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許したことと、傷つきを治していくことは関わるけど、違うの。治るまでの過程。フェーズ1から2⁉️💙
許すまでの治り具合は、許してからの治り具合にははるかに差があります。後者の方が治りはすすむし、はやい。
許すまでに構築するのは治る覚悟ではないでしょうか?
治る覚悟とは、、よいこと、励ましてくれている人たちの行いにも目を向け、自らのよさにも目をより向ける意識を高める決意のような気もしています。
人の悪さだけみてれば、私は傷ついたヒーローやヒロインのままでいれますから。
でも、生きていくためには、それだけでは不十分だと痛感しました。
寄り添ってくれてる人々を蔑ろにしていたことと、傷ついてしまったことは本質的に関係ないから。
それをやっているのは、私でしかないから。
体験上のお話ですが、、そんな感じ。
それに気づいてしまうフェーズが必ずやってくる。
でもその覚悟も構築し、ことばにし、実施できているのは、支えてくれている方々と、やり直そうとする方々がいると、はっきり意識できるように、ことばにしてみたんです。
より意識するために、ことばをかさねるために、その考えで日々の体験をみるようにしています。
それに慣れるまでにも時間が要る。
意識してみるのも、力を使う。
傷ついた場合、それすらしづらい朦朧状態となる。
意識できてくることが辛くとも治りとしての証明になる。
他人が見え過ぎる分、悪いところ以外もみえる。視野がひろがる。
だから辛いけれど、広がる分、感謝も謝罪も素敵もよりみえます。
当然、見てるからと言って真実とは限りませんが。
治ってきたからこそ、視野がひろがる。
ひろがってみたものから目を逸らせないんです。
自分や他人の悪いところばかりをみてる自分もみえてしまう。
私は悪いところばかりみている自分でいたかったですよ。その方が楽だもん。
でもね、楽だし疲れないけれど、楽しくないから、疲れもとれない。
回復しつつある。
許せたからこそ、
許すと決めたからこそ、より治ってきたんです。
逃げたら、治らないどころか支えてくれた人、謝ってくれている人との関係を壊すことは必至となってしまう。
必死だからこそ、必至を受け止めるか受け止めないのかを決めなきゃいけない。
治した人が強いのはなぜなのか。
傷ついた上に、逃げられないものが多いことに耐えるから。
無理に納得させられない私を、関係性をふまえて、私を私たちとして納得していくことが治る材料だと知ったから。
強くならざるを得ない。
固執してたら、治らないと小さい頃から知ってるし。
何度もそんな経験をしてるから、あぁそうだよなぁ、、からは逃げられない。
辛くとも、身体が知ってる。
心身ともに、深々ときざまれてる。
だから、わかってます。
謝ろうとして、可能な限り動いている人たちのことも、ちゃんとわかってます。
わかっているけど、傷がうずくとき、私はイライラすることもあります。
人はそんな単純なものでできてない。
だからこそ、より単純にしたいと願うはず。
でも、複雑なんです。勘弁してください。
行動している人を、自らを変えようとしている人を、ずっと寄り添ってくれてる人を、私は蔑ろには絶対にしない。
ありがとうしか、ないんですよ✨✨😊
傷を抱えながらも、大切だと思ってます。
余裕がないときがあるのは、許容していただければ、幸いです。
焦ったら、今までの時間を全て無駄にします。
これでも焦ってますが、焦らないようにしてくださっているのも、痛感してます。
治るまでのはがゆさは、私が1番感じてるんだからね❗️🤣🤣🤣
それを助けてくださっている方々を、嫌いになるわけないでしょう❗️❗️
好きですよー😊
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