ノートを書いていた私から、お子さんたちへ。
小学生からはじめたノート
教科書📕や先生が言っていたことをまとめたノート、資料集、プリントをまとめて、わたしなりにまとめたノートを作りはじめた
ピークは中学生のとき。
主要教科1つにつき、1冊つくってた。
ノートがカラフルすぎて、今の学習指導の人たちから言わせれば、「そんな書き方だと、覚えづらいしみえにくいでしょう」と指摘されるだろう。
でもね、ぜりーは学習指導者として思う。
「ノートがカラフルだろうと、覚えづらいかどうかは私自身で決めていい🌈」
子どもたちにそう伝えたい。
なんでかって?
私自身で書いたものだから、だよ。
他人に言われて書きはじめたものであっても、私自身が書いていると、意識しないでも愛着がわくものなんだ。
それこそ、なんでかっていうとさ、辛くても、楽しくても、私が自分なりにまとめたものじゃん。
せっかくいろんな思いまでして、書いたじゃん。
その記憶がさ、頭よりからだに、よりしみつくんだとおもうんだよね。
その気持ちを忘れないことができるの。
ノートをまとめるってことは。
だから私は手書きもやめない。
書くのがうっとうしいお子さんたちも、イヤイヤながらも自分のわからなかったところをぜりーとともに、1冊のノートにまとめはじめたことがあってね。
イヤイヤ言ってるのはあいもかわらずだけれども。
でも、君たちはふと無意識にこうつぶやくんだ。
気づいてないでしょうけど😊
「ぜりー先生、これ、わかんない、、。あぁ、でもこないだ、私、ノートに書いたかもしれないから、ノートを見ていいですか?👀」
💯だよね😊
しばらくやったからこそ、みえたもの。
言えたこと。
思い出すために、君は振り返ることができたんだ。
ぜりー先生に言われる前に、それをできたんだ。
意思に関わりなく、君は気づけた。
ノートをみていいですか?なんて、君たち、今まで一度も言ったことなかったのにね😂
すごい成長、変化なのに、全く気づいてないんだから。
と、きっと何かしらに気づいてないだろうと思われるぜりー先生が言ってみたよ🤣🤣
愛着ってさ、実感してる意識が関係ないものもあるのかもしれないね。
だからぜりーはね、
誰が書いたものであっても、全力で読む。
バカにすることなど、死んでもしない。
ぜりーが知らないことを絶対に知っている人が書いてくれてるんだから。
ぜりー以外の全員が、その対象なの。
年齢なんか関係ない。
ちゃんと読むからこそ、感想も質問もしたいんだ。
適当になんかしない。
だからぜりーも自分を精進していくだけ😊
読みたくないから読まないのではなく、
読みたいものが多すぎるにもほどがあるって、感じかな。
学びって、面白いよね。
教えてる側が教わって、すくわれるんだから。
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