美味しくて、泣けるチョコレート🍫のお話を母の日にいかがでしょうか?ちょっと推察もスパイス🤏
みなさんは、美味しくて感動して泣いたことがありますか?😊
私は2回あります。
そのうちの1つをご紹介したいです。
こちらのお話を母の日にチョコレートをもって、お母さまにするのもアリかと(#^.^#)
ちょっとだけリアルスパイシーなフィクションです。
地方にポツンと有名なチョコレート屋さんがあります。
とあるお店で買った【台湾茶6種を使ったチョコレート6粒】で私は泣きました。
遠くまで行かないとない、そのお店。
周りは田畑だらけ、バスもそんなに本数はない。終点まで1時間着ほど。
店主さんは、カカオの流行をつくる人なんです☆
「自分がつくったチョコレートを味わってもらうことで、お客さまとコミュニケーションを取っている。話すのあまり得意じゃないから。」
そんなことを店主さん自らが話していたとか、いないとか。
対人による関係性の架け橋に【つくったチョコレート】が入っているとでも言えるんでしょうかね♪
ここのお店のチョコレートのお値段は店主さんが決めているんですが、あまり重要視はしていないとのこと。
【台湾茶6種を使ったチョコレート6粒】、1500円くらいだったかと。
食べた瞬間に・・・青二才、泣いちゃったんですよね。
この店主さんの他の人への優しさが、痛いほど、味わい深く伝わってきたから♡
こちらの店主さんと話すのも割と好きでした。
話すよりも、チョコレートの味で語った方が素直になれるようでして。
味わうと余計にそれが実感したんです。
噛んで溶けていくチョコレートに思わずぽろぽろって涙が出ました。
(なんで泣いたんだろう・・・?)
って振り返ってみますとね・・・。
6種の茶葉に合うカカオを全て吟味されていました。
えっと、カカオが茶葉にあわせて、種類も調合も違ってたってことです。
素人だから詳しいことまではよく・・・わかんないけれど(;^ω^)
その奥に、かならずそれぞれの台湾茶が出てきてくれた。
チョコレートも、お茶も、全然くどくない。
ただ香りづけしたものではない。
チョコに茶葉で淹れたお茶がちゃんと融けこんでる。
だから、自然に徐々に強く感響(かんきょう)するものがあるんでしょうね。
初めだけインパクトがあるものとも異なる味わい。
くどくないにも関わらず、ぎりぎりまで味覚に切に訴えるものがあった。
それは・・
「じっくり味わって食べる時間をしっかりと持つくらい、心の余裕をもちませんか?その時間は無駄にはなりません(笑)きっと勝つから、いろんな悩みに。食べる(味わう)ことを無駄にしては・・・いろいろともったいないですよ」
って言われた感じかな(笑)
甘味の加減が違うとか、そういうことじゃなく。
そのカカオの味の違いにも気づかせたうえで、
茶葉の香りがチョコレートを味わった最奥にちゃんと異なって感じられたんです。
つまり6種の茶葉ですら、味わい分けられるようにつくられていた。
この技術、並大抵ではできません。
本当のアナライズをするプロ中のプロです。
味覚からくるものを、直感を直観にも分析的思考にもしっかり活かしきっている。
すばらしいと想いました。
店主さんのすごさは嫉妬なんかいらなかった・・。ただ、それでよかった。
美味しい以上に・・・
これは非言語的かつ会心(かいしん×えごころ)物語チョコレートだな♡☆
と・・ハッとしながらに徐々に醒めながらに、私は沁みこんでました(笑)
そもそもに茶葉は、飲んでたしなむ方が味わいも香りも強く感じられます。
そのため、チョコレートにどんなに強く茶葉の味を反映させたところで、飲むよりはどうしても感じ取りづらい。
チョコレート(カカオ)の方が茶葉よりはるかに香りも味も強くでてしまうから、どうしても。
スパイスで使われるくらいですもんね、カカオは。
だからこそ、
「台湾茶専門店のお店からもらった茶葉に最大限の配慮をし、茶葉たちを主役にできるチョコレートをつくられたんだ」
と、客だった青二才も気づけました・・・(*^▽^*)
見た目もお菓子としても、主役は完全に「チョコレート」にみえるし、そう味わってもいい。
ただ、味わう余裕なる時間を無駄と感じなければ、その最深部の感受もできる。
台湾茶各種の特徴を吟味しそれぞれを主役にしながら、
玄人級のチョコレートは脇役ながらに完全に主役。
主役にまさる主役・・そして。
当然、チョコレートの材料であるカカオも6種ともに最高級品。
そのチョコレートをつくった店主さんは誰よりも「他を惹きたてることが神業」。
主役にまさる主役を創り出す三つどもえかつ三つ重を統べる主役(笑)
語るとどうしても長くなってしまうんですけれど。。。
こちらのチョコレートを味わって、感涙したあとにできた私からうまれたことばが・・・
【みんなそれぞれ、ありのままでそれでいい☆】だったんです(≧▽≦)
このチョコレートを買ったときにね、店主さん頭脳明晰でもあるから、友人である青二才にこう言って笑ってました(*'▽')
「青二才さん、私になろうとしなくていい。
私になることはあなたには向いてない( ´艸`)
イヤミじゃないの。
あなたはその感受性をもっと活かせばいいと想うの。
あなた、知らないでしょう?
私は、、、、、あなたがあるものがないの・・それがほしい。
あなたみたいに・・・美味しいってちゃんと言って喜んで笑えるように・・なれるかしら・・?
人と関わりたいのだけれど・・・」
食べた後の私の感想頼りほぼリアルがこちら↓
【店主さん、ごちそうさま。ありがとう。私は私でしかないよね。
あなたみたいになりたいし、なりたかったの。
今はむずかしいけれど・・いずれは・・まぁそれはおいおいとして( ´艸`)
でも、にたものどうしですね、そこは。
あなたも、あなたのままでいい。私もそうなんだね。
それぞれ、ありのままでそれでいいってあなたのチョコレートが言ってたよ☆】
☆☆☆
はい、お話はここまで。
ここからは推察でーす☆
「美味しいに何がたし算されたら、泣くほどの感動になるのでしょう?」
私は美味しいにもいろいろと種類があるんだと考えています。
さらに美味しいに感動がくるためには、5点ほど考えがあります。
① その人の人となりが立ち現れている味わいの料理か
つまり、【これが私だという料理】になっているとも言えるかもしれません
私なるもの、、This is MEって感じ?(笑)
② つくった作品を味わう側が、そのつくった過程と作者の人となりをちゃんと知っていて、料理に信頼を置いているか
③ その料理とその人となりを重ね合わせて、どう似ているかを推察する五感をフルに使いながらの日頃からのガチ遊びを、味わう側がしているか
④ 感受し、思考しながらの味わい方をする自らの五感に配慮と信頼があるか
⑤ 無駄こそ、無駄にはならない価値だと実感しているか
とかなんとか・・素人が語ってみました( ´艸`)
青二才なんで、拙文でーす。すみませーん☆