れてしまったのか、肌がヒリヒリと痛い。もっとも、汗をかいてもすぐに蒸発していくせいか、シャツはほとんど乾いたまま。肌に張り付くような不快感はない。

前夜にドクターから、傷口の衛生状態を保つために汗をかくなと指示されていたが、これならギリギリOKだろう。汗が吹き出ても、患部を覆った包帯はいまだにドライな状態を保っている。幹部が濡れて雑菌が入らなければ問題ないはずだ。都合のよい理屈をつけて、不安のタネを取り除く。

走り出してから30kmほどが過ぎ、暑さや日焼けの痛みが出てきて、太ももの痛みが分散されていた。腫れて可動域が狭くなり、鈍い痛みが続いているのだが、ついでにポジティブに考え直しておく。

長距離を走る上での障害は、多くの部分が認知の問題なのだ。
やる気があれば完走できるとか、速く走ることができるという類の根性論ではない。
アホみたいに長い距離を走る以上、同じ筋肉を使い続けることで体が痛むのは宿命的な問題である。アホなことは止めなはれ、という体の信号が痛みなのだ。
それは、車を運転していれば、エンジンが熱を帯びることに似ている。注意すべきは、以上なほど熱くなること、オーバーヒートしてエンジンが壊れることであり、その見極めが大切になる。オーバーヒートしないように、アクセルを踏めばいいのだ。

正しいのか、間違っているのか定かではない論法で、自分の行動、選択を正当化する。走っている間は、行動の正しさを考えるのは二の次だ。どう考えても、アクセルを踏む以上は、車が壊れるリスクというものは付いて回るし、故障が怖ければ長い距離をドライブしない方がいいに決まっている。それなのに、壊れないギリギリのラインを考えながら、ずっとアクセルを踏んで運転するというのはバカげている。

時間を気にせずに、長い距離を移動するだけならば、十分な休息を取りながら、ゆっくり進めばいい。その方が理にかなっている。早く目的地にたどり着く必要に駆られて走るのも、荷物を早く運べば、機会損が減るのと同じで合理的だろう。

そのどちらでもなく、誰が走れるのかを決める。ただそれだけ。ランニングレースというものは、それだけだ。走ることの意味はランナーの数だけあるだろうが、突き詰めていけば、バカげたドライブ、狂気の沙汰になる。

そんなことを次々に考えてしまうのは、ルートが単調でなだらかな砂利道だから。さまざまに思考が駆け巡る。疲弊した両脚よりもよっぽど早く駆けていることだろう。

川に架かる大きな橋が見えてきた。川を渡れば、あとは最後のひと山を登るだけだ。距離にして20km弱、標高差にして1500mを走りきれば、長い1日が終わる。体調が万全なら、さほど難しいことではない。3時間もあれば終わらせられる道のりである。

気がかりなのは、夜明け前から動き続け、炎天にさらされてきたこと。なんとか走り続けてきたが、前日までの疲労も重なり、どれだけ体力が残っているのかは未知数だ。

ドクターから汗をかくなと釘を刺されたが、首筋をなでると、ザラリとした感触が手に残る。脚を触っても同じように手に細かい粒がつく。汗が乾いてできた塩の結晶だった。ドクターに会ったら、汗をかかずに走ったと言い張るつもりだったのに、これでは何の説得力もない。ドクターと顔を合わせる前に、水で洗い流して証拠隠滅を図ろうか。

橋を渡ると、スタッフが歓声をあげて出迎えてくれた。チェックポイントだった。最後の山に取り付く前に水を補給する。そのまま、すぐに出発しようとしたら呼び止められた。
「サプライズだよ」
そう言って丸いものを手渡してくる。ひんやりした球体の正体はグレープフルーツだった。すでに180kmほど走ってきたランナー全員へのご褒美ということらしい。たかだか果物1個なのだが、とんでもなく嬉しい。自分たちのことを誰かが見ていてくれている。わざわざ買ってきてここまで持ってきてくれる、自分たちのために動いてくれるということだ。

そして、もっとも苦しくなるだろう地点でサプライズとして演出してくれる。普段食べる果物とは重みが違う。特別なものだった。英語でいろいろと感謝を伝えようとするものの、働かない頭で言葉をひねり出すのが面倒になり、途中から日本語で「ありがとう」だとか、いろいろと言葉を重ねて笑顔でゴリ押しする。なにを言っているのかは分からないようだけど、スタッフも笑顔だ。喜んでいること、感謝していることは伝わっているようだった。
山を登りながら食べた、特別なグレープフルーツの味は秘密だ。

未舗装の道が延々と山を登っていく。風が吹けば細かい砂が舞う、ほこりっぽい道だった。幅は広く、傾斜はそれほどキツくないが、だらだらとどこまでも続いていきそうだ。道の途中に、複数人の人影。山賊か、物盗りか。瞬間的に緊張が高まり、警戒心を強める。

貴重品はほとんど手元にないし、現金は水とタコスを買えるくらいしかザックに入れていない。へたに抵抗するよりは、素直に見ぐるみをはいでもらって、レースに必要なものだけ返してもらえないだろうか。そんな非常事態を考えるも杞憂に終わった。

突如あらわれた人影の手にはシャベル。この道を整備しているようだった。近くに車がないことから、町から歩いてきて作業に当たっているのだろう。彼らから見ると、僕のほうが異質な人間に見えたことだろう。足に包帯を巻いて、必死に登っているのだから、ちょっとおかしなヤツだと思われても仕方あるまい。

この近くに住んでいる人たちということはララムリなのだろうか。片言の英語で話しかけるが、まったく伝わる気配がない。困ったような顔をされるだけだった。その表情を見ていると、スタート前夜に、ララムリが見せた居心地の悪そうな表情を思い出した。

ランナーとしては、世界的に注目されているララムリだが、メキシコ国内において、社会的な地位が高いというわけではない。もちろん国内における認知度は低くないし、チワワやメキシコシティで地元の人と話していて、ララムリと走る、あるいはレース後に走ってきたと伝えると、誇らしげに「彼らはスゴいよ」と自慢された。認知度は高く、「走る民族」として、世界に知られることになったとはいえ、すべてのララムリがレースで稼いでいるわけでもなく、日常生活を送る人々の方が多い。日本人がすべて侍や忍者じゃないのと同じだ。

道の両側に立っているのは、十数人の男たち。その人数を見るにつけ、走ることで生活の糧を得ているララムリの方が少ないのだろうと推測するのは簡単だった。僕たちと一緒に走っているララムリ、そして彼ら。どちらが幸せなのかは分からないが、走っていないララムリの日常を垣間見たつかの間の出会いだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?