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Day3-2 メキシコレポート

 止まることなく走り続けていた。滑落してスピードは遅くなったが、足取りはしっかりしている。岩に打ちつけた太ももに、徐々に痛みが現れてきたものの、脚の動きを妨げるものではない。ひとつだけ気がかりなのは、血が流れ続けていることだった。
 滑落地点からコースに戻って、2kmほどでチェックポイントに到着。そこで治療を受けられないかと男性スタッフに尋ねても、「ここには医療スタッフはいないんだ」と、申し訳なさそうに首を横にふられて、次のチェックポイントを目指すことに。傷口を水で再び洗い流し、止血する。傷口を圧迫していても、深くひらいているせいで完全に流血を抑えられない。じわりと血がにじみ出てくる。
 山のなかのチェックポイントで待っていても、状況は好転しそうにない。治療を受けようと思うと、自力で下山するか、スタッフが来るまで長い時間を待つことになる。あるいは、数時間ほど仰向けに寝て脚を心臓より高い位置に保って入れば、血は止まるだろう。ただ、そのときはリタイアを受け入れることになる。
 どの選択肢も自分が望むものではなかった。失血量はいまのところ、缶ビール1本分にもならないくらいで、体調に異状がでることもない。治療のために下山するくらいなら、この日最後になる、次のチェックポイントを目指した方がいい。スタッフに出発することを伝える。不安そうな表情ながら、がんばってと送り出してくれた。
 アップダウンの激しかった前半に比べて、コース自体はゆるやかな登りくだりになっていた。川の流れに沿っていて、くだり基調なのも助かった。気がかりはやはりケガ。にじんでいた血が流れ落ちて、右足首を濡らしていた。走っていると、血流がよくなるせいか、傷口が固まる気配はない。気にはなるし、アホみたいに進んで倒れても困るが、固まらない以上はこちらも柔軟に対応していくしかない。不安と一緒に、どうにかなれという能天気さを頭の中で混ぜ合わせ、心の平穏を保ちつつ、ペースを抑えてゆっくりと急ぐ。
 最終チェックポイントにも、医療スタッフは不在だった。そうかもしれないと想定はしていたから落胆もない。女性スタッフが心配そうに僕の右脚を見ている。チェックポイントの手前で血を洗い流してきたから、ケガの具合はわからないはずだ。と思っていたら、ちょっと血がにじんでいた。本部に連絡されてストップさせられても困るので、たいしたことはないとごまかして、そそくさと出ていく。
 ゴールまでは谷あいの林道だ。太陽が高いところにまで上がってしまっていた。岩肌の露出した谷で、直射日光がこれでもかというくらいに注いでくる。標高が500m近くまで下がったこともあり、焼けるように暑い。体感気温は35℃といったところ。湿度がそれほど高くないのが唯一の救いだった。遅々としてゴールにたどりつかず、もうろうとしてくる。
 裂傷の患部が熱をもっているのか、頭が沸騰しているのか、わからなくなってきた。水を飲んで、頭にかけて、とにかく体を冷やすことに努める。普段よりゆっくりなうえに、水の消費ペースが早まってしまう。あとはゴールするだけなのだが、猛烈に喉が渇く。血を失ったことも関係しているのか。残り少ない水の量を確認して、口にしたい衝動に駆られたものの、ボトルを戻した。つばを飲んで我慢しようとするが、乾燥しきっていて、つばもほとんど出ない。
 何時間か前には思っても見なかった状況だ。疲れ傷は痛むし、強烈な乾きにも襲われている。どう考えても、ひどい状態に違いないのに、なぜか楽しんでいた。たしかに苦しい。キツいけれど、それをどうやって乗り越えようか。困難に打ち勝ったときに、どんな気分になるのか。そんなことを考え続けていた。
 そして、ふと思い出す。コッパーキャニオンを舞台にした名著「ボーン・トゥ・ラン」でも同じように、水を切らしてひどい乾きに苦しめられているエピソードがあった。そんなシーンを思い浮かべて、同じように苦労していたんだろうと、親近感を抱いていた。
 林道沿いに、小屋が見えるようになり、コンクリートブロックの塀、そして民家が姿を現してきた。どうやら、ゴールのあるウリケの町に入ったようだ。人口1,000人ほどの小さな町である。圧倒的な広大さを誇るコッパーキャニオンにおいて、なぜこんなところに町を築いたのだと、驚きを隠せない。自分の足で山々を越えてきたからこそ、余計に感じるものがある。この地で生活しているというのは本当に驚異的だった。山を越えるには、車を使える区間は限られていて、道も悪い。隣の町まで歩いていくには、長くて険しすぎる。日が沈んでも、街灯があるわけでもない。にも関わらず、生活を営んでいるのだ。
 次第に民家が増えていき、メインストリートに入っていた。にぎやかな音楽がかかっている。ゴールはもうすぐだ。こちらに気づいた子供たちが、横に並んで一緒に走ってくれる。消耗しきっていたはずなのに元気になる。ゴール地点には、大勢のひとが待っていた。思いがけない拍手と歓声。痛みも乾きも忘れてしまうほどに、気持ちのいいフィニッシュの瞬間だった。

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