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Dear Enemy
有名な小説の続編のタイトルなのだけれど、これで分かる人がどの位いるだろうか?映画でも、邦題になる時「どうしてそうなった?」というものもあれば原文よりも端的に、そして日本人が見て「なるほど」と直感的に浮かぶものもある。このタイトルそのまま訳すと 「親愛なる敵」 となるだろうか?矛盾しているような、違和感もあるけれど、こういうシーンはある。いわゆる、好きだからいじわるしたり、気になるが故に冷たい態度をとったりする時。
名作であれば、いろいろな人が翻訳を行う。自分が読んだ中では、ハードボイルドの名作「ロンググッドバイ」。清水俊二訳と村上春樹訳がある。で、違いがわかったのかと言われると実はわからなかった。なんせ話が長くいっぺん通り読むのではなく、夢に出るくらい何度も読まないと、違いに気がつくのは難しい。
が、こちらの話は、訳者さんが閑話でその違いにまつわる話を書いてくださっている。
I really can't think of anything else to write except my news, --so here it is, --and I hope you'll like it.
I am engaged to be married.
もうこれ以上は、自分のニュースのほかはほんとうに何もお知らせすることはないと存じます――それをもうしあげます――私は婚約いたしました。――よろこんでいただけますわね。
私自身のニュース以外、お知らせする気になれません。――ですから――きっと喜んでいただけると存じます。
エンゲージいたしましたの。
さて、私のニュースのほかに書くことももう思いつきませんーーだから書きますーーお気にいるといいのですが。
婚約しました。
ほかに書くことは本当に何も思いつきません、あとは自分のニュースだけかな――というわけでお知らせ、喜んでくれるといいけど。
私、婚約しました。
なるほど、微妙にニュアンスが違う。訳をする時のキャラクター設定や、訳を行う時代などいろいろな要因があると思うけれど、今の時代に自分が一番良いと感じたのは、柿田川訳でした。
1915年に世に出たこの本、前作は手紙を出す相手が一人でしたが、今作は3人に向かって出しています。読者はその手紙を読むことでストーリーを、主人公の心情を追ってゆくのですが、この日々1通づつと言う形式、昔であれば、交換日記や、文通ですが、今だとブログに似ていると思う。相手が「特定の誰か」と「不特定多数」と言うところは違ってますが。
手紙なので、最後の自分の署名の前に入れる一言も素敵。
自分はあまりに気になって、一気に読んでしまいましたが、リアルタイムで追っていたら日々の更新が待ちきれなかったに違いないです。素敵な翻訳ありがとうございました。
原題:Dear Enemy
邦題:続あしながおじさん
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